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第23話 劇場と闇のビジネスプラン

 昨夜の甘美な勝利の余韻を胸に――

 俺は馬車を王都の商業地区へと走らせていた。


 蹄の規則的な音が石畳に響き、夕暮れの空気が少し熱気を残したまま窓から滑り込む。石造りの建物がひしめく商業地区は、既に活気に満ちていた。


 パン屋からは香ばしい小麦の匂いが漂い、通りを行き交う人々の声が微かに聞こえてくる。


 目的地は、奴隷商人ラザラス・ザイツが手配した商館の一室。

 先日、俺が立ち上げを命じた「劇場型レストラン」の打ち合わせのためだ。



 ***


「これはこれは、ゼノス様。お待ちしておりましたぞ」


 応接室で俺を迎えたのは、相変わらず脂ぎった顔に卑屈な笑みを貼り付けたバルタザール・ザイツだった。彼の纏う派手な服は、安物の香水の匂いを漂わせている。


 だが、今日は彼の傍らに、年の頃五十がらみの、痩身で目の鋭い初老の男が控えている。男の纏う上質な執事服は、その身の丈にぴたりと合い、バルタザールとは対照的な「静」の空気をまとっていた。


「そちらは?」


「は、はい! こちらは父の代から当商会に仕えております、執事のグレゴールと申します。ゼノス様との大事な取引、若輩者の私一人では心許ないと、父が補佐につけてくれまして……」


(息子の暴走を危惧した親心か、あるいは俺への牽制か。どちらにせよ、抜け目がないな、ラザラスの奴は)


 俺はグレゴールに軽く頷き、用意された豪華な革張りの椅子に深く身を沈めた。

 革の座面が、わずかに軋む。


「早速だが、進捗を聞こう」


「は、はい! ゼノス様からお預かりした軍資金を元に、まずは劇場の確保を。王都の歓楽街の喧騒の中心、元オペラハウスだった建物を買い取りました。現在は内装工事を進めており、従業員もあらかた確保済みでございます」


 バルタザールが、額に汗を滲ませながら、得意げに報告する。

 その声は、高揚しているのか、やや上ずっていた。


 俺が自由に動かせるグリムロック家の軍資金は、約43万金貨。

 そして、銀行から信用取引で引き出せる上限は40万金貨。


 合計83万金貨が、当面の軍資金だ。


 そのうち約3万金貨で劇場と従業員を確保し内装工事を進めているので、残りの資金は80万金貨となる。


 もちろん、金貨80万枚を物理的に持ち運ぶわけではない。

 王立銀行にあるグリムロック家名義の特別口座から、俺のサイン一つで引き出せる権利だ。支払いは必要に応じて、王家発行の高額紙幣か、あるいは裏の銀行を介した送金で行う。



 グレゴールが、静かに補足するように口を開いた。

 その声は、バルタザールの軽薄な声とは対照的に、低く落ち着いていた。


「ゼノス様。厨房の料理人、ホールスタッフ、そして踊り子たちも、ザハラ出身の腕の良い者たちを揃えております。ですが……」


「――ん?」


「ショーの目玉となる『華』が足りておりません。客の目を一身に引き付けるような、圧倒的な舞姫が一人いれば、ショー全体のクオリティが格段にアップするのですが……」


 グレゴールは淡々と述べたが――

 その瞳の奥には確かなビジネスの視点が見て取れた。


「なるほどな。お前のところの商品に、良いのはいないのか?」


 俺がバルタザールに尋ねると、彼は困ったように首を振った。


「それが……粒は揃っておりますが、センターを担わせるとなると、いささか力不足でして」


 すると、再び執事のグレゴールが、待っていましたとばかりに進み出た。


「そこで、ゼノス様。耳寄りな話が――近々開かれます『影の響宴シャドウズ・ガラ』に、うってつけの『商品』が出るとの情報がございます。参加を検討されてはいかがでしょうか?」


 『影の響宴』。

 裏社会の組織ネットワークが共同で運営する、最高級の闇オークションだ。


 法も倫理も無視した、ありとあらゆる「価値あるもの」が取引されるという。

 その名を聞いただけで、闇の奥底に潜む甘い匂いと、危険な香りが入り混じるのを感じる。


 脳裏に、怪しげな地下室と、高額な値札が貼られた「商品」の姿が浮かんだ。



「ほう。詳しく聞かせろ」


「はっ。ザハラ王国でその名を知られた、伝説的な踊り子と歌姫の姉妹だそうで。数奇な運命の果てに、今回出品されるとのこと。その美貌と芸の腕前は、まさに至宝。手に入れられれば、我々の劇場の名を一気に王都中に轟かせることができるでしょう」


