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第14話 聖女への首輪

 王立魔法学園アルカナム、生徒会室。


 磨き上げられたマホガニーの重厚な机を挟んで、俺はエレノア・アースガルドと向き合っていた。彼女はアースガルド王国が誇る「光の聖女」。


 窓から差し込む午後の光が、埃一つない室内に長く影を落とし、彼女の立つ位置だけを鮮やかに照らしている。


 生徒会長の座に相応しい威厳を纏うエレノアは、陽光を受けて輝く金髪を揺らし、吸い込まれるような空色の瞳で俺を真っ直ぐに見据えている。


 その瞳の奥には、王家の方針に反発するグリムロック家に対する、隠しきれない警戒の色が、微かな影のように揺れていた。



 武闘派のグリムロック家は戦争継続を望んでいる。


 一方、王家は帝国との和平を推し進めており、俺たちはまさに目の上のたんこぶだ。そんな家の次期当主である俺が何の目的で来たのか。


 エレノアは探りを入れるため、あえてこの一対一の会談に同意したのだろう。


 いい度胸だ。


「それで、グリムロック君。私への用件とは何かな?」


 静かで、しかし凛とした声が、室内の張り詰めた空気をさらに研ぎ澄ませる。

 まるで凍てつく氷の刃が肌をなでるようだ。


 沈黙が数秒――

 机の上の書類の僅かな埃すらも動かせないほどの重さで場に停滞した。


 俺は椅子に深く腰掛けたまま、口元に不敵な笑みを浮かべた。僅かに片方の口角を上げる。


「百聞は一見に如かず、と言いますから。まずはこれをご覧いただきたい」


 懐から取り出した水晶を軽く机に置く。


 手のひらに収まるほどのそれは、鈍い光沢を放っていた。

 魔力を込めると、水晶は淡い光を放ち、生徒会室の白壁が瞬時にスクリーンと化した。ざらりとした漆喰の壁に、鮮やかな映像が投影される。



 そこに映し出されたのは――

 放課後の空き教室。


 夕陽の茜色が差し込む窓際で、俺の婚約者であるセシリアに熱烈な愛を囁き、その華奢な身体を抱きしめる、エレノアの弟、リアム王子の姿だった。


 王子はセシリアの耳元で何かを囁き、セシリアは頬を赤らめて俯いている。

 映像は鮮明で、二人の表情まではっきりと見て取れた。


 俺はエレノアの反応を盗み見ようと、映像から彼女へと視線を移す。


 ヒュンッ!


 耳を劈くような鋭い風切り音と共に、視界の端で銀色の閃光が走る。

 次の瞬間、冷たく硬い金属の感触が、俺の喉元に突き付けられていた。


 抜剣。

 それは、彼女が腰に差していた騎士剣だった。


 剣先が皮膚を僅かに押し込み、ひやりとした冷気が首筋を這い上がる。

 金属特有の微かな匂いが鼻腔をくすぐり、全身の毛が逆立つ。


 彼女の空色の瞳に、瞬時に怒りの炎が燃え上がったのが見えた。



(うっ……うおっ! ちょっ!? ちょっと待て、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬッ!!)


 内心で、俺はこれ以上ないほどに焦っていた。

 背中に冷たい汗が伝う。


 油断した。


 完全に油断していた。


 まさか「光の聖女」とまで呼ばれる王女が、交渉の途中でいきなり剣を抜いてくるとは夢にも思わなかった。


 俺も映像に意識を奪われていたのがマズかった。


 俺の剣の腕もかなりのものだが、相手も負けず劣らずの達人。

 不意を突かれれば、対応できるものではない。


 ――だが、俺はまだ生きている。

 喉に突き付けられた剣は、皮膚を切り裂いてはいない。


 それは、彼女としてもこの場で俺を殺すわけにはいかないと、最後の理性で思いとどまったということだ。


 殺意の波動が剣から伝わってくるが、それでも、彼女は寸止めした。

 俺の喉元で、銀色の切っ先が僅かに震えている。


(……セーフ。お姫様が理性的で助かった。交渉の余地はある)


 俺は冷や汗だらだらの内心を完璧に隠し、表情筋一つ動かさない。


 まるで喉元の剣など存在しないかのように、平然と彼女を見返した。


 エレノアは憎悪と侮蔑を込めた目で俺を睨みつけていたが、やがてゆっくりと俺から離れ、カチャリと冷たい音を立てて剣を鞘に収めた。


 その動きには、まだ微かな怒りの震えが見て取れた。


「なんだ、殺さないんですか?」


 俺は余裕綽々の態度を装い、心底残念だと言わんばかりに尋ねる。


 声は喉元にまだ残る剣の冷たさとは裏腹に、滑らかに出た。


「……それが貴様たち、グリムロックの狙いか? 捨て駒のお前を私に殺させ、王家との間に決定的な亀裂を生む……いや、貸しを作って戦争継続を認めさせようという腹か……!」


