第4話 反乱計画と、魔人との契約
決闘の後、俺は慌ただしく身支度を整えた。
親父から呼び出しがかかっている。
執務室へ向かう足音が、やけに響く。
執務室の扉を開けると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。中央の重厚な机に、父――辺境伯ガイウス・グリムロックが一人、沈痛な面持ちで座っていた。
机上の書類の山が、彼の重責を物語る。
「……まさか、このような結果になるとはな」
絞り出すような声には、隠しようのない失望が滲む。
魔力ゼロの俺が決闘に勝ったことが、よほど気に入らないらしい。
その視線には、期待を裏切られた苛立ちが明確に宿っていた。
「切り替えようぜ、親父。終わったことだ」
どれだけ悲しんでも、兄貴が生き返ることはないんだよ。
俺は努めて軽く、そう言った。
内心の不満を隠し、明るい声で親父を慰めてやる。
辛気臭いのは嫌いなんだ。だが――
「……黙れ、出来損ないが」
俺の言葉に、父の額に青筋が浮かび、低く唸るような声が響いた。人の気遣いを無下にする罵倒に、内心で肩をすくめる。
でも、まあ仕方ないか。
跡取りだった長男を殺しちまったしな。
この程度の悪態で済むなら安い。
俺はそう割り切る。
だが、親父は苦虫を噛み潰したような顔のままだ。
その表情で、忌々しげに俺の後ろを一瞥する。
「……だが、嘆いていても始まらんのは事実。まさかお前が、魔人アシュラフを従えるとはな」
そこに控えるのは、黒の執事服を完璧に着こなした男。
まるで影がそこに立っているかのようだ。
決闘の場で鮮血に誘われるように現れ、唐突に俺へ臣従を誓った『転移』の魔人、アシュラフ。闇色の髪は常に完璧に整えられ、白い肌は透き通るよう。
その目の強膜は不気味なほどに真っ黒で、その中心に金色の瞳が妖しく輝いている。耳の先端はわずかに尖っており、人間ではないことを示唆していた。
(なんでこいつが、俺の部下になってるんだ?)
――いや、出現自体は不思議ではないか。
ゲームでは終盤、劣勢になったゼノスが兄のレオンの首を刎ねて召喚することになるキャラだ。兄を殺したタイミングで出てくるのは不自然ではない。
だが、ゲームで召喚したアシュラフはゼノスに対し従順ではなかった。
アシュラフは魔人勢力のボス「オルカス」をゼノスの前に転移させ、ゼノスのことを殺害するのだ。そして、ゲームの真のラスボス・魔人オルカス率いる魔人勢力と王子との最終決戦が始まる。
この魔人に俺への忠誠を期待しない方が良いだろう。
しかも俺の魔力はゼロ。
こいつが俺に従う理由が分からない。
なんでこいつが、このタイミングで登場することになった?
それは聞いておかないとな。
「親父、こいつは一体何なんだ?」
「その男は……『転移』の魔人だ。空間を操り、あらゆる場所へ瞬時に移動できる。我らが計画に必要不可欠な駒だ」
父は吐き捨てるように言った。
その声には、不本意さが滲む。
なるほど、「計画」ね。
「本来はレオンのしもべとし、我が意のままに動かすはずだった。……勝者に従うという契約だったとはいえ、お前などに……。一体どんなイカサマを使った?」
疑念の眼差しが突き刺さる。
「嘆いていても始まらん」とか言ったくせに、しつこいな。
父の執着に、俺は少々うんざりする。
「切り札の詳細は教えられないな。手品の種を只で教える手品師はいないだろ?」
俺は親父の質問を適当にあしらった。
ニヤリと笑い、余裕を装う。
答えようにも「魔封印」の力は、まだ俺自身も理解しきれていない。
それを親父に悟られたくはなかった。
例えば、一日の使用回数に上限があれば、俺は決闘で死んでいたと思う。
昨夜のことで、奴隷紋を消せたのはわかったが、それ以外の応用方法や、魔力を無効化する以外の効果があるのかどうか、全く不明だ。
だが今はそれより、父の言う「計画」とやらが気になる。
ゲーム知識で大体察しはつくが、念のため確認しておきたい。
「それよりも親父、こいつは本当に信用できるのか?」
