第37話 犬の婚約者と猫の伯爵令嬢
俺は、客人のセシリアとリゼルと共に夕食を済ませ、ゆっくりと風呂に入った後、寝室でくつろいでいた。
広々としたベッドに腰掛ける俺の隣では、同じく腰を下ろした婚約者のセシリアが、幸福に満ちた笑みを浮かべていた。
「ふふっ。この衣装、本当に可愛らしいですわね。ゼノス様は、素晴らしい発想をお持ちです」
彼女が身につけているのは、俺が「こんなこともあろうか」と思い――彼女のために特別に用意した、犬をモチーフにした部屋着だ。
月の光を吸い込むような、オフホワイトのふわふわとした生地。
ぴょこんと立った耳と、動くたびにふりふりと揺れる尻尾がついた、愛らしいデザインだ。その滑らかな手触りは、きっと誰もが触れてみたくなるだろう。
セシリアは、その衣装を心から気に入ってくれたらしい。
くるくるとその場で回り、尻尾が揺れるのを楽しんでいる。
まるで、しっぽを振る子犬のような、無邪気な仕草だ。
その姿に、俺は自然と頬が緩むのを感じた。
そういえば、ゲームシナリオのセシリアは――
リアム王子が掲げる「奴隷制度の廃止」や「亜人種への差別撤廃」といった理想に強く共感し、彼と親交を深めていった。
特に「獣人」との共生には強い関心を持っていたはずだ。
用意したコスプレ衣装をこれほど喜んでくれて、俺もつい調子に乗ってしまった。
「ははは。実は俺も、獣人との共生を目指していてね。いずれは、彼らと対等に――手を取り合える世界を築きたい、と考えているんだ」
口から出まかせの、調子のいいことを口走る。
「まあ! ゼノス様、なんて素晴らしいお考えなのでしょう! もし私にできることがあるのなら、ぜひ協力させてくださいませ!」
セシリアは、深い蒼色の瞳をキラキラと輝かせ、俺の手をぎゅっと握りしめた。
その指先から伝わる熱が、俺の掌にじんわりと広がる。
……しまった。
俺は将来、「現状の制度を維持」することを求める軍事同盟のトップとして暗躍するはずだった。獣人やエルフと殺し合う関係を継続したい勢力だ。
なのに、完全に真逆の目標を口にしてしまったのだ。
一瞬、そう思ったが、すぐに「まあ、いいや」と開き直る。
俺の目的はあくまで「勝利」すること。
セシリアがこれほど喜んでくれるなら、獣人差別の廃止を政策の一つに加えてやってもいいだろう。現に、エルフ族とはすでに同盟を締結したばかりだ。
***
俺はセシリアの衣装の、モフモフとした犬の耳を指で撫でながら、今後の勢力拡大についてぐるぐると考えを巡らせる。しかし、複雑な要因が絡み合い、最終的な結論は出なかった。
まあ、なんとかなるだろう。
俺がそうやって気持ちをリセットしていると――
部屋のドアがコンコン、と控えめにノックされた。
その音は、静かな部屋にやけに響く。
「リゼルか? 良いぞ、入ってこい」
入室を許可したが、なかなか扉は開かない。
しばらくして、意を決したように扉がゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、猫のコスプレをしたリゼルだった。
夜の闇を思わせる、艶やかな黒い生地の部屋着。
頭にはピンと立った猫耳、そして腰からは長い尻尾が伸びている。
彼女は、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら、入り口でもじもじとしていた。
俯いた顔に、長い前髪が影を落としている。
彼女がセシリアよりも遅れてきたのは、いつもの「身体検査」が長引いたためだろう。……いや、セシリアにコスプレ姿を見られるのが恥ずかしくて、入室を躊躇っていたのか?
いずれにせよ、彼女が可愛いことに変わりはない。
「あ、あの……な、なによ、この衣装……。あんたが、どうしても着ろっていうから、仕方なく、着てあげただけなんだからね……っ」
セシリアがこの部屋にいるせいか、リゼルはツンデレの「ツン」モード全開だ。
俺と二人きりの時はいつもノリノリなのに、今日は随分と大人しい。
そんなリゼルを見て、セシリアが「ぱあっ」と目を輝かせた。
「まあ! リゼル様、とっても可愛らしいですわ!」
どうやら、犬好きのセシリアは、猫も大好物だったらしい。
その瞳には、獲物を見つけたような、純粋な好奇心が宿っていた。
俺はベッドから立ち上がると、固まっているリゼルをひょいと横抱きにした。
その体は、想像以上に軽かった。
そしてそのままベッドへと運び、俺の隣にそっと座らせる。
彼女の左右を、俺とセシリアが固める形になった。
「本当にかわいいですわ、リゼル様」
セシリアが、うっとりとした表情で、リゼルの猫耳を優しくもふもふと撫で始める。その指先が、柔らかな毛並みをゆっくりと辿る。
「俺の自慢のペットだからな」
俺がそう言うと、リゼルはカッと目を見開いて激怒した。
「だっ、誰があんたのペットですってー!!」
その抗議の声を、俺は彼女の柔らかい頬にキスをして封じる。
フワリと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
すると、彼女の怒りは一瞬で霧散した。
「ふ、フニャン……ッ!」
リゼルは、猫のような可愛らしい鳴き声を上げ、嬉しそうに顔をさらに赤らめる。
その小さな体が、震えているのが分かった。
「まあ、可愛い」
セシリアも、そんなリゼルの反対側の頬に、ちゅっとキスをした。
俺とセシリアは、まるで貴重な宝物でも扱うかのように、二人でリゼルを愛でた。
彼女の甘くか細い嬌声と共に――
グリムロック邸の夜は、ゆっくりと更けていくのだった。




