第18話 決闘への誘導と、思わぬ闖入者
グリムロック邸の豪奢な応接室。
磨き上げられた黒檀の床は光を反射し、壁には緻密な彫刻が施された金縁の絵画が等間隔に並ぶ。天井からはクリスタルのシャンデリアが眩い輝きを放ち、部屋全体を煌びやかに照らしていた。
革張りのソファに深く腰掛け、目の前の二人を値踏みする。
一人は、鮮やかなピンク色の髪を長く伸ばした伯爵令嬢、リゼル・ブランシェット。くるくるとした瞳が愛らしく、可憐な見た目をしている。
彼女の優雅なしぐさの裏には、苛立ちが見え隠れしていた。
もう一人は、彼女に影のように付き従う魔法奴隷の少年、カイ。
彼の顔は青白く、怯えと警戒が混じり合った複雑な表情を浮かべている。
二人の顔には、隠しきれない緊張が浮かんでいる。
俺は口元に悪役らしい不敵な笑みを浮かべ、あえて鎌をかけるように尋ねた。
「ようこそ、ブランシェット嬢。本日はどのようなご用件で――? ひょっとして、君の婚約者の仇討ちで、俺と『決闘』でもしに来たのかな?」
俺の言葉に、リゼルの眉がぴくりと動く。
その細い眉が、いら立ちに僅かに吊り上がった。彼女の婚約者であるルカ・ドルトンは、先日俺に決闘を挑み、手ひどい返り討ちにあったばかりだ。
「誰があんな奴のために……。どうでもいいわよ、あんなヤツのことなんて」
リゼルは心底興味なさそうに吐き捨てた。
微塵も感情がこもっていない声。
どうやら、婚約者への愛情は欠片もないらしい。
「今日、用があるのはアンタのところの奴隷よ。ミナという名前の子がいるはずだわ」
「ほう。うちのメイドに何の用だろうか?」
事情はすべて知っているが、あくまで素っ気なく尋ねる。
「その子を譲ってほしいの。カイの……たった一人の妹なのよ。お金なら、あなたが支払った購入代金の倍、いいえ、三倍でも払うわ」
「……ふむ、三倍ですか」
わざとらしく顎に手を当て、考えるそぶりを見せる。
「何か特別な事情があるようだ。それほどまでに欲しいものを、みすみす手放すのは惜しくなるのが人情というもの……」
「なっ……!」
リゼルがしまったという顔をする。
彼女の瞳に、焦りの色がはっきりと浮かんだ。
やはり、こういう腹の探り合いのような交渉には慣れていないらしい。
純粋培養のお嬢様だな。
「……何が言いたいのよ。もしかしてアンタも、あの変態みたいにパンツが欲しいとか言い出すんじゃないでしょうね?」
リゼルは、苦虫を噛み潰したような渋い顔で、とんでもないことを尋ねてきた。
「っ……!」
思わず吹き出しそうになるのを、俺は必死でこらえる。
そう来るとは思はなかった。
(こらえるんだ、俺。ここで笑ったら、この場の支配者としての威厳が崩れてしまう
……)
「下着、ですか? 確かに、ご令嬢のそれとなれば大変魅力的な提案ではありますが……、生憎と俺は紳士ですので。遠慮しておきます」
平静を装い、話を続ける。
声のトーンをわずかに落とし、真面目な雰囲気を演出する。
「それよりも、もっと楽しめることをしませんか? たとえば、俺とあなたでゲームをして、あなたが勝てばその奴隷を無償でお譲りする、とか」
「……は? あんたに何の得があるのよ、それ?」
「欲しいものを賭けた方が、お互い本気の勝負ができるでしょう? 何で勝負しますか? チェス、ダーツ、それともビリヤード。なんでもいいですよ。お好きなものをどうぞ」
俺の提案に、リゼルは一瞬戸惑った後、その瞳に好戦的な光を宿した。
良いことを思いついたと言わんばかりの顔だ。
「なんでもいいのね……。じゃあ、魔法勝負にしましょう。どう? 魔力ゼロのアンタが、この勝負、受けるっていうの? 逃げるのなら、私の勝ちと見なすわよ」
――よし、食いついた。
俺の思い通りに事が運んだ。
「いいでしょう。では、中庭で決闘とまいりましょうか」
「え……?」
二つ返事で快諾すると、リゼルは虚を突かれたように意外そうな顔をした。
彼女の口元が、わずかに開いたまま固まっている。
俺が間違いなく逃げ出すとでも思っていたのだろう。
***
応接室を出て、俺たちは屋敷の中庭へと移動した。
湿った土の匂いと、朝露に濡れた草の香りが鼻腔をくすぐる。
数メートルの距離を取って向き合う。
リゼルと、その隣に立つカイが、同時に魔力を高め始めた。
周囲の空気がざわめき、風が渦を巻いて二人を取り囲む。彼らの足元の小石が、微かに宙に浮き上がる。空気がぴりぴりと肌を刺すような感覚だ。
(殺傷能力のない、強風をぶつけるだけのつもりのようだな)
その魔力の流れから、二人が俺に怪我を負わす気がないことは明らかだった。
「悪く思わないでよね。アンタから言い出した勝負なんだから!」
リゼルが叫ぶ。
風の唸りに掻き消されそうな声。
(もっと本気で、殺すくらいの気概で来てくれた方が、こちらとしてもやりやすいんだが……)
まあいい。
この決闘に勝った後で、エレノアのようにきっちり「調教」してやる。
さあ、来い。
俺が身構え――
リゼルとカイが、その渦巻く風を放とうとした、まさにその時だった。
一瞬、中庭の奥、屋敷の陰から、白いものがちらりと見えた気がした。
「やめてください! お兄ちゃんッ!!」
甲高い少女の声が、緊迫した空気を切り裂いた。
メイド服をまとったミナが、決闘の騒ぎを聞きつけて、屋敷から飛び出してきたのだ。彼女の胸元で白いエプロンがはためく。
「ミナ!?」
カイが驚きの声を上げ、魔法の制御が揺らぐ。
渦巻いていた風が、一瞬にして弱まった。
「ご、ご主人様に、何をするんですか! ご主人様は、私にとっても良くしてくださる、とっても優しい方なんです!」
ミナは俺の前に立ちはだかり、両腕を広げて兄であるカイから俺を庇った。
その小さな背中は、震えながらも頑なに俺を守ろうとしていた。
この後、ミナからこの屋敷でいかに自分が大切にされているか、リーリアという優しい先輩もいることなどを涙ながらに聞かされ、リゼルとカイはすっかり毒気を抜かれてしまったようだ。
***
「……そ、その、悪かったわね。どうやら、私たちの勘違いだったみたい」
リゼルはバツが悪そうに謝罪した。
顔を赤くし、視線を泳がせる。
「いや、何か誤解があったようだが、気にするな」
鷹揚に頷いてみせる。
リゼルとカイは、ミナの無事を何度も確認した後、すごすごと帰っていった。
(この機会に、リゼルを調教してみたかったんだがな……)
――まあ、いい。
計算通りにいかなかったことは残念だが、リゼルの好感度が上がったことは確かだ。
「ご主人様とお兄ちゃんが、喧嘩にならなくてよかったです」
隣で、ミナが心底ほっとしたように微笑む。
その笑顔は、曇り一つない青空のようだった。
俺はその小さな頭を、ポンポンと撫でてやった。
嬉しそうに目を細めるミナを見ていると、まあ、こういう結末も悪くないか、と思えてくる。
と、その時だった。
突然、肌を這うような冷たい声が、俺の背後から響いた。
***
「流石はゼノス様。決闘という形を取りながら、このような形でクラスメイトを心酔させ、友好を深めるとは……。この私、アシュラフ、感服いたしました」
いつもの胡散臭いお世辞――
転移の魔人アシュラフだ。
(どうでもいいけど、いきなり真後ろから声をかけるのをやめろ。心臓に悪い。こいつはなぜ、いつも俺の背後を取るんだ?)
「ふっ……まあ、な。すべて計算通りだ」
本当は予定通りにいかなかったのだが、ここで格好をつけない手はない。
適当に話を合わせておく。
「――で、お前は何をしていたんだ? また何か、悪だくみでもしていたか、アシュラフ?」
悪役らしく、それっぽいセリフを吐いてみる。
「それすらもお見通しとは、流石はゼノス様。ええ、少しばかり知り合いのところに……。ところで、以前私が奴隷にした例の貴族の少年、覚えておられますかな?」
俺の適当な戯言に、アシュラフも合わせてきた。
意外とノリが良いな。こいつ。
――で、奴隷って誰だっけ?
ああ、ルカの事か。
「 彼を使い、少々面白い『実験』をしたいのですが、許可を頂けますでしょうか?」
アシュラフは不気味な提案をしてきた。
なんだよ、実験って……?
その声の奥には、底知れない愉悦が滲んでいるように感じられた。
――さて、どうしよう。
リゼルの婚約者、ルカ・ドルトンはアシュラフの奴隷になっている。
あいつを使って、何かをする気のようだ。
「……かまわん。好きにしろ」
ここで止めると、器量の狭さを見せるようで癪だ。
俺は鷹揚に頷き、許可を出した。
しかし、まあ――
何をする気なのかくらいは、きちんと聞いておくべきだったな。とは思う。




