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第32話 報われない森の戦士

 五本の鋭い矢じりが、寸分の狂いもなく、俺の心臓へと向けられていた。


 転移直後。

 こんな状況に陥ってしまった。


 凍てつくような殺気が肌を刺し、森の空気がぴりぴりと張り詰める。


 魔人の魔力反応を察知し、ちらっと横目で確認する。

 転移の目印にした執事アシュラフが、森の奥に立っているのが見えた。


 どうやら、転移した場所が悪かったらしい。


 奴はこちらの視線に気づくと、恭しくお辞儀を返してきた。

 この緊迫した状況で、相変わらず呑気なものだ。


(エルフと敵対したくはないんだよな……)


 俺がどうやってこの状況を切り抜けようかと思考を巡らせた、その刹那――


「――ちょっと、待ちなさいカイル! みんなも!!」


 隣にいたシルフィアが、俺の前に両手を広げて立ちはだかった。

 その小柄な背中が、五本の矢から俺をかばう盾となる。


「シルフィア! なぜ、その人間をかばう!」


 リーダー格らしい、金髪のエルフが鋭い声で問いただす。

 カイルと呼ばれたその男は、森の緑に溶け込むような深緑の革鎧をまとい、弓を構えたまま微動だにしない。


「この人は、私たちの命を助けてくれた恩人なの! それに、リフィア様も……姫様はご無事よ! この方がブランシュフォールの手から救い出してくださったの!」


 シルフィアの必死の訴えに、エルフたちの間に動揺が走る。


 姫の無事への安堵と、それを成し遂げたのが、今にも殺そうとしていた目の前の人間だという驚愕。その二つの感情が、彼らの顔に影を落とす森の木漏れ日のように揺らめいた。


 やがて、カイルは苦虫を噛み潰したような顔で、ゆっくりと弓を下ろした。


 弦が静かに緩む音が、緊張した空気に小さく響く。

 それに倣い、他の四人も渋々武器を下げる。


 だが、彼らは警戒を解いたわけではない。


 特にカイルは、親の仇でも見るかのような、獲物を観察する猛禽類のような目で俺を睨みつけている。


 まあ、当然の反応だろう。


 人間とエルフは、長い年月にわたって血を流しあってきた。

 突然森のど真ん中に現れた俺を、すぐに信用しろという方が無理な話だ。


 それでも、姫の安否とシルフィアの証言は大きかったらしい。


 俺は、彼らの長であるエリュシオン・エルフヘイムと面会させてもらえることになった。


 これも当然だ。


 彼らの姫を含めた二十数名の同胞の身柄は、今も俺が預かっている。

 話を聞かないという選択肢は、彼らにはない。



 ***


 前後を屈強なエルフの戦士たちに囲まれながら、俺たちは森の奥深くへと進んでいく。木々の間を縫うように進む道中、足元の腐葉土が踏みしめられる音だけが静かに響いた。


 移動中、俺は小声でシルフィアに、先ほどのカイルという男について尋ねてみた。


「リフィア様の幼馴染で、森一番の戦士です」


 シルフィアの説明によると、カイルは短く切り揃えられた金色の髪と、リフィア姫と同じエメラルドグリーンの瞳を持つ、爽やかな好青年だ。


 しかし、エルフとしては珍しい鍛え抜かれた筋肉質の体格をしており、彼の左腕に巻かれた革のリストバンドが、隆起した力こぶを強調していた。


 彼が実戦的な戦士であることを物語っている。


 その能力も卓越しており、弓術と剣術の両方に優れ、森の中でのゲリラ戦を得意とする。樹木や草花を足場に素早く移動したり、風の音や鳥の鳴き声に紛れて行動したりする能力にも長けているらしい。


