第44話 姫への要求と支配の首輪
「――こちらの護衛が、大変失礼をいたしました」
ひんやりとした空気が肌を撫でるサロンで、エリザベート姫は、微塵の動揺も顔に浮かべず、俺をまっすぐに見つめながら謝罪の言葉を口にする。
その琥珀瞳の奥には、揺るぎない覚悟と、かすかな疲弊が混じり合っているように見えた。さすがは、一国の姫君といったところか。
一瞬で動揺を振り払い、意識を研ぎ澄ませた。
「姫様! いきなりあのような不敬な映像を見せた、この男が悪いのです!」
俺の腕を切りつけた張本人、女騎士フレイヤが、怒りに紅潮した顔をさらに歪め、憤りを隠さずに反論する。彼女の赤銅色の髪が怒りに揺れる。
「黙りなさい、フレイヤ」
姫は、冷気を帯びた一言でその激昂をぴしゃりとたしなめた。
その声には、一切の感情が乗っていない。
「これが公式な会談の場であれば、あなたの言う通り、相手の首を刎ねるに十分な理由です。ですが、忘れないで。今回は、こちらが情報提供を受ける、あくまで『内密』な会談。受け取る情報の内容にいちいち文句をつけていては、そもそも情報提供などしてもらえなくなりますわ」
その通りだ。
俺は内心でほくそ笑む。
――聡明なお姫様だ。
「まあ、内容は確かに不謹慎極まりないものでしたが、『極めて重要な機密情報』であることに違いはありませんからね。この場で俺を切り殺せば、アドラステア帝国の姫君が、情報提供者をだまし討ちにした、という輝かしい事実だけが残ることになります」
「そんなもの、貴様が姫様を襲おうとしたから、返り討ちにしたと公表すれば済むだけの事だ!」
フレイヤが、なおも食い下がる。
まあ、そうなんだが、物事はそう単純ではない。
この女騎士は、熱意はあるが、いかんせん頭が固い。
「ですが、フレイヤ。それで納得しない方々も大勢いるでしょう。事件の真相がどうであれ、わたくしとグリムロック家の跡取りとの間で『事件が起こった』という事実そのものを、心から喜ぶ人たちがいるのです」
エリザベート姫の言葉に、俺は満足げに頷いた。
彼女は本当に状況を理解している。
「流石は、聡明と名高い姫様だ。話が早くて助かります。こちらとしては、それでも一向に構わないのですよ。両国の間で、戦争が続くための新たな火種さえ生まれれば、それで」
俺はそんなことのために、ここで死ぬ気など毛頭ない。
だが、ここは敢えてそう言っておこう。
俺のその言葉に、姫様は、ふと俺を気遣うような、憐れむような顔をした。
その表情に、わずかながら人間の温かさが滲み出ている。
「……家のための、捨て駒として、使い捨てられても構わないと、そう仰るのですか? あなたは……。……交渉を続ける前に、まずはその傷の手当てを」
「お気遣い、痛み入ります。ですが、この程度の傷は問題ありません。先ほども言った通り、俺は捨て駒ですからね。さあ、話を進めましょう」
俺は、あえて悲壮感を漂わせるように、自嘲気味に笑ってみせた。
姫様は、一瞬だけ悲しそうな顔をしたが、すぐに気を引き締め直し、その知的な瞳で、俺の心の奥底を探るように質問してきた。
その視線は、まるで魂を見透かすかのようだった。
「もし、戦争の継続だけがあなたの望みであれば、このような面倒な交渉などせずとも、先ほどの映像を公の場で公開すれば済むことです。……あなたの、いえ、グリムロック家の、本当の要求は何ですの?」
鋭い。
彼女は、俺の行動に、家とは別の個人的な動機があることを見抜いている。
やはり、ただの箱入り娘ではない。
「実を言うと、あなたとの交渉は、完全に俺の独断なのです。俺のこの動きを、父ガイウスは一切把握していません」