 グレゴールの言葉には、確信の色が宿っていた。

 踊り子と歌姫の姉妹か。


 悪くないな。

 

 劇場の準備はほぼ完成しているが、軍資金にはまだまだ余裕がある。

 ここはケチらずに、最高の華を手に入れるべきだ。


「よし、決めた。バルタザール」


「は、はいッ!」


「金はいくらでも出す。その姉妹を、必ず手に入れろ。これは命令だ」


「ははっ! お任せください、ゼノス様!」


 オークションには参加資格がある。

 資格のない者は代理を立てて競りに参加することになる。


 バルタザールは、俺からの信頼を得られたことがよほど嬉しいのか、興奮で目を血走らせていた。その表情は、初めてのお使いに挑む子供のようでもあり、わずかに滑稽でもあった。



 ***


 打ち合わせが済み、俺が帰ろうと席を立つと、そのバルタザールが俺を呼び止めた。


「なんだ?」


「あ、あの、ゼノス様! 僭越ながら、劇場の収益に繋がりそうな、素晴らしい提案があるのですが!」


 ――ほう。


 バルタザールは、何かを企むかのように、一歩、また一歩と俺に詰め寄る。


 俺はこの小者にわずかに期待しているところがある。

 大きな仕事を任せることによって、どう化けるか見てみたいのだ。


「……言ってみろ」


 バルタザールの目が、怪しい光でぎらりと輝いた。

 まるで、底の見えない沼の奥で何かが蠢くような、不気味な光だった。


 彼はゴクリと唾を飲み込み、興奮を抑えきれない様子で身を乗り出す。


「は、はい! 踊り子たちの『使用済み』の衣服を、オークション形式で販売するのはいかがでしょうか! 激しい運動の後、汗と乙女の匂いの染みついた衣装! これは好事家の間で、必ずや高額で取引されること間違いなしですぞ!!」


 俺は、一瞬、時が止まったかと思った。


 耳の奥で、彼の言葉が反響し、頭の奥底で警鐘が鳴り響く。


 目の前の男の、あまりに浅ましい発想に――

 胃の底から冷たいものがせり上がってくるのを感じた。


 そして、心の底から湧き上がる純粋な殺意を、できるだけ氷のように冷たい声に乗せて、目の前の小デブに告げた。


「……殺すぞ、お前。何をふざけているんだ?」


「ひぇっ!! ふ、ふざけてなどおりません!! このバルタザール、真剣でございます! 必ずや、このアイデアはビッグビジネスになります!!!」


 彼は必死の形相で、その変態的なビジネスプランの有効性を訴えてくる。


 その瞳は、純粋な欲望と商魂で満ち溢れており、最早、狂気にも似ていた。彼の口からは、汗の臭いと、いかにも下品な香水の匂いが混じり合って漂ってくる。


「…………そうか」


 俺は深くため息をつき、その提案を一度飲み込むことにした。


 胃の奥で、わずかな吐き気が込み上げるのを抑え込む。

 この男の変態的な発想を、ただ殺意だけで終わらせるのは、もったいない。


「まあ、一応、考えておこう」


 ファミリーで楽しめる健全なレストランを考えていたので、表の店でこいつのアイデアを採用するのは却下だ。そんなものを出せば、グリムロック家の名に泥を塗ることになる。


 だが……。


(劇場の地下施設で、『紳士』だけを集めた闇オークションを開いてもいいかもしれんな)


 表では華やかなショーを。

 そして裏では、よりディープな欲望を満たすための場所を提供する。


 踊り子の衣装の露出度をさらに高めた、地下限定のプレミアムショーを開催するのもありか。


 闇の深みに、新たな金脈を見つけたような、背筋が震える感覚があった。


「……ふっ」


 思わず、乾いた笑みが漏れた。それは、獲物を手中に収めた捕食者のような、満足げな笑みだった。


(悪くない。実に、悪くないアイデアだ)


 夢が、膨らむな。

 俺は、新たなビジネスの可能性に胸を躍らせながら、商館を後にした。


 背後には、まだ興奮冷めやらぬバルタザールの熱い視線を感じた。

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