第43話 帝国の姫と裏切りの映像
アドラステア帝国の姫君、エリザベートからの返答が届いた。
俺が申し出をしてから、三日後だ。
結果はイエス。
エリザベート姫は、俺と会うことを決めたのだ。
もちろん、完全に二人きりというわけにはいかない。
お互いの護衛を一人ずつ同伴させるという条件で、会談の場が設けられることになった。面談日時は、返答からさらに三日後。
俺からの、あまりにも怪しい申し出に対し、この対応の速さ。
なかなかに決断力、そして胆力のある女性と見た。
面談当日、俺は例の魔道具に加え、護身用の装備を学生服の下に装着して登校した。エレノアとの一件で学んだ教訓だ。
交渉の場では、いついかなる不意打ちを食らうか分からない。
備えあれば憂いなし、だ。
エリザベート姫には、学園側が用意した彼女専用のサロンがある。
放課後、俺はそのサロンへと向かった。
廊下はすでに人影もまばらで、静けさが交渉の前の緊張感を際立たせる。
入り口には、帝国からの留学生であろう取り巻きたちが、まるで番犬のように陣取っている。彼らの視線は険しい。俺という敵国の辺境伯の息子を、あからさまな敵意と警戒を込めて睨みつけていた。
俺はそんな視線など気にも留めず、懐から招待状を取り出して、取次の生徒に見せる。
「護衛の方は、どうなさいましたか?」
「必要ありません。私は、ただ話をしに来ただけですので」
俺のその余裕ぶった態度が、ことさら気に入らなかったのだろう。
取次の生徒は、忌々しそうな顔をしながらも、渋々扉を開けてくれた。
その扉の向こうから、かすかに漂う上質な紅茶の香りが、この部屋の雰囲気を物語っていた。
護衛は、あえて連れてこなかった。
こちらは護衛なし。
姫の方は護衛が一人付く。
その時点で、交渉のテーブルに着く前から、精神的なアドバンテージはこちらが握っている。
お姫様から見れば、丸腰の相手に武器を持って挑むことになる。
彼女に「臆病、無礼、攻撃的、不公平」といった思いを抱かせる効果が期待できるだろう。
部屋に入ると、エリザベート姫が、窓際に置かれた豪奢な椅子から立ち上がり、俺を迎え入れた。
午後の日差しが彼女の横顔を照らし、絵画のような美しさを際立たせる。
その背後には、絵画のように美しい、しかし鋼のように強固な意志を宿した女騎士が控えている。サロンの空気は、姫の優雅さと護衛の静かな威圧感によって、独特の重みを帯びていた。
護衛騎士フレイヤ・バートランド
事前の情報収集で、彼女のことも調べてある。
年齢は二十二歳。
燃えるような赤銅色の髪を、動きやすいように短く刈り込んでいる。その髪は、わずかな光も吸い込み、鈍く輝く。引き締まった体には無駄な肉が一切なく、歴戦の兵士であることを物語っていた。
鋭い琥珀色の瞳は常に油断なく周囲を警戒し、その視線は姫を守る剣のように揺るぎない。顔にいくつかある小さな傷跡が、逆に彼女の精悍な美しさを際立たせている。彼女がそこにいるだけで、部屋の緊張感が一段と増す。
その佇まいからは、貧しい騎士爵家出身という情報が自然と結びつき、彼女がどれほどの努力を重ねてきたかが想像できた。
***
「グリムロック辺境伯ご子息、ゼノス様ですね。お待ちしておりましたわ」
エリザベート姫の声は涼やかで、微かな緊張を隠しているようにも聞こえる。
「お招きいただき、光栄です。エリザベート姫」
俺は椅子を勧められたが、あえてそれを断り、立ったまま話を始めることにした。
「それで、お話というのは?」
エリザベート姫が、探るような視線で切り出した。
その視線は鋭く、底知れない深さがある。
こちらの意図をどこまで読み解いているのか、彼女の瞳からは探りきれない。
「手紙に書いた通り、極めて重要な機密情報の提供ですよ。まずは、見ていただきたい映像がありましてね……」
俺が懐から映像投影用の魔道具を取り出そうとすると、エリザベート姫がそれを静かに手で制した。彼女の細い指先が、わずかに空中で揺れる。
「その前に一つ、お尋ねしたいことがありますわ。あなた様は、我が帝国と、貴国アースガルド王国との和平に、賛成ですの? それとも、反対なのかしら?」
まずは敵か味方か、はっきりさせておきたい、というわけだ。
良いだろう。
ここは正直に答えてやる。
彼女の質問は、俺の意図を探る上で最も効果的な一手だ。
「そうですね。俺は、和平には反対です。グリムロック家の跡取りとしては、ね」
俺は、あえて挑発的に笑ってみせた。