 どうやらお姫様は、俺のことを親父に送り込まれた、ただの捨て駒だと思っているらしい。その盛大な勘違いのおかげで、俺の首はまだ胴体と繋がっている。


 助かった、と心の中で呟く。



「――まあ、そんなところです。口封じをしようと危害を加えてくれれば、こちらとしても都合がよかったんですがね」


「ふん。だが、私はお前を殺さなかった。狙いは外れたな。……で、次のはどう出る?」


「次は交渉ですよ、エレノア先輩」


 俺は壁に映る映像を顎でしゃくった。


 王子と婚約者の映像はまだ流れ続けている。


「ご覧の通り、あなたの可愛い弟君が、俺の婚約者にちょっかいをかけている。リアム王子が複数の女に言い寄ること自体は、まあ、問題にはならないでしょう。許嫁であるエリザベート姫はいい気がしないでしょうが、それで和平がご破算になることもない」


 だが、と俺は続ける。


「王子が手を出した相手が、戦争継続派の筆頭、グリムロック家の次期当主の婚約者となれば話は別だ。俺たちはこの醜聞を盾に、王家に対して政治的に強く出られる。和平に反発している貴族たちにこの映像を渡せば、彼らが王家を攻撃する格好の材料にもなるでしょう」


「……要求は何だ? 言っておくが、あまり無茶を吹っかけてくるなら、今度こそ貴様を殺す選択をするかもしれんぞ」


 エレノアの瞳に、再び殺意の光が宿る。


(ちょ……、怖いから睨まないで)


 鋭い刃のような視線が、俺を貫こうと突き刺さる。


 彼女の握りしめた拳が、微かに震えているのが見えた。

 ――本気で怒っているな。


 だが、ここで相手に合わせて感情を乱しては駄目だ。

 冷静に話を進めよう。


「こちらの要求は、至ってシンプルですよ」


 俺は笑みを深め、本題を切り出した。


「あなたを、俺の監視下に置きたい。ただ、それだけです」


 俺は懐から、一つのチョーカーを取り出す。


 それは磨かれた黒曜石のように、光を吸い込むような深い黒を湛え、鈍い光沢を放っていた。掌に載せると、わずかな重みが伝わる。いたってシンプルなリングだ。


「これを、身に着けてもらいます」


「……これは?」


 エレノアの視線が、疑念を宿してリングに注がれる。


「俺の開発した魔道具です。あなたの魔力制御を狂わせることのできる。――こちらとしては、強すぎるあなたに枷をつけておきたいのです」


 もちろん、それだけではない。

 この魔道具には、三つの機能が仕込んである。


 一つ、発信機。

 二つ、盗聴器。

 三つ、魔力制御の阻害。


 俺の魔力とリンクしており、遠隔でいつでも好きな能力を発動できる。


 いわば、俺の分身のようなものだ。

 これを身に着けさせれば、俺の魔力を直接彼女に流し込むことができる。


 転移魔術を応用して魔力を飛ばすので「魔封印」の影響は受けない。

 それは実証済みだ。


 俺は発信機と盗聴器の能力は伏せ、戦闘力を封じるという機能だけを説明した。


「悪くない取引だと思いますが」


「…………」


 エレノアは、俺の顔と机に置かれた黒いチョーカーを交互に見比べ、唇を噛み締めている。


 その表情には、屈辱と、そして抗えない現実への葛藤が色濃く浮かんでいた。

 彼女の指が、リングに伸ばされそうになり、寸前で止まる。


「付けるか付けないかは、あなたの自由です」


 俺は椅子から立ち上がり、一歩、彼女の机に近づく。


 黒曜石のリングが、冷たい光沢を放ち、エレノアの視線を引きつける。


「ただし、装着が確認されなければ、この映像は明日の朝には学園中の生徒に流布されることになるでしょう。期限は、明日、俺が登校するまでです」


 俺はそれだけ言うと、エレノアに背を向けた。


 机の上のリングが、まるで彼女の選択を待つように静かに置かれている。俺は悠々と生徒会室を後にした。


 背後で彼女の荒い息遣いが聞こえた気がしたが、振