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第45話 聖女の治療と不意打ちのキス

 エリザベート姫に【支配の首輪】を付けることができれば、それで上出来かな。


 その程度の軽い心持ちで挑んだ、帝国姫との交渉だった。

 だが、思いもよらない展開で、俺は姫本人を一日拝借するという、望外の戦果を手にした。


 しかも、おまけに彼女の護衛騎士に、俺の首輪をつけることにも成功したのだ。

 今回の会談の成果は、上々だったと言っていい。


 

 だが、その代償として、左腕を負傷した。


「めっちゃ痛い」


 フレイヤの奴、本気で斬りかかってきやがったからな。

 深くはないが、じんわりと血が滲み、痛みがじくじくと響く。


 血は何とか抑えているが、このまま放置しておくのはまずいだろう。


 早く治療した方がいい。


 俺は、チョーカー型の魔道具【支配の首輪】につけた探知能力を使い、この国の王女、エレノアの居場所を探す。


 彼女は、この国で最高位の光魔法の使い手。

 いわば『聖女』だ。


 この程度の傷、彼女にかかれば一瞬で治るはずだ。


 

 ***


 ……見つけた。


 生徒会室か。

 ちょうどいい。


 俺は転移魔法を使い、生徒会室のすぐ近くにある、人気のない階段の踊り場へと移動する。魔法特有の、空間がねじれるような感覚が過ぎ去ると、目的の場所に立っていた。


 そこから何食わぬ顔で廊下を歩き、王女様のいる部屋を訪ねた。



 重厚な扉をノックすると、中から一人のメガネをかけた青年が出てきた。


 リアム王子の側近の一人、エリオット・ヴァーリアス。


 細身で長身の、いかにも頭が切れそうな知的な印象を与える男だ。夜空のような深い青色の髪と、冷静沈着な思考を反映したかのような鋭い青色の瞳が、俺の姿を捉え、いぶかしげにいびつな形に歪む。


 あからさまな警戒心を、彼は隠そうともしない。


 そういえば、こいつは生徒会のメンバーだったな。


「……何の用だ? グリムロック」


 警戒心を隠そうともせず、エリオットが尋ねてくる。

 彼の声は、氷のように冷たい。


 さて、困った。


 傷の手当てをしてもらおうと思ってここまで来たのだが、表向き、ほとんど接点のない俺が、エレノア姫に個人的に治療を頼むというのは、どう考えても無理があるか……?


 なんて言い訳をしようか。


 一瞬、脳内で複数のシナリオが瞬時に組み立てられては消えた。


 

 俺が、この場を切り抜けるための最適な口実を考えていると、部屋の中から、少し慌てたようなエレノアの声が響いた。


「ぐ、グリムロック君か! ああ、彼は私が呼んだんだ。その、和平について、少し話し合いたいことがあってだな!」


 ナイスフォロー、姫様。

 まさかの援護射撃だ。


 エレノアはそう言うと、俺を部屋へと招き入れた。


「しばらく、二人きりにしてくれ。内密な話があるのでな!」


 そして、有無を言わさぬ王女の威厳で、エリオットを部屋から閉め出してしまった。


 扉の向こうで、エリオットが納得いかない顔をしているのが目に浮かぶようだ。

 少しばかりかわいそうだが、これで心置きなく治療をしてもらえる。



「な、何の用だ、貴様……。また何か、良からぬことを考えているのではないだろうな?」


 二人きりになった途端、エレノアは俺を警戒しながらそう言った。


 だが、その表情は、何かを待ち望んでいる子供のようにも見える。


 顔が少し赤く、どこかウキウキしているのが、俺には分かった。

 彼女の言葉とは裏腹に、その視線には好奇心と期待が宿っている。


「いや、なに。少しヘマをしましてね。傷を負ってしまったので、姫様に治療をしてもらおうかと」


 俺が左腕の傷を見せると、彼女は一瞬だけ目を見開いた。


「な、なんだ、そんなことか! はっ! べ、別に勘違いするなよ! なにか、こう、別のことを期待していたとか、そういうことでは断じてないからな!」


「ええ、分かっていますよ」


「な、ならいいんだ! それ、傷を見せてみろ!」


 どうも彼女は「お仕置き」を期待していたようだ。


 ――まったく。

 その焦りようが、かえって可愛らしく見える。



 俺は、血の滲む腕を彼女に差し出す。

「肌に直接触れて、回復魔法を流し込んでもらえますか。そのやり方でないと、どうも効きが悪いんですよ。ちょっとした特異体質でしてね」


「なんだ、それは? まあいい、望み通りにしてやろう」


 もちろん、そんな体質ではない。

 ただ「魔封印」のことを詳しく説明せずに治療してもらうために、適当なことを言ったまでだ。


 エレノアの白く、細い指が、俺の傷口にそっと触れる。


 ひんやりとした彼女の指先から、次の瞬間、温かく、そして清らかな光の魔力が流れ込んできた。


 流石は光の聖女と呼ばれるだけあって、見事な回復魔法だ。


 傷の痛みがすっと引き、ぱっくりと開いていた傷口も、跡形もなく綺麗に塞がっていく。その治癒の速さに、思わず感嘆の声が漏れそうになる。



「……これでいいだろう」


 傷を治した彼女の顔は、まるで聖母のような、慈愛に満ちた表情をしていた。


 美しい金色の髪が、部屋に差し込む午後の光と共に、きらきらと神々しく煌めいている。その神聖な輝きが、俺の中に燻る邪な衝動を、より一層掻き立てた。


 聖女という言葉が、逆に背徳的な魅力を増幅させる。


 

 俺は、至近距離にいる彼女を、衝動のままに抱きしめて、その唇にキスをした。


 柔らかく、甘い感触。

 まるで花弁に触れるようだ。


 エレノアは、大きく目を見開き、何が起こったのか理解できない、という顔で固まっていた。彼女の瞳には、驚愕と混乱だけが映っていた。


 やがて、状況を理解すると、顔をみるみるうちに真っ赤に染め上げる。

 その頬は、リンゴのように鮮やかな赤に染まっていた。


 そして、全力で俺の胸を突き飛ばす。


「き、貴様ッ! ど、どういうつもりだ!? まさか、このためにわざと傷を負って、私に近づいたというのか!?」


 彼女の声は、怒りと羞恥で震えている。


「どういうつもりも何も。ただ、あなたが綺麗だったから、キスしただけですよ。何となく、です」


 俺が、さも当然のように言うと、彼女はさらに混乱したようだ。

 その瞳が、まるで子鹿のようにきょろきょろと揺れている。


「それに、いくらなんでも、キスをするためだけに腕を切るわけがないでしょう。ちょっと、自意識過剰なんじゃないですか? 姫様」


 俺のその言葉に、エレノアはさらに顔を赤くさせる。

 今度は、羞恥と、そして純粋な怒りで。


 その呼吸は荒く、胸元が激しく上下している。


 彼女は、わなわなと震えながら、さらに俺を怒鳴りつけようとした。


 

 だが、その時だった。


 バンッ!!


 部屋のドアが、乱暴に開かれた。

 木材が軋む音が、怒りを含んで響く。


「何事ですか、エレノア様ッ!!」


 そこに立っていたのは、先ほど部屋から追い出されたエリオットだった。

 彼の鋭い青い瞳が、部屋の中の状況を一瞬で把握する。


「むっ……! 貴様、グリムロック! エレノア様に、一体何をした!!」


 俺を突き飛ばしたまま、エレノアは床にへたり込んでいる。

 その金色の髪が、乱れて顔にかかっている。


 そして、俺は彼女のすぐそばに、片膝をついている。


 まるで、俺が彼女に何か迫っていたかのような構図だ。


 最悪だ。

 これ以上ないくらい、誤解を招きやすいシチュエーション。


 さて、どう言い訳をしようか?


 状況を瞬時に分析する。

 ここでの言葉は意味をなさない。


 俺は、一瞬だけ考えた。


 そして、「最も面白い」と思われる選択肢を選ぶ。


 俺は、床に座り込んだままの、呆然としているエレノアの腕を取り、強引にその体を抱き寄せた。


 彼女の驚いた息遣いが、間近で聞こえる。


 そして、エリオットが見ている前で、再び、その唇に深いキスをした。


 言い訳など、不要――

 この状況なら、言葉よりも行動の方が雄弁に語る。

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