 まさに森の申し子、といったところか。


 そして、リフィア姫とは幼馴染で、かなり仲がいいらしい。


「……もしかしたら、将来『つがい』になるのではと、私は睨んでいるのですが」


 シルフィアが、声を潜めてそんなことを付け加えた。


 その時だった。

 前を歩いていたカイルが、忌々しげに振り返る。彼の瞳が鋭く光った。


「シルフィア! 敵に余計な情報を渡すな!」

「だ、だから敵じゃないってば!」


 シルフィアは頬をぷくっと膨らませる。

 カイルが怒っているのは、リフィアとの仲を勘繰られたことへの照れ隠しなのだろうが、どうやらシルフィアはそのことには気づいていないらしい。


 仲間同士の微笑ましいやり取りを聞きながら――

 俺はふと、ある疑問を感じていた。


 

 ***


 俺が知るゲームの物語では、リフィア姫は、シナリオ次第で最終的にリアム王子と政略結婚することになる。


 おそらく、辺境伯アルビオンに囚われていたところを、誰かが無事に助け出したのだろう。そして、その功労者は、本来なら姫を助け出そうとしていたカイルたちだったはずだ。


 俺が介入しなくても、隠密行動に長けたカイルの部隊が、いずれ彼女を救出していたに違いない。


 だが、ゲームのシナリオ通りなら、この先――

 リフィアは王国の王子と結ばれる。


 ゲームには「カイル」という名のキャラクターは、そもそも登場しないのだ。

 リフィアがリアム王子以外と結婚するシナリオは存在しない。


 つまり、お姫様を命がけで助け出したはずの彼は、どのルートを選ぼうがリフィアと結ばれることはない、ということになる。


 ……なんてこった。

 こいつ、報われないヒーローじゃないか。


 俺は思わず、同情を込めた生暖かい目で、カイルの背中を見つめてしまった。


 その視線に気づいたのか、カイルが再び振り返り、牙を剥いた。


「……なんだ貴様、その目は? 殺すぞ!!」

「ああ、悪かったな」


 突然の暴言にも、俺は素直に謝った。

 不憫な男に鞭を打つ趣味はない。


「カイル! ゼノス殿に無礼よ!」


 シルフィアがカイルを嗜めるが、俺は「気にしていない。大丈夫だ」と手を振り、逆にカイルをかばってやった。


 俺の大人な対応に、カイルはますます苦々しい顔で前を向いた。


 

 ***


 そうこうしているうちに、俺たちはエルフの長の元へとたどり着いた。


 そこにあったのは、森の木々をそのまま住居として利用した、幻想的な集落だった。巨木の幹に穿たれた扉、蔦で編まれた吊り橋、葉の隙間から差し込む光に照らされる木造の家々。


 様々な部族のエルフたちがこの村に集結し、結束して人間との永い戦いを繰り広げているのだ。


「結構、デカいな……」


 その壮大な光景に、俺は思わず呟いた。


 俺は早速、村で一番大きな樹の中にある広間へと通された。


 広間は木組みの壁に囲まれ、中央には苔むした石の暖炉がある。天蓋のように枝葉が広がる天井からは、木漏れ日が柔らかな光の筋となって降り注いでいた。


 広間の最奥。

 玉座のような椅子に、一人の老エルフが座っていた。


 彼こそが、エルフ族の長、エリュシオン・エルフヘイム。


 その白い髪は長く、流れるような美しさを持つが、その中には時間の流れを示すように、わずかに若葉のようなものが混じっている。


 リフィアと同じエメラルドグリーンの瞳は、森の古木のように深い知恵と、歴史の重みを宿していた。質素ながらも高貴な装束をまとい、手には森の生命力を象徴するような、蔦の絡まった杖を携えている。


 年齢は数百年を超えているとされ、肉体的な衰えは感じられない。

 むしろ、年輪を重ねた古木のような精悍さが漂っていた。


 だが、その表情には、長年続く人間との抗争による疲労と、深い憂いが、年輪のように深く刻まれていた。


 彼が、静かにその口を開いた。その声は、森の奥深くから響く風の音のように、穏やかでありながら、芯の通った威厳に満ちていた。


「……まずは、我が同胞たちを救出してくれたことに、心から礼を言う。して、人間よ。本日はどのような用件で、この『シルヴァン』へ参られた?」


 その声には、威厳と明確な警戒の色が滲んでいた。


 さて、ここからが交渉の時間だ。

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