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第29話 囚われの姫と転移の魔法陣

 ブランシュフォール辺境伯の屋敷に潜入する、三時間前のことだ。


 俺は、劇場の地下で、グリムロック邸を襲撃してきたエルフたちから詳しい事情を聞き出していた。


 外では夜の帳がすっかり降りている時間帯、執務室のランプの明かりだけが頼りだ。彼女たちはまだ震えが残る体で、それでも必死に言葉を紡ぐ。


 リーダー格のシルフィアは、潤んだ翠色の瞳を伏せ、微かに震える声で語ってくれた。その声には、長年の苦しみと、それでも希望を捨てきれないかすかな願いが混じっていた。


 彼女たちの故郷であるエルフの森「シルヴァン」は、長年アースガルド王国のブランシュフォール辺境伯家と熾烈な交戦状態にある。


 そして、彼女たちはその戦いの中で捕らえられた戦争捕虜だった。



 ブランシュフォール家は、捕らえたエルフ族の姫、リフィア・エルフヘイムの命を盾に、シルフィアたち五人に奴隷契約書へのサインを強制した。


 辺境伯アルビオン・ブランシュフォールから下された命令は、ただ一つ。

 俺、ゼノス・グリムロックを殺すこと。


 その手口も、極めて悪辣なものだった。

 五人同時に屋敷に潜入し、一番最初に俺を発見した者が、その場で「自爆魔法」を使い、俺を道連れに死ぬようにと命令を受ける。


 そうすれば、人質である姫の命は助けてやると約束されたらしい。


 まあ、十中八九、守られることのない嘘の約束だろうが、エルフたちはその言葉を信じるしかなかったのだろう。絶望的な状況下で、彼らに残された唯一の希望だったに違いない。


 つまり、俺が屋敷の庭に転移で突然現れたのは、辺境伯にとっても完全な想定外だったわけだ。


 シルフィアたちは命令通り、俺を発見した瞬間に自爆魔法を発動させた。

 だが、そのすべては俺の【魔封印】によって不発に終わる。


 結果として、彼女たちの命も救われた。

 皮肉な話だ。


 俺にとってはたまたまとはいえ、彼女たちを死の淵から引き上げた形になった。



 ***


 すべての話を聞き終えた俺は、すぐさま下僕の魔人アシュラフを呼びつけた。


「姫の捜索を命じる。ブランシュフォール辺境伯の屋敷に忍び込み、リフィア姫の居場所を突き止めろ」


 俺自身はブランシュフォールの屋敷に行ったことがない。

 転移先として座標を固定できないため、直接乗り込むことは不可能だった。


 転移の魔人であれば、辺境伯領への転移も、厳重な警備が敷かれているであろう屋敷への侵入も造作ないはずだ。


 完璧に着こなした執事服を乱すことなく――

 アシュラフは無言で深々と頭を下げた。


 その動きには一切の無駄がない。

 風もないのに、彼の周囲の空気がわずかに震えたように感じた。



 アシュラフが偵察に向かい、連絡を待つ間、俺もただ遊んでいたわけではない。


 シルフィアたちが使おうとして不発に終わった「自爆魔法」。

 その魔法を見たときに大体の構造を読み取っていたので、不明瞭な部分を補足してコピーしていた。


 魔力の流れ、術式の構成、その全てを頭の中で完璧に再構築していく。

 さらに、そこに俺なりの改良と応用を加え、新たな魔法を構築する。


 対象の体内に魔力を注ぎ込み、任意の時間経過後に爆発させる、遠隔操作式の「時限式爆裂魔法」だ。


 これは色々と使い道がありそうだ。

 悪趣味な遊びにも、実戦にも、その用途は無限に広がっている。


 

 ***


 そうこうしているうちに、アシュラフから念話で連絡が入った。

 脳内に直接響く、抑揚のない声。


 『ゼノス様、姫君の居場所を特定いたしました』


 その一報を受け、俺はアシュラフの魔力反応を頼りに、彼の元へと転移した。

 意識が暗転し、次の瞬間、冷たい石の床が足裏に触れる。


 あたりはひんやりとした空気に満ちていた。


 ――そして、見事に警報に引っかかった、というわけだ。


 直後に耳をつんざくような警報音が鳴り響き、辺境伯邸の地下に俺は降り立った。 

 金属がぶつかるようなけたたましい音が、俺の鼓膜を叩く。



 ***


 そして現在。


 時限式爆裂魔法でベヒーモスを木っ端微塵に吹き飛ばした後、血と肉片が散らばる通路を抜け、俺はエルフたちが囚われている牢屋へと向かっていた。


 警報が鳴りやんでから久しいが、人間の警備兵が地下に降りてくる気配はまったくない。しんと静まり返った通路に、俺の足音だけが規則的に響く。


 湿った土と鉄の匂いが鼻をつく。


 どうやら侵入者の始末は、完全にあの魔獣に任せっきりにしていたらしい。

 下手に警備兵を投入するとあの魔獣に食われてしまうのかもしれない。


 あの魔獣には敵味方を区別する知能はなさそうだったしな。

 こちらとしては好都合だ。


 シルフィアから聞いていた、姫が囚われているというおおよその場所。その区画で、ひときわ頑丈そうな鉄格子の牢を見つけた。

 分厚い鉄扉には、いくつもの厳重な閂がかけられている。錆び付いた鉄の臭いが、さらに濃くなった。


 俺は念のため、中にいるであろう人物に声をかける。


「リフィア姫でお間違いないでしょうか。シルフィアからの依頼で、救出に来ました」


 牢の奥の暗がりで、人影がピクリと動いた。

 小さな物音が暗闇に吸い込まれていく。微かに聞こえる衣擦れの音。


 俺はアシュラフから受け取った鍵束で、重々しい錠前を開ける。鍵穴に差し込まれた古びた鍵が、がっちりと嵌まっていた錠を外す。


 ギィィ、と錆びついた蝶番が耳障りな音を立て、鉄格子の扉がゆっくりと内側に開いた。湿った空気が顔を撫で、微かなカビの匂いがした。


 中にいたのは、長く流れるようなプラチナブロンドの髪を持つ、一人の女性だった。薄汚れた衣服をまとっていてもなお、その気品と美しさは隠しきれない。


 顔には煤がつき、髪は乱れているが、その佇まいからは高貴な血筋が感じ取れた。疲弊しきった様子だが、その翠色の瞳には強い意志が宿っている。


 彼女こそが、エルフの姫、リフィア・エルフヘイム。


 俺はアシュラフに目配せし、他のエルフたちの救出を命じた。

 アシュラフは無言で頷くと、奥の牢へと迷いなく歩みを進めた。


「シルフィアが……?」


 リフィア姫は、助けに来たのが屈強なエルフの戦士ではなく、敵であるはずの人間の男だったことに、ひどく戸惑っているようだった。


 その美しい翠色の瞳が、不安げに揺れている。

 彼女の困惑は当然だろう。


 俺は、その揺らぎを前に、静かに口を開いた。


「詳しい話は後ほど。今は、皆でここから脱出することを優先しましょう」


 俺がそう言うと、彼女は状況を察したのか、小さくこくりと頷いた。

 彼女の表情に、微かな安堵が浮かんだように見えた。



 やがて、アシュラフが他の牢から解放したエルフたちを連れて戻ってきた。


 その数、十七名。

 通路の奥から、くたびれた様子のエルフたちが次々と姿を現す。


 彼らの顔には疲労と恐怖が刻まれ、怯えたように周囲を見回している。


 シルフィアたちから聞いていた捕虜の数よりも、かなり少ない。


 牢の中には、すでに息絶えている者もいた。

 冷たい石床に横たわる亡骸が、この場所の過酷さを物語る。


 腐敗臭が微かに漂い、この屋敷の闇の深さを感じさせる。


 おそらく、ほとんどがあの魔獣のエサにされたか、あるいは別の非道な実験の犠牲になったのだろう。胸糞の悪い話だ。



 ***


 さて、問題はここからだ。

 十七名ものエルフを、一人ずつ転移させて劇場の地下に連れて行くとなると、かなりの時間がかかる。アシュラフと二人掛かりでやってもだ。


 ベヒーモスとの戦闘音が停止してから、もうずいぶん経つ。

 流石にそろそろ、屋敷の主や警備兵が様子を見にこの地下に降りてくるかもしれない。僅かながら、焦りのようなものが胸に広がる。


 そう考えていた時だった。

 アシュラフが恭しく一歩前に出た。


 彼の視線は、既に脱出経路を計算しているかのようだった。


「では、このエルフの方々は、私めの転移にてお送りいたしましょう。ですが、私の魔法はゼノス様には効果がございません。大変恐れ入りますが、ゼノス様は自力でお戻りいただけますでしょうか」


 アシュラフはそう言うと、何もない石の床の上で、自らの魔力を集中させた。

 彼の足元から、青白い光がじんわりと広がり始める。


 複雑な幾何学模様と古代ルーン文字が、魔法陣として浮かび上がり、床に刻まれたように輝き出す。その光は次第に強さを増し、周囲の暗闇を照らし出した。


 その魔法陣がエルフ全員を覆うと、彼は静かに、だが確かな声で呪文を唱えた。


「――集団空間転移マス・テレポート


 眩い光が一同を包み込んだ。


 目を細めるほどの輝きが消えた次の瞬間、アシュラフと十七名のエルフたちは、まるで最初から存在しなかったかのように、跡形もなくその場から消え去っていた。


 後に残されたのは、冷たい石の床と、微かに残る魔力の残滓だけだ。



 ***


 へえ、魔法陣、か。

 一度に大勢を転移させられるとは、便利なものだ。


 正直、少し羨ましくもある。


 俺も試しに、足元に魔力を集中させ、同じように魔法陣を展開してみようとした。


 しかし、俺の足元に集まった魔力は、陣を描く前に【魔封印】の特性によって霧散してしまう。薄い霧のように、魔力が空間に溶けていく。


 どうやら、俺の体質とは相性が悪いらしい。


 俺の能力の根幹が、魔法陣の構築を阻害する。


「……ちっ」


 舌打ち一つ。

 仕方なく、俺はいつも通り、普通に転移を発動させた。


 視界が歪み、一瞬の浮遊感の後、俺はエルフたちが待つ劇場の地下へと無事に帰還したのだった。


 地下室特有の、埃っぽい空気と湿り気が鼻腔をくすぐる。


 もう夜は明けたらしい。

 地上から差し込む僅かな光が、劇場の床をぼんやりと照らしていた。

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