第34話 血で結ぶ同盟と姫君の覚悟
俺の言葉に、エルフたちはただ、石像のように唖然としていた。
その沈黙の中、眼下では、俺が召喚した魔物の大群が、漆黒の津波となってブランシュフォール領へと雪崩れ込んでいく。
遠くから響く地鳴りのような地響きは、段々と遠ざかっていき――
やがて喧騒は鳴りを潜め、再び森に静寂が戻る。
この一手がなぜ彼らにとって決定打となったのか?
その理由は、この地域の特殊な地政学にある。
エルフの聖域である森『シルヴァン』は、アースガルド王国の北の果てに広がる。
その南に、長年の宿敵であるブランシュフォール辺境伯の領地が隣接している。
この両者の国境の東には、魔界から絶えず魔物があふれ出す『湧き点』が存在する。この魔物たちは、人間とエルフの区別なく襲いかかり、両者の争いに奇妙な均衡をもたらしていた。
どちらかが相手の陣地へ大軍で攻め込めば、背後から魔物の群れに襲撃される危険性が跳ね上がる。
敵の領内に深入りすれば、最悪の場合、敵と魔物の挟み撃ちで全滅だ。
このため、両勢力は大規模な侵攻を避け、魔物という共通の脅威を過度に刺激しないよう、いわば「不干渉」の均衡を保っていた。
そのおかげで、劣勢だったエルフも滅亡を免れていたが、それは大規模な侵攻がないというだけ。少数部隊によるゲリラ戦は続いており、今回の姫の誘拐もその中で起きたことだ。
そして今、俺が召喚した魔物の群れは、その均衡を破壊する。
ブランシュフォール辺境伯の戦力は大きく削がれるだろう。
近年劣勢だったエルフにとっては、喉から手が出るほど欲しい時間的猶予と、戦術的優位をもたらす。
だが、それ以上に重要なことがある。
俺は、召喚した魔物で「人間の領地」を攻撃した。
この事実が、エルフたちにとって、他のどんな言葉よりも雄弁な「信用」の証となる。同盟は、甘い言葉ではなく、血で結ばれるものだ。
同族である人間の血を流してでも、彼らと手を組むという揺るぎない姿勢。
それを、この一手で示してみせたのだ。
***
エルフの拠点である集落に転移で戻ると、エルフの長エリュシオンは、先ほどとは打って変わって丁重に俺を遇してくれた。
もはや言葉は不要だった。
同盟は、成立した。
俺はエルフという強力な戦力を味方につけた。
だが、失ったものも大きい。
ブランシュフォール辺境伯の兵力だ。
彼らとは、いずれ共に王家を相手に戦ってもらう予定だったのだが……。
まあ、仕方ないか。
オークションの逆恨みで俺の命を狙ってくるような男だ。
信用できるかも分かったものではない。
幸い、魔物の群れを俺が送り込んだことは、辺境伯にはバレていないはず。
何しろ俺は「ゼロの敗北者」。魔力を持たぬ無能者だと侮られている。
疑いを向けられることはない。
状況次第では、まだ彼らと手を組む余地は残されているだろう。
その後、俺の腹の内など知らぬげに、アシュラフは「では、私はこれにて」と適当なことを言って姿を消した。
本当に自由なやつだ。
俺はシルフィアと、そしてなぜかカイルを連れて、劇場の地下へと転移することになった。
カイルを連れてきたのは、劇場に帰還しようとする俺に対し、「この目でリフィア様の無事を確かめるまで、同盟など承服できん! 俺もつれていけ!!」と彼が駄々をこねたからだ。
俺としては、男の手を握りたくないので嫌だったが、そのあまりの必死さに根負けした。仕方なく、彼も劇場まで連れていくことにしたのだ。
***
劇場に帰還した俺たちは、待機していたリフィア姫たちに、事の次第を伝えた。
俺とエルフ族の間に、正式な同盟が成立した、と。
報告を聞き、エルフたちは歓喜の声を上げ、ようやく一息つけると安堵の表情を浮かべる者もいた。
その報告を終え、場が少し落ち着いた、その時だった。
リフィア姫が、すっと立ち上がり、俺の前に進み出た。
その表情は、先ほどまでの安堵に満ちたものではない。
何か、重大な決意を秘めた、神妙な顔つきだった。
その翠玉の瞳には、揺るぎない覚悟の光が灯っていた。
「ゼノス殿」
凛とした声が、静まり返った部屋に、透き通るように響く。
その声には、一切の迷いがなかった。
「助けていただいたお礼を、私たちはまだ何もできておりません。つきましては、お礼と、そして同盟の証として――」
彼女はそこで一度、深く息を吸い込んだ。
そのわずかな間、部屋の空気は張り詰めた。
そして、その美しい翠玉の瞳で、俺を真っ直ぐに見つめて、言った。
「私のことを、貰っていただくことにします」
……ほう。
これはまた、随分と大胆な提案が来たものだ。
エルフの姫を側室に迎え入れれば、同盟はより強固になるだろう。
いや、それどころか、両者の間に確固たる絆を築く、何よりの礎となる。
これは願ってもない申し出だ。
断る理由などない。
俺の背後で、カイルが息を飲む音が、やけに大きく聞こえた。




