第41話 劇場の収益と変態の要求
俺の劇場【砂漠の星】の地下には、様々な用途のエリアがある。
今いるこの豪華な部屋は、重要な来賓との会談や小規模なショーのために作られた場所だ。
磨き上げられた黒檀のテーブル、深紅のベルベットソファが並び、天井からは煌びやかなシャンデリアが柔らかな光を投げかけている。
壁には異国の風景を描いたタペストリーが飾られ、微かに香る伽羅の匂いが、密談にふさわしい重厚な雰囲気を漂わせる。
防音・防諜対策も万全で、密談にはうってつけだった。
俺はソファに深く腰掛け、向かいに座る男と向き合っていた。
俺の後ろには、情熱的な踊り子の衣装をまとったセシリアとリゼルが、【変身の指輪】を装備して控えている。きらびやかな装飾が光を反射し、彼女たちの存在が部屋の隅に艶やかな色彩を添えていた。
そして、俺のビジネスパートナーであるバルタザール・ザイツの後ろには、忠実な執事グレゴールが、いつも通り胃の痛そうな顔で控えていた。
その顔には、長年の心労が深く刻まれているように見えた。
「――以上が、開店初月からの収支報告となります。結論から申し上げますと、経営は極めて順調。この調子で推移すれば、遅くとも一年半後には、ゼノス様にご出資いただいた初期投資八十万金貨は、全額回収できる見通しにございます」
グレゴールが淀みなく報告を終える。
彼の報告書は常に完璧だ。
数字一つ一つが正確に並び、紙の上で整然と未来を描き出す。その淀みのない声が部屋に響き、耳に心地よい。報告を受け、俺は新たな方針を提示した。
「報告ご苦労。今後のことだが、収益のうち、王家が発行している金券は、銀行への借入金の返済に優先的に充てろ。それ以外の金貨や銀貨といった硬貨での収益は、極力この施設に貯蔵していく」
俺の唐突な指示に、バルタザールとグレゴールはわずかに眉をひそめた。
無理もない。彼らには俺の真意は分からないだろう。
俺は彼らの困惑した表情を静かに見つめた。
教えてやることはできないが――
俺は、この世界の未来を知っている。
もしゲームのシナリオ通りに進めば、この先、大陸全土を巻き込む大戦争が勃発するのだ。俺の頭の中では戦火の未来図が鮮明に浮かび上がる。炎に包まれる都市、逃げ惑う人々、そして何よりも、王家の凋落。
俺はその中で反乱軍として王家と対立し、最終的には王家を打倒する側となる。
そうなれば、王家の権威に保証された金券は、戦争が始まった途端に価値が暴落し、王家が滅びればただの紙切れと化すだろう。そんな無価値なものを手元に置くつもりはない。
だからこそ、今のうちに価値が変動しやすい金券を手放し、普遍的な価値を持つ金貨などの硬貨を現物で確保しておくべきなのだ。
金貨はかさばり、銀行に預けなければ大きな取引には不便だ。
だが、その銀行でさえ、戦争が始まればどうなるか分からない。「預けておいた金貨が引き出せません」なんてことにもなりかねない。
プラチナ貨も考えたが、プラチナ自体の価値も王家の信用と無関係ではない。
暴落のリスクは金券と大差ないだろう。
やはり、保有するなら金貨。
それも物理的に自分の手元に置いておくのが、最も安全だ。
確実なのは、この手で触れられる、目の前にある価値。
幸い、この施設の地下にはバルタザールたちも知らない隠し部屋がいくつかある。分厚い石壁の奥に隠された空間は、ひんやりとした空気が漂い、金貨を山のように貯蔵するには、まさにうってつけの場所だった。
やがて来る嵐に備え、俺は着実に力を蓄える。
「……ところで、ゼノス様」
話がひと段落したところで、バルタザールがねっとりとした視線を俺の後ろに控えている二人――セシリアとリゼルに向けた。
その視線には、明らかな欲望の色が浮かんでいる。
「世にも美しい奴隷を二人も購入されたようで――これはまた、実に羨ましい限りですな」
俺は彼女たちについて、何も説明せずに控させている。
彼からすれば、俺が購入した従業員用の奴隷にしか見えないのだろう。
「二人のことは、一目で気に入ってな。すぐに俺のものとしたんだ」
俺がそう言うと、セシリアとリゼルが頬を赤らめるのが気配で分かった。
その小さな反応が、俺の言葉が彼女たちの心に触れたことを物語る。
俺の言葉に、バルタザールは少し機嫌を悪くしたようだ。
口元がわずかに引き攣っている。
「我がザイツ商会にも、目利きの従業員が厳選した質の良い奴隷はたくさんそろっておりますので、奴隷の購入をご検討される際には、ぜひとも、まず当商会にご一報を……」
こいつも商売人の端くれだ。
営業は忘れない。
その声には、わずかな焦りが混じっている。
「とはいえ、そのお二人の美しさは群を抜いておりますな。ゼノス様が即決で購入されたのも、大いにうなずけます。特に、そちらの……ピンクの髪の女には、いやはや、目を見張りましたぞ」
「ほう、そうか。お前も、なかなか見る目があるじゃないか」
こいつは、もともとリゼルが好きだからな。
【変身の指輪】で認識を歪めていても、その魂の本質、あるいはピンクの髪という属性に惹かれたのだろう。
バルタザールの目が、リゼルの淡いピンクの髪の毛一本一本を舐めるように追っているのが見て取れた。
まるで獲物を値踏みする獣のようだ。
「それで、その……ゼノス様。まことに、まことに不躾なお願いとは承知の上なのですが……。少しばかり、『味見』をさせては貰えないでしょうか?」
「ぼっちゃん! またあなたという人は、何を言い出すんですか!」
すかさずグレゴールが悲鳴のようなツッコミを入れる。
その声は、この密室に響き渡るほどだった。
顔は真っ青になり、心底うんざりしているのがありありとわかる。
だが、俺はそれを手で制し、バルタザールに続きを促した。
相変わらず、こいつは自分の欲望に正直で、見ていて飽きない。
その探求心には、ある種の清々しさすら感じる。
「味見、とは?」
「そ、その者の、においをですね……。一度、チェックさせていただきたいのです。そ、そうですね……。ゼノス様の大事な奴隷ですので、デリケートなゾーンはさすがに遠慮するとして……わ、脇! そう、脇の匂いのチェックを、ぜひとも!」
その要求自体をまず遠慮すべきなのだが、俺はあえて許可を与えることにした。
その程度は、俺の許容範囲内だ。
むしろ面白い。
俺の心には、冷徹な観察者の視点が宿っていた。
この男が一体どんな反応を見せるのか、興味が尽きない。
「ちょ、ちょっと、本気? 冗談でしょ!?」
俺の決定に、リゼルが背後から小声で必死に抗議してくる。
その声は、羞恥と困惑が入り混じり、震えていた。
「なに、自慢の所有物を、少しばかり友人に自慢したくなっただけだ。匂いを嗅がせるくらい、いいだろう?」
「うっ……。しょ、所有物……自慢。し、仕方ないわね……! 今回だけなんだからね!」
リゼルは、俺のその言葉に気を良くしたのか、満更でもない様子で最終的に同意した。相変わらずチョロい、そして可愛い。
彼女の表情が、一瞬で不満から諦め、そして僅かな高揚へと変化していくのが見て取れた。その複雑な感情の変化が、彼女の顔に鮮やかに浮かび上がる。
「で、では、失礼して……。そこの女、腕を上げたまえ」
バルタザールはリゼルの前に立つと、深く頭を下げた。
その背中からは、興奮と期待が渦巻いているのが伝わってくる。
リゼルが羞恥に顔を赤らめながら、おずおずと腕を上げる。
その指先まで、緊張が走っているようだった。
彼女の視線は、床に縫い付けられている。
バルタザールは、無防備に晒されたその脇の下に顔を近づけた。
「すーはー、すーはー……」
深く、深く息を吸い込む音が、静かな部屋に響く。
そして、恍惚とした表情で一言。
その顔は、まるで至上の美味を味わうかのように歪んでいた。
「うっ、これは……く、くっさ♡」
瞬間、リゼルの顔が、羞恥と怒りで爆発するように真っ赤になった。
その頬は林檎のように色づき、目尻にはうっすらと涙さえ浮かんでいるように見えた。全身から湯気が立ち上るかのような怒りが伝わってくる。
「おいおい、バルタザール。女の子に向かって、そんな失礼なこと言うもんじゃないぞ」
黙って見守るつもりだったが、俺は思わず苦言を呈す。
デリカシーがないにも、ほどがあるだろう。
――だから、お前はモテないんだ。
俺がたしなめると、彼は匂い
「こ、これは、私にとって最高の褒め言葉ですぞ! すーはー、すーはー……ううっ、たまらん、くっさ♡」
彼の声は、喜びで震えている。
その声には、一切の悪意はなく、ただ純粋な陶酔だけが込められていた。
……褒め言葉、なのか?
実際、臭いと言いながらも、バルタザールは至福の表情で匂いを嗅ぎ続けている。その顔は恍惚とし、口元は僅かに緩んでいた。
こいつがそう言うのなら、コイツの中ではそうなのだろう。
俺にはよく分からん世界だが、本人が幸せそうなら、それでいいか。
俺は、グレゴールが頭を抱えて天を仰ぐのを横目に、そう結論付けた。
グレゴールの顔には、諦めと絶望が入り混じった複雑な感情が浮かんでいた。
彼は一体、何度この光景を見てきたのだろうか。




