第36話 砂漠の星、開演
昨夜の「甘い喧騒」が嘘のように静まり返った朝。
窓から差し込む光が、劇場の埃っぽい空気に穏やかに溶けていた。
俺はまず、劇場の地下で保護していたエルフたちを、故郷である森へと送り届けることから始めた。便利な下僕であるアシュラフが、不敵な笑みを浮かべながら魔法陣を展開し、彼らを光の中へと送り出していく。
その光景は、どこか淡々とした儀式のように感じられる。
念のため、俺自身もエルフの里へ転移した。
胡散臭いアシュラフがエルフたちを適当な場所に放り出さないか、この目で確認するためだ。
森の清々しい空気と土の匂いが鼻腔をくすぐる。
エルフの長エリュシオンに挨拶と報告を済ませると、俺はすぐに劇場へと、とんぼ返りした。
さわやかな朝日が満ちる、劇場のVIPルーム。
そこには、リフィアたち4人とカイルが残っていた。
女性陣は、俺のそばで暮らしたいと強く希望したため、ここに居住することになった。エルフの長からも先ほど、了承を得ている。
一種の人質であり、同盟の証でもある。
さらにもう一人、住人が増えた。
カイルだ。
今朝は魂が抜けたようだったのに、もうすっかり正気を取り戻している。
その瞳には、再び俺への対抗心と警戒の炎がチロチロと燃え盛っていた。
打たれ強く、実にタフな男だ。
……いや、それだけではない。
きっと彼には「才能」があったのだろう。
俺は、彼ら5人に俺が作った魔道具【変身の指輪】を装備させた。
指輪は彼らの指に馴染み、淡い光を放って彼らの見た目を人族の姿へと変えていく。これで、彼らはこの人間社会で人目を気にせず暮らせる。
彼らの当面の任務は、劇場の警備。
特に、オークションで競り落とした「踊り子と歌姫」、ファーマとリーラの姉妹の専属警護を任せることにした。
***
劇場のグランドオープンまで、あとわずか。
その夜、俺はリフィアたちを伴って客席に腰を下ろしていた。最後の仕上がりを確認するためだ。座り心地の良い革張りの椅子。ステージの緞帳に金色に輝くザハラの紋章。
すべてが完璧に思えた。
テーブルに運ばれてきたのは、ザハラの伝統料理をアレンジした品々。
スパイスの刺激的な香りが湯気と共に立ち上り、食欲をそそる。
やがて客電が落ち、ホール全体が静寂に包まれた。
繊細な光がステージに注がれ、神秘的な音楽が響き渡る。
まずは、ファーマを中心とした踊り子たちの、情熱的で妖艶なダンス。
彼女たちの足が床を叩くたび、小さな砂の渦が巻き起こる。
しなやかでありながら力強い動き。
翻る薄衣の赤と橙色は、まるで炎のように揺らめいていた。観る者の魂を揺さぶる、まさに圧巻のパフォーマンスだ。
ダンスが終わると、スポットライトが妹のリーラを捉える。
彼女の銀色の髪が淡く輝いた。
歌い始めると、場の空気は一変する。
月の光がそのまま声になったかのような、儚くも美しい歌声が、ホール全体を優しく包み込む。その歌声は、乾いた砂漠に降る恵みの雨のようだった。
「……素晴らしいですわ」
隣でリフィアがうっとりとため息をついた。
他の3人も感心している。
少し離れた席のカイルでさえ、「……人間の分際で、やるではないか」と、上から目線で称賛を漏らしていた。
これはいける。
俺の直感がそう告げていた。
八十万金貨という重圧が肩にずっしりと圧し掛かる。
この劇場には、きっちりと元を取ってもらわねばならない。
運営が順調にいけば、2年……。
連日大盛況が続くならば、1年で回収できるかもしれない。
否が応でも、期待は膨らむ。
***
そして翌日、劇場型レストラン【砂漠の星】はついにオープンした。
初日から満員御礼。
街の有力者や貴族たちが、こぞって足を運んでくれた。
ホールの喧騒は、上階の俺の部屋にまで微かに届いていた。
昼の部の成功を舞台袖から見届けた俺は、ようやく一息つき、屋敷へと転移した。
俺の世話係であるリーリアとミナはすでに屋敷に戻っており、自室は塵一つなく、綺麗に整えられていた。
窓から差し込む午後の光が、磨かれた床にきらきらと反射している。
ベッドに腰を下ろした、その時だった。
「コンコン」と、控えめなノックの音。
「ご主人様、お客様がいらっしゃっております」
入ってきたリーリアがそう告げた。
彼女の顔には、微かな戸惑いが浮かんでいるように見えた。
客は、俺の婚約者であるセシリア・ヴァーミリオンと、級友の伯爵令嬢のリゼル・ブランシェットだった。
応接室の扉を開けると、まず目に飛び込んできたのは、燃えるような真紅の髪と深い蒼色の瞳を持つセシリア。
彼女は俺の姿を見て、安堵の息を漏らした。
その隣では、鮮やかなピンクの髪をツインテールにした小柄なリゼルが、居心地悪そうにそわそわしている。
どうやら、二人はこの場で偶然鉢合わせたらしく、部屋には気まずい空気が沈んでいた。
***
「すまない、少し待たせてしまったか?」
俺が尋ねると、セシリアは心配そうに微笑んだ。
「ゼノス様……。三日も学校をお休みされていたので、とても心配いたしましたわ。お顔色も……少しお疲れのようです」
彼女の優しい気遣いに、ここ数日の疲れが少しだけ癒える気がした。
「ふ、ふんっ! 別にあんたのことなんか心配してたわけじゃないけど! 何かあったのかなって、ちょっと様子を見に来てあげたのよ。それだけなんだからね!」
リゼルは、顔をそっぽに向けながら、頬を少し膨らませてツンと答えた。
その素直じゃない態度が、彼女らしくて微笑ましい。
「二人とも、ありがとう。見舞いに来てくれたんだな。嬉しいよ」
俺はソファに腰掛け、二人を交互に見た。
「せっかく来てくれたんだ。今日は、泊っていくだろ?」
俺がそう尋ねると、二人は一瞬、お互いの顔を窺うように見合わせた。
セシリアの蒼い瞳が、僅かに戸惑いの色を宿す。
リゼルの深紫色の瞳は、すぐに俺へと向き直った。
そして、小さな声で。
「……え、ええ。よろしければ」
セシリアが頬を染めてそう答えた。
「……そ、そうね。まあ、泊ってあげても、いいけど」
リゼルも顔を赤らめ、ぼそりと呟いた。
その二人の反応に、俺は思わず口元を緩めた。




