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第46話 痴情のもつれと白蛇の要求

「き、きさまぁぁぁーーーっ!!」


 乾いた怒声が生徒会室に響き渡った。


 陽の光が差し込む窓辺で、俺とエレノアのキスを目の当たりにしたリアム王子の忠実なる側近、エリオット・ヴァーリアスが、今にも血管が切れそうな形相で激怒している。


 その顔は朱に染まり、鬼神のような形相だ。

 きっと、彼はエレノアに特別な想いを寄せていたのだろう。


 ご愁傷さまなことだ。


 キスを終え、まだ目を回しているエレノアを抱きしめたまま、俺はゆっくりとエリオットを見た。


 床には、先ほどのやり取りで床に落ちてしまった書類が散らばっている。

 それらを一瞥し、俺は困ったように肩をすくめてみせる。


「いや、ただの痴情のもつれですよ。俺がクラスの他の女子と仲良くしているのを、このエレノアが嫉妬しましてね。それで、こうして宥めて落ち着かせていたところなんです」


 俺はその場で思いついた適当な嘘を、さも真実であるかのように淀みなく言った。まるで脚本を読んでいるかのように、俺の口から言葉が滑り落ちる。


 要するに、こういうことだ。

 俺と内密に逢瀬を重ねていたエレノアは、婚約者セシリアはともかく、クラスメイトのリゼルとまで仲良くしているのが気に入らない。


 それで、生徒会室に俺を呼び出し、そのことを注意していた――

 という、実にありふれた痴話喧嘩のストーリーを、今、でっち上げたのだ。


「じ、じつは……その、そういうことなのだ。アドラステア帝国との和平について、内密に彼と会って話を重ねているうちに、その、惹かれ合ってしまってね……。でも私たちは、それぞれ親の決めた相手と結婚しなければならない者同士。このことは、どうか内密にしてほしい、エリオット」


 エレノアの、真に迫る告白。


 さすがは頭脳明晰と名高い生徒会長。

 エレノアは俺の作った荒唐無稽なストーリーを、コンマ数秒で完全に理解した。


 そして見事な女優魂で、その筋書きに完璧に合わせてくる。

 彼女の瞳には、まだ微かに涙の膜が張っていたが、それすらも演技の一部にしか見えなかった。


 その言葉を受けて、エリオットの顔に深い、深い絶望の色が広がっていく。

 血の気が引き、彼の瞳から光が失われていくのが見て取れた。


 どうやらエレノアは、エリオットが自分に寄せる淡い恋心には全く気づいていなかったらしい。


 俺は少しだけ同情したが――

 「可哀そうに」と思う以外に、彼にしてやれることはない。


 俺はもう用は済んだとばかりに、エレノアをそっと離し、退室することにした。


「エレノアよ。こうして、たまにはお前の相手をしてやる。だから、あまり嫉妬するなよ」


 俺は調子に乗ってそんなセリフを吐く。

 こういう時の彼女の反応を見るのが、地味に楽しい。


「……ぐぐっ! ……わ、わかった。だが、君も、学校では他の女生徒との距離に、少しは気を付けなければならんぞ……!」


 エレノアは悔しそうに唇を噛みしめながらも、最後まで話を合わせてくれた。


「ああ、分かった分かった。じゃあな。……仕事中に邪魔をしてすまんな、エリオット」


 俺はそう言って、魂が抜け殻のようになったエリオットの肩を、ぽん、と軽く叩いてから、生徒会室を後にした。


 残されたエリオットの背中には、深い哀愁が漂っているように見えた。


 そして、そのまま真っ直ぐ自宅へと帰路についた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 

 

 その日の午後、屋敷でゆっくりとくつろいでいると、俺の元に、劇場型レストラン【砂漠の星】から、通信魔法を用いた緊急連絡が入った。


 なんでも、『白蛇』の異名を持つ大商人、イグナツィオ・ヴァラキアが客として劇場に来ており、俺に面会を求めているそうだ。


 イグナツィオ。

 表ではクリーンな商売を気取る善良な商人だが、その裏では、王都の情報を牛耳る巨大な秘密組織【囁きのウィスパー・イア】の、事実上の首領として君臨する男。噂では、その白い肌は血の色を知らぬとまで言われている。


