第28話 地下の番犬と爆裂魔法
転移魔法を使った瞬間、空気が一変した。
辺境伯アルビオン・ブランシュフォールの屋敷地下施設。
目の前には、薄暗く、どこまでも続くかのような広大な空間が広がっていた。
湿気を帯びた石の匂いが鼻を突き、天井はまるで巨大な教会のようで、その高さに思わず見上げてしまう。
「ほう。屋敷の地下に、よくもまあこんな大層なものを作ったな」
古代遺跡を思わせるスケールに、素直な感嘆が漏れた。
高い天井を見上げていた、その時だった。
『ヴーーーーーーッ! ヴーーーーーーッ!』
けたたましい警報音が、地下施設全体に響き渡る。
壁に取り付けられた魔導灯が、警告を示すように赤く明滅し始めた。地下の深淵から響く不気味な警告音に、一瞬、心臓が跳ねる。
「えっ? うそ、なんで!?」
俺は本気でパニックに陥った。
おかしい。
なぜ侵入が察知された!?
事前に偵察として潜入していたアシュラフからは、警報装置に関する報告は受けていない。地下施設に防犯装置はないものと思っていたが……。
「流石はゼノス様。あえて自らの存在を隠さず、こうして堂々と敵陣に乗り込むとは。その圧倒的な自信と豪胆さ、このアシュラフ、恐れ入りました」
隣では、アシュラフが涼しい顔で優雅に一礼する。
透き通るような白磁の肌に、黒い執事服がよく似合っている。
いや、「恐れ入りました」じゃねーよ。
何だよその胡散臭い笑みは――
今すぐ引き裂きたい。
というか、こういう重要なことは最初に注意しろ!
相変わらず食えない奴だ。
俺の下僕である転移の魔人、アシュラフ。
見目麗しい青年の姿に執事服という、いつも通りの完璧な出で立ちだ。漆黒の髪は一筋の乱れもなく、黒い強膜に縁どられた金の瞳が、面白そうに俺を見ている。
どうやらこいつは、古代魔法で自らの気配を完全に遮断していたため、この屋敷の警報装置には引っかからなかったらしい。
俺は急いでアシュラフの使っている魔法の構造を解析し、即座にコピーして自分の気配を消した。
だが、時すでに遅し。
一度鳴り響いてしまった警報は、もう止まらない。
地下空間に赤く明滅する光が満ち、警報音が耳朶を打ち続ける。
警報が鳴っていると、落ち着かない。
(やましいことをしていなくても、ソワソワしてしまう)
内心では滝のような冷や汗をかきながらも、俺は「すべて想定通りだ」と言わんばかりの余裕の表情を顔に貼り付けた。
「まあ、な。チマチマと雑魚を一匹ずつ潰していくのは性に合わん。こうして大物を一気に引っ張り出すのも、また一興よ」
大嘘である。
完全に俺のミスだ。
俺は不敵な笑みを保ったまま、内心の焦りを押し殺して周囲を警戒する。
乾いた石の匂いの中に、血のような鉄の匂いが微かに混じり始めた気がした。
地下施設には、壁に沿って無数の鉄格子が並んでいた。
錆びた扉の向こう、薄闇の中に、見知った姿――
やつれたエルフたちが、力なく閉じ込められている。鎖に繋がれた手足、希望を失った瞳が、赤く明滅する警報の光に照らされては消える。
辺境伯アルビオンの領地は、エルフたちが住む「エルフの森・シルヴァン」と隣接している。
この家は王家から、エルフの侵攻を阻止し、逆に森へと攻勢をかける最前線の役割を担っているはずだ。
生け捕りにした敵兵を、捕虜として収監しているのか?
だが、それにしても数が多すぎる。
しかも、わざわざ自分の屋敷の地下にこれほどの施設を造る意味が分からない。
まるで、何らかの「実験」にでも使っているかのような、不気味な雰囲気が漂う。
空気が重く、冷たい。
***
それにしても、おかしいな。
警報が鳴り響いているのに、警備兵の影一つ見えない。
人の気配が、ほとんど感じられない。
代わりに、奥から奇妙な音が響く。
地下施設の奥、深淵のような暗闇から、地響きと共に巨大な影が姿を現した。
ズシン……ズシン……と一歩進むごとに、床が震える。
その音は、まるで地下の底から這い上がってくるような、重苦しい響きだ。
山のような巨体。
黒曜石のように硬質な皮膚が、魔導灯の赤い光を鈍く反射する。
伝説級の魔獣、ベヒーモス。
先日オークションで見た個体よりもさらに一回り大きく――
その威圧感は段違いだ。
(なるほど。ここのエルフたちは、こいつの「エサ」か……)
胸糞の悪い話だ。
吐き気が込み上げるような不快感が俺の心を占めた。
俺は右手に魔力を集中させる。
ヴォン、と空間がわずかに震えるような低い振動音が響き、掌に淡い光が灯る。
「まずは、あのデカブツを仕留めるか」
その言葉が合図だったかのように、魔獣が動いた。
ドッ!!
巨体からは到底想像もできないような速度。
まるでその姿が残像のように消え、一直線にこちらへと突進してくる。
床が激しく震え、周囲の空気が一瞬で圧縮される。
対する俺は、「本当に」消える。
得意の転移魔法を使い、ベヒーモスの背後、奴がやってきた施設の奥へと一瞬で跳んだ。
視界が変わり、背後からあの巨体が迫る感覚が消える。
標的を完全に見失った魔獣は、急ブレーキをかけて立ち止まり、困惑したように周囲を見回す。その巨体が揺れるたびに、床が軋む。
だが、それも一瞬のこと。
すぐに俺の存在に気づき、黒い瞳がこちらに狙いを定めた。
(臭いで気づいたか。いや、気配は消してある。……だとすれば)
俺の周囲は魔封印の影響で「魔力反応の空白地帯」ができている。
それを嗅ぎ取ったのか?
見た目に反して、鼻が利くらしい。
俺は身体強化の魔法を発動させ、施設のさらに奥へと向かって全力で走り出した。
脚が地面を蹴るたびに、体から熱が発散されるのがわかる。
しかし、直線距離での純粋な速さは、身体強化を使った俺よりも魔獣の方がわずかに上だった。
ぐんぐんと距離を詰められ、地響きが背後から迫る。
そして、俺はあっという間に行き止まりの壁へと追い詰められた。
冷たい石の壁が背中に当たる。
絶体絶命。
魔獣の突進が、その鼻先まで迫る。
荒い息遣いと、獣臭が皮膚を刺す。
その寸前、再び転移を使った。
移動先は、この地下空間の天井付近。
俺の真下を、巨大な質量が轟音と共に通り過ぎていく。
風が唸り、地面が大きく揺れる。
ゴッッッ!!!
鈍く、重い衝突音が響き、壁に激突したベヒーモスが、苦悶の叫びを上げた。
凄まじい振動が、施設全体を揺るがし、頭上から砂埃が舞い落ちる。
これで動きが一瞬止まる。
好機だ。
俺は重力に従って落下し、もがく魔獣の背中の上へと着地した。
その分厚く硬質な皮膚の感触が、足裏に伝わる。
そして、落ちると同時に、膨大な魔力を込めた手刀を、その分厚い皮膚の隙間へと深々と突き刺す。
ずしゅっ!!
という音と共に、生暖かい嫌な感触が這い上がってくる。
俺の固有能力【魔封印】は、魔力の放出を妨げるという厄介な特性を持つ。
だが、対象と直接接触さえすれば、こうして直接魔力を流し込むことが可能だ。
俺は手刀に込めていた膨大な魔力を、一滴残らず魔獣の体内へと流し込んでやった。魔力が侵食する感覚が、手から伝わる。
「グオオオオオオッ!!」
背中に乗った俺を振り払おうと、ベヒーモスが狂ったように暴れ出す。
その巨体が左右に大きく揺れ、俺の身体が弾かれそうになる。
ここでロデオに付き合う気はない。
俺は再び転移を使い、魔獣から一気に距離を取った。
魔獣は視界内に転移した、俺の姿を捉える。
その凶悪な瞳が俺を睨みつける。
だが、俺はもう逃げなかった。
その場で敵を見据え、余裕の表情で立ち尽くす。
魔獣が、俺を攻撃しようと渾身の力を込めて、一歩を踏み出した。
その巨体が、再び地響きを立てる。
「お前はもう、死んでいる」
俺の言葉が響くと同時だった。
ベヒーモスの巨体が内側から赤く発光し始める。
皮膚の下で血管が脈打つように、赤い光が蠢く。
次の瞬間、凄まじい轟音と共に爆発四散した。
爆風が地下空間を襲い、衝撃波が壁を震わせる。
耳鳴りがするほどの爆音。
俺が流し込んだのは、高密度の時限式爆裂魔法だ。
なぜ時限式にしたかと言えば、すぐに爆発させると、術者である俺自身が爆風に巻き込まれてしまうからに他ならない。
あの爆発に巻き込まれたら、人の肉体などひとたまりもない。
「お見事でございました。流石はゼノス様」
肉片の雨が降り注ぐ中、今頃になってアシュラフが音もなく姿を現した。
その執事服に、血しぶき一つ付いていない。
……こいつ、ひょっとして俺があの魔獣に殺されるまで、安全な場所で隠れている気だったんじゃないだろうな。
文句の一つも言いたいところだが――
ここでそんなことを口走っては、ただの小物だ。
俺は内心の不信感を押し殺し、さも当然といった風にアシュラフに声をかけた。
「まあ、な。で、お前の方の首尾はどうだ?」
特にこいつに何かを命じたわけではないが、なんとなく格好良さそうな決め台詞を、それっぽく言っておいた。
「はっ。ゼノス様が魔獣の気を引いてくださっている間に、牢の鍵を見つけておきました。こちらに」
(ああ、こいつ、鍵を取りに行ってたのか)
でも、主人の戦いに加勢する方が優先度は高いはずだよな。
と内心で疑問に思いながらも、俺はアシュラフを咎めない。
だって、その方が格好がいいから――
「ご苦労」
アシュラフが差し出した古びた鍵束を受け取ると、金属がぶつかり合う鈍い音がした。錆びついた鍵の感触が指に伝わる。
俺はエルフたちが閉じ込められている牢屋の方へと、ゆっくりと歩き出した。
牢獄の奥からは――
怯えたエルフたちの視線がこちらに向けられているのがわかる。




