第26話 金策と刺客
「う~ん、この後どうするかな~~」
深夜、寝室のベッド縁に腰掛けた俺は、深く長い溜息をついた。
ひんやりとしたシーツの感触が、手のひらから伝わる。
サイドテーブルの上には、100枚ほどの金貨が、月明かりを反射して、わずかに寂しい輝きを放っている。これが、俺の裁量で動かせる全財産だ。
数時間前まで、俺には十分すぎるほどの軍資金があった。
それが、たった一夜の狂宴で、ほとんどすべて使い果たされてしまったのだ。
反乱計画と準備に使うはずだった莫大な資金を、たった二人の少女――
踊り子と歌姫の姉妹を購入するために、惜しみなくつぎ込んだ。
我ながら、何をやっているんだか。
俺は細かいことを気にしない、おおらかな性格だと自負している。
だが、さすがに今回の失態は気にしないわけにはいかなかった。
組織のトップが資金を使い込み、計画を頓挫させるなど、あってはならないことだ。寝室の重厚な絨毯が、俺の自責の念を吸い込んでいくかのようだ。
まあ、無くなったものは仕方がない。
いつまでも落ち込んでいても金が湧いてくることはないのだ。
「とにかく、資金は確保しないとな」
そう、まずは金策である。
俺はいかにして金を効率よく稼ぐかを真剣に考えつつ、手に持った金貨を、目の前に差し出されたふくよかな胸の谷間にそっと差し込んだ。
むにゅん。
硬貨が柔らかな肌の間に吸い込まれていく感触が、指先に生々しく伝わる。
リーリアの体温が微かに金貨に移っていくかのようだ。
「あの、ご主人様……これは、一体?」
俺の目の前には、バニーガールの衣装を身につけたリーリアが、両腕で自らの豊かな胸を持ち上げ、困惑した表情で立っていた。
時刻は深夜、良い子はとっくに夢の中――
もう一人の専用奴隷メイドであるミナは、自室ですやすやと眠っているはず。
俺はもう一枚金貨を取り出し、再びその渓谷へと投下しながら、名案を口にした。
「劇場の地下で行う新しい催しを考えている。バニーの格好をしたリーリアの胸に、客がチップとして金貨を挿入していくイベントはどうだろうか? イベント名は『おっぱい貯金箱』だ」
一瞬の沈黙が、寝室に満ちた。
リーリアの大きな瞳が、困惑から憐れみに変わるのが見て取れる。
「正気でございますか? ゼノス様」
即答だった。
その声には、憐れみと戸惑いが半々に含まれている。
この寝室には俺の専用奴隷しか入れない。
俺にとって特別な存在だと自覚してきたのだろう。
リーリアは、この寝室の中でだけは、遠慮のない率直な物言いをする。
「よほど辛いことがおありだったのですね……。おいたわしや、ご主人様」
リーリアはうっすらと目に涙まで浮かべている。
その瞳は、まるで悲しみに暮れる小動物のようだった。その健気な姿に、俺の胸に微かな罪悪感が芽生える。
彼女の的確なツッコミと心からの慰めを聞いて、俺も少し冷静になった。
そうだよな。
この集金方法では、オークションで失った八十万金貨を集めることは到底できない。時間をかければ可能かもしれないが、一体何年かかることか。
……だが、待てよ。
何も、リーリア一人にすべてを背負わせる必要はない。
そうだ、俺には頼れる仲間がたくさんいるじゃないか。
ミナやリゼル、王女エレノアに、俺の婚約者であるセシリア。
みんなで協力すればいい。
だが、ミナとリゼルの胸は、残念ながら平坦な大地のように穏やかだ。
チップを挟む隙間すらない。
戦力としては期待できないか……。
セシリアは「並み」といったところで、やや心もとない。
大金を稼ぐには爆発力に欠ける。
そうなると、戦力になるのは……王女エレノアと、このリーリアだけ。
二人だと、やはり厳しい。
八十万金貨の壁はあまりにも高い。
……いや、待て。
俺にはもう二人、新たな仲間がいるじゃないか。
オークションで手に入れた、あの姉妹。
ファーマとリーラ。
妹のリーラは貧乳だった記憶があるが、姉のファーマはなかなかのものだった。
うん、彼女は十分な戦力になるだろう。
三人なら――
あるいは。
よし、明日さっそく彼女たちに打診を……。
そこまで考えた時だった。
脳の奥底、普段は静かな空間に、微かな警告音が響いた。
チリチリとした、嫌な予感が背筋を走る。
まるで、遠くでガラスが割れるような、不吉な音だ。
グリムロック邸には、既存のものに加え、俺が開発した最先端の防犯装置が多数設置されている。