悪役というのは、そうでなければならない。
「もっとも、それは貴国とて同じでしょう? 帝国の中にも、この戦争状態が続いた方が都合が良い、という勢力はあるはずだ」
俺の答えに――
背後に控えていた護衛騎士フレイヤの殺気が、明確に膨れ上がるのを感じた。
まるで冷たい鋼の刃が、首筋に触れたかのような錯覚に陥る。
彼女の反応は、予想通り、あるいは予想以上だ。
「……そうですか。では、あなたが見せたいというその機密は、おそらく、わたくしにとって……」
俺は、姫のセリフを遮るように、魔道具から映像を投射した。
躊躇する時間など与えない。
ここからは、俺のペースで進めさせてもらう。
「見ていただいた方が、話が早いでしょう? これですよ」
***
サロンの白い壁に、鮮明な映像が映し出される。
光の粒が空中に舞い、リアリティを増す。
そこに映っていたのは――
この国の第一王子であるリアムが、俺の婚約者であるセシリアを、熱烈に口説き、言い寄っている場面だった。
リアムの甘い言葉とセシリアの困惑した表情が、はっきりと見て取れる。
誰もが目を背けたくなるような、しかし確かな現実がそこにあった。
その映像を見た瞬間、エリザベート姫の表情が、わずかに凍り付いた。
琥珀色の瞳の奥に、一瞬だけ動揺の色がよぎる。
感情が表に出ないように努めていた彼女の頬が、微かに赤く染まっている。
それは、羞恥か、それとも怒りか……。
いずれにせよ、彼女が激しく動揺しているのは間違いなかった。
微かに震える指先――
俺の狙い通り、彼女の動揺を誘う一撃になったはずだ。
次の瞬間だった。
「――貴様ッ!!」
フレイヤの怒声が、静寂を切り裂く。
その声には、一切の迷いがなく、純粋な怒りだけが込められていた。
同時に、彼女の剣が、ギラリと光を反射しながら、俺の首を切り離そうと凄まじい速度で迫ってきた。
風を切る音が、鼓膜を刺激する。
ギイィィンッ!!
甲高い金属音。
耳をつんざくような音が部屋中に響き渡る。
俺は、振り抜かれた剣を、左腕で防いでいた。
学生服の下には、目立たないように護身用の小手が仕込んである。
その硬質な感触が、剣の衝撃を防いだ。
腕に走る痺れは、想定内だ。
フレイヤも相当な手練れ――
だが、俺も剣の腕は、そこそこ達者な方だ。
来ると分かっている攻撃を、防ぐことくらいは可能だ。
一撃目を防いだが、彼女に驚きや躊躇はない。
攻撃はそれで終わらない。
流れるような動きで俺の背後に回り込み、今度は右側から二撃目を打ち込んでくる。金属同士がぶつかる高音が再び響き渡り、火花が散る。
その鋭い斬撃も、同じく小手で弾き返した、その時。
「待ちなさい、フレイヤ!」
エリザベート姫の、慌てたような、しかし凛とした声が響いた。
その声には、わずかな動揺と、姫としての威厳が混じり合っている。
フレイヤは、命令通りにピタリと動きを止め、俺と距離を取る。
警戒は解いていないが、動きは止まった。
***
ふう、何とか凌げたか。
小手で防いだものの、斬撃で腕を少し切られたらしい。
熱い痛みが、じわりと広がる。
袖から、赤い血がぽたりと滴り落ちた。
白い絨毯に、鮮烈な赤色が染みを作っていく。
今になって痛みが襲ってくる。
目立たないことを優先して作られた護身用の小手だ。
達人の攻撃を完璧に防御することはできない。
仕方ない。
しかし、この程度の傷は、目的のためには安い代償だ。
そう、これで――
交渉の材料は、さらに増えた。
この傷を負った分は、きっちりと回収させてもらうとしよう。
冷静に状況を見極めていると、興奮状態が収まってくる。
すると――
傷の痛みが、どんどん増してきた。
(痛ったぁ!! 血が止まらん。……えっ、結構深く切られてる? このままほっといて大丈夫なのか、これ? どうしよう。すごい心配になってきた。早く治療した方が良いよな。傷の手当は早い方がいい、消毒だけでも……)
心の中では動揺しまくっているが、顔には出さない。
この程度の傷など気にしない――
平然と振る舞い、それを態度で示す。
体内の魔力で圧迫し、傷を負った箇所の止血を試みる。
何とか血は止まってくれた。
早く治療したいが、交渉を仕切りなおす気はない。
最良のカードが手に入ったのだ。
勢いはこちらにある。
俺は、先ほど断った椅子へと、今度はゆっくりと腰を下ろした。
動揺を隠しきれない帝国のお姫様と、動揺を隠しきった俺が、改めて向き合う。
――ここからが交渉の本番だ。