「……いったい、何の用だ?」


 無視してもいいが、どうにも興味が湧いた。


 闇オークションで、俺と最後まで競り合った仲だ。

 用件も、大方の想像はつく。


「会ってみるか」


 俺は、これから向かう旨を通信魔法(ファックスのような魔道具)で手短に連絡し、くつろいだ部屋着から、面会用のフォーマルな服に着替える。


 絹のシャツのひんやりとした感触が心地よかった。


 それから転移魔法で、一瞬にして劇場の地下へと移動する。 

 薄暗い通路には、ダンサーが通った余韻か、甘い香水の匂いが微かに漂っていた。


「ショーが終わってから、地下の貴賓室に案内しろ」


 俺は劇場の支配人にそう命令し、地下の豪華な一室で、イグナツィオを待ち構えることにした。


 磨き上げられた黒檀のテーブルには、まだ新しい蝋燭の灯りが揺れている。

 その小さな炎が、壁に奇妙な影を落としていた。



 ***


「お会いいただき、光栄の至りにございます。グリムロック様」


 貴賓室の重厚な扉が音もなく開き、イグナツィオが現れた。


 彼の口から出る言葉は丁寧だが、その表情は能面のように感情が読めない。

 深々と頭を下げた動作も、まるで計算し尽くされたかのようだ。その白い肌と相まって、生気を感じさせない。


 俺はソファに深く座ったまま、その丁寧な挨拶を受ける。


「構わんよ。君の話とやらには、少し興味があってね。まあ、座りたまえ」


 俺の許可を得てから、イグナツィオは音もなく向かいのソファに腰を下ろした。

 その動作一つ一つが洗練されている。


「それにしましても、素晴らしいショーでした。噂には聞いておりましたが、これほどとは」


「だろう?」


 俺は、奴の称賛をさも当然であるかのように受け流す。


 劇場の雑多な喧騒は、この貴賓室には届かない。

 静寂の中、蝋燭の炎だけが微かに音を立てていた。


「で、話というのは?」


 そして、単刀直入に用件を尋ねた。

 彼の視線が、一瞬、俺の顔の奥を探るように動いた。


「はい。実は、先日のオークションでグリムロック様が競り落とされた、あの美しい姉妹『ファーマ』と『リーラ』。そのうち、妹の『リーラ』の方を、ぜひとも私に譲っていただきたく思いまして。40万金貨をご用意しております。それで、いかがでしょう?」


 40万金貨。

 俺が姉妹で競り落とした額は80万金貨だったので、ちょうどその半分。


 彼は、俺が断るとは思っていないようだ。

 自信に満ちた笑みを浮かべている。


「もちろん、譲っていただきたいのは、今日の舞台に立っておられた、あの歌姫のことではございません。あなた様がオークションで競り落とされた、本物の『リーラ』本人です」


 踊り子のファーマと歌姫のリーラの姉妹には、俺の作った魔道具【変身の指輪】を身につけさせている。


 今日の舞台に立っていたのは、紛れもなく本物の歌姫リーラなのだが、その見た目は、全くの別人に見えているはずだ。


 オークションの参加者であったイグナツィオは、その見た目の違いにすぐに気づいたというわけか。


 彼の瞳の奥に、わずかながら好奇の光が宿るのを感じた。


(妹の方だけを譲ってくれ、か。こいつの狙いは、最初からリーラ一人だったようだな。……まさかとは思うが、ロリコンか?)


「譲ってくれ、と言われてもな。今日の舞台に立っていた歌姫では、駄目なのか? 彼女の歌声も、なかなかのものだったろう。彼女なら、40万金貨で今すぐ譲ってもよいが?」


 俺は、こいつから少しでも情報を引き出すため、心にもない提案をあえてしてみせた。彼の眉が、わずかにピクリと動く。


「いえ。あの歌姫に、そのような価値はございませんよ。あくまで私が求めているのは、オークションに出品されておりました、『リーラ』という歌姫なのです」


 イグナツィオは、にこやかな笑みを崩さずに、そう断言した。

 彼の言葉には、一切の迷いが感じられない。


 その薄い唇が、静かに紡ぐ。


 ――ふむ。


 【変身の指輪】を使ってはいるが、彼女の『歌声』は全く変わっていない。そして、見た目の『美貌』も、元の本人と同等のレベルに見えるように調整してある。


 だというのに、こいつは「価値がない」と言い切った。


 つまり、こいつが大金をはたいてでも求めているのは、『歌声』でもなければ、『美貌』でもない、ということになる。


 では、一体なんだ?


 まあ、こいつがそう簡単に口を割るとも思えんが……。


 この部屋に漂う空気は、さっきまでよりも一層重く感じられる。

 まるで粘りつくような重さだ。


 もう少し、こいつの狙いを探ってみる必要がありそうだな。


 敵の真の狙いと出方を見極めなければ――

 俺は、とんでもなく危険な状況に立たされているのかもしれない。

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