俺は、まずその事実を明かした。
そして、本題を切り出す。
「――単刀直入に言います。俺の望みは、あなただ。エリザベート姫、あなたのその身体を要求します」
その一言で、サロンの空気が氷点下に達したかのように凍り付いた。
姫は、信じられないというように瞳を大きく見開き、その白い頬をみるみるうちに鮮血のような赤色に染めていく。その唇が、わずかに震えている。
そして、背後にいたフレイヤは、今度こそ俺を殺さんと、腰の剣に手をかけた。鋼の擦れる、嫌な音が響く。
俺は、構わずに続ける。
「俺の婚約者は、あなたの婚約者に手籠めにされようとした。先ほどお見せした映像がその証拠です。だから、その代償として、俺はあなたを要求する。実に、公平な取引だとは思いませんか?」
無茶苦茶な理屈だ。
我ながら、そう思う。
だが、交渉とは、理屈を通す場ではない。
意志を通す場なのだ。
俺の意志を、ここで明確に示す。
重苦しい沈黙が場を支配する中、エリザベート姫が、震える唇をゆっくりと開いた。
「……いいでしょう。あなたの要求を、受け入れます」
「姫様ッ!!」
フレイヤが、悲鳴のような声を上げる。
その声は、絶望に似ていた。
「ただし」
姫は、そのフレイヤの声を制するように、続ける。
彼女は、何かを決意したような、研ぎ澄まされた光を宿した目で俺を見返した。
「私の体をあなたに提供するのは、一度きり。それで、この件は完全に矛を収めていただきます。よろしいですわね?」
「もちろん、それで構いません」
俺の口角が、わずかに上がる。
「わたくしを求めたのは……家の命令なのではなく、あなたの、ご自身の意志なのですね」
姫様が念を押すように確かめてくる。
捨て駒として使われている俺に対し、何か、思うところがあるのかもしれない。
彼女の探るような視線が、俺の内面を探ろうとしている。
「そうです。俺はあなたが欲しい」
俺はきっぱりと言い返す。
これは偽りない本心だ。
「いいでしょう。それでこちらも手を打ちます。これで、リアム王子の映像の件は、終わりにしてもらいます」
俺は、そこでわざとらしく、血の滲む左腕に視線を落とした。白いシャツの袖口に広がる赤色が、この場の交渉の厳しさを物語っているようだった。
「――あとは、この傷の分、なのですが……」
俺は、フレイヤに、カチューシャ型の魔道具を装着することを要求した。
その魔道具の名は【支配の首輪】。
この国のエレノア王女にもつけている、俺の傑作の一つだ。
探知機と、盗聴器。そして、装着者の魔力制御を、外部から任意で狂わせる機能がある。俺が魔力を込めれば、いつでも、どこでも、彼女の動きを支配できる。
「なっ……! ふざけるな!」
フレイヤは、屈辱に顔を歪め、今にも俺に飛びかからんばかりの剣幕で拒絶する。だが、姫が、静かに、しかし有無を言わさぬ声で命じた。
その声には、絶対的な主の権威が宿っていた。
「……フレイヤ。お付けなさい」
フレイヤは、主君の命令に逆らうことはできなかった。
彼女の肩が、絶望に打ちひしがれたかのように震えているのが見て取れる。
渋々ながらも、俺が差し出した鈍く光る銀色のカチューシャを受け取り、その灼熱のような赤銅色の髪に装着する。
カチリと、金属が噛み合う乾いた音が、静かなサロンに妙に響いた。
これで、また一つ、俺の駒が増えた。
エリザベート姫との逢瀬は、三日後の休日に、とんとん拍子で決まった。
彼女を俺の屋敷に招き、そこで、約束を果たしてもらうことになる。
俺は、満足げに笑みを浮かべた。
全てが、俺の掌の上で転がっていく。
この支配感が、何よりも甘美だ。