広大な敷地の結界に侵入者があれば、屋敷の主である俺と、詰所に常駐している警備員だけが、その異変を即座に察知できる仕組みだ。
そして不審者が屋敷の建物内にまで侵入すれば、けたたましい警報が鳴り響き、ミナたちも叩き起こすことになる。
俺の表情がスッと消えたことに、リーリアが気づいた。
「ご主人様……? そこまでお金にお困りなのですね。わかりました。私、やります。この身、この胸で、金貨をたくさん稼いで見せますとも!」
決意を固めたように、ぐっと胸を張るリーリア。
その声には、健気な覚悟がにじみ、その瞳には献身の色が強く宿っていた。
俺はそんな彼女の口に、そっと人差し指を当てて制した。
「侵入者が入り込んだようだ。静かに、ここで待っていろ」
有無を言わさぬ声色に、リーリアはこくりと頷いた。
その瞳に、一瞬の不安と、そして確かな信頼の色が浮かぶ。
俺は次の瞬間、音もなくその場から姿を消し、庭園の闇の中へと転移した。
***
夜の庭園は、月明かりと影のコントラストが深い。芝生を踏むブーツの音が吸い込まれるほどの静寂の中、かすかな土の匂いが鼻腔をくすぐる。
月明かりが照らす芝生の上に、五つの人影が浮かび上がっていた。黒い衣をまとった彼らは、闇に溶け込みながらも、その存在感を放っている。
ばらけずに一カ所に固まっていて助かった。
これなら、俺一人で対処できる。
侵入者は五人とも、かなりの魔力を秘めている。
その練度は、王子リアムや王女エレノア、それに俺の婚約者であるセシリアに匹敵するレベルだ。
つまり、侵入者五人の魔力は、この世界の「人間」という種族におけるトップクラスと見ていい。
そんな規格外の猛者たちが、五人も揃ってコソ泥などするわけがない。
目的は、窃盗ではない。
俺が姿を現した瞬間、五人の殺気が膨れ上がった。
ひりつくような空気が肌を刺す。
まるで鋭利な刃物が首筋に突きつけられたような、冷たい感覚。
「突然現れたぞ」「――なんだ、こいつは?」
「おい、こいつ……ターゲットだ」「魔力反応はない、たしかにゼロの敗北者」
「こいつを仕留めれば、姫様は……」
「手筈通り、やるぞ……」
途切れ途切れの会話。
声からして、五人は全員女性のようだ。
そして、「姫様」ときたか。
どうやら、何か複雑な訳ありの連中らしい。
まあ、いい。
事情聴取は、すべてが終わってからで。
***
五人の魔力が、一斉に爆発的に膨れ上がった。
足元の芝生が、魔力の奔流に揺らぐ錯覚さえ覚える。
大気が震え、遠くの木々の葉がざわめくような音が響く。
それぞれの両手に、眩いほどの魔力が収束していく。
それはまるで、自らの生命力そのものを燃料にして絞り出すような、無謀な魔力の抽出法だった。
彼らの顔に、苦痛と覚悟の表情が浮かぶ。
その瞳の奥には、狂気にも似た光が宿っている。
(おいおい、無茶すんなよ。そんなことをすれば、ただじゃ済まないぞ)
リーダー格らしき女の「かかれッ!」という鋭い号令が、夜の静寂を切り裂いた。
五人が同時に俺へと肉薄し、その手刀を放ってきた。
風を切る音が耳元を掠める。視界の端で、五つの影が同時に迫る。
回避も防御も間に合わない、全方位からの完全なる必殺の一斉攻撃。
だが、俺は避けない。
俺はただ、静かに意識を集中させ、自らの能力――
【魔封印】の範囲を、円状に広げた。
フッ、と。
世界から音が消えたかのような一瞬。
まるで時間が止まったような、奇妙な手刀静けさ。
五人がその手刀に宿していた膨大な魔力が、俺の領域に触れた瞬間、まるで熱された水滴が鉄板に落ちたかのように、シューッと音もなく掻き消えた。
彼らの顔から、血の気が引いていくのが見て取れる。
生命力まで注ぎ込んだ彼女たちの渾身の一撃は、俺に届く寸前で不発に終わり、推進力と存在意義を失った攻撃は、ただの力ない空振りとなった。
そして、その勢いのまま前のめりに倒れ込み、魔力を根こそぎ失った反動で、五人は仲良くその場に崩れ落ち、気を失った。
「……戦わずに、勝ってしまったな」
シンと静まり返った庭園に、夜風がサァッと吹き抜けていく。
月光が倒れた五人の顔を白く照らし出す。
その表情には、絶望と安堵が入り混じっているかのようだった。
あまりにもあっけない幕切れに、俺は少しだけ虚しさを感じていた。