俺の問いには答えず、父はアシュラフの方へ視線を向けた。
その目に宿る不穏な光に、俺は嫌な予感を覚える。
「アシュラフよ。今すぐゼノスを殺し、儂に仕えろ」
――ちょ、待てよ。親父。
背中に冷たい汗が伝う。
心臓がドクンと大きく鳴った。
まさか、そう来るとは。
――だが、契約は絶対のはず。
決闘を制した俺との契約を、父の命令で覆せるはずがない。
……と思う。
微かに震える指先――
ここで怯えを見せてはいけない。
俺は平静を保とうと努める。
「……御冗談を。我が主はゼノス様ただ一人。主以外のいかなる命令もお受けいたしかねます」
アシュラフは恭しく頭を下げたまま、感情の読めない平坦な声で拒絶した。その言葉の響きは、まるで氷のようだった。
ふう、と俺は心の中で安堵の息を吐く。
張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
「……無理か。まあ、よかろう。ゼノス、心して聞け。我らグリムロック家は、現王家に対し反旗を翻す準備を整えておる」
(やはり、ゲームのシナリオ通りか)
俺は動揺を見せず、冷静に相槌を打った。
「なるほどな。そのためのアシュラフか」
現王家は、長年の敵国「アドラステア帝国」との和平や、亜人種との協調路線を進めている。帝国との戦争で力をつけたグリムロック家のような武門貴族にとって、それは存在意義を揺るがす死活問題だ。
まだ公式発表されていないが、この方針に反発する貴族は少なくない。
この反乱の動きに対し、ゲームではリアム王子が三年間の学院生活で味方を増やし、反乱を契機として巻き起こる世界大戦を有利に運べるように立ち回るのだ。
俺が転生したのは、王子と敵対するラスボス・ゼノス。となると――
これから俺は「グリムロック陣営」の一員として、反乱勢力の拡大を行えばいいわけだ。
……よし、だいぶ見えてきたな。
俺がこれから辿るべき道筋が、明確になる。
転生した俺が生き残るには――
この反乱を成功に導き、動乱を乗りきる。
「儂は本拠地へ戻り、帝国との戦に本腰を入れる。ゼノス、お前は学院に残り、各地の同志との連絡役を担え。アシュラフの『転移』があれば、不可能ではあるまい」
王家に不満を抱く貴族は多いが、大半は日和見主義者だ。
彼らを繋ぎ止め、情報を統制する。
アシュラフの能力を考えれば、確かに俺でも務まる役目だ。
「――わかったよ。任せとけって」
俺は軽く請け負った。
不安がないと言えば嘘になる。
未来は常に不確実だ。
だが、やるしかない。生き残るために。
「ところで、ゼノス」
父が、探るような目で俺を射抜いた。
その視線は鋭く、俺の心の内を暴こうとするかのようだ。
「昨夜、使用人の奴隷契約が一つ、魔力ごと消失していた。アシュラフとの契約の余波かと考えていたが……貴様の仕業か?」
リーリアのことだ。
さて、どう答えるか……。
俺の『魔封印』が奴隷紋すら消し去る力を持つ――
この秘密だけは、絶対に知られてはならない。
貴族社会の根幹を揺るがしかねないこの力は、諸刃の剣だ。
露見すれば、即座に命取りになりかねない。
「さあな。だが、あの女は俺が貰い受ける。これだけは譲る気はない」
俺は真っ向から父の目を見据えた。
視線をそらすことなく、揺るぎない意思を示す。
父はしばらく俺を値踏みするように見つめていたが、やがて、フンと鼻を鳴らした。その短い息には、諦めと侮蔑が混じっていた。
「……好きにしろ」
そう言い捨てると、父はもう用はないとばかりに手を振った。
執務室を出て廊下を歩いていると、音もなくアシュラフが隣に並ぶ。彼の足音は、まるで存在しないかのように静かだ。
「お見事でございました、ゼノス様。実に堂々とした駆け引き――」
完璧な所作で告げられる賛辞は、しかし、ガラス玉のような瞳と同じく、何の感情も映していない。その声は平坦で、機械的だ。
――うさん臭くて仕方がない。
警戒心が、肌にまとわりつく。
こいつ絶対、俺のことを後ろから刺す気でいるだろ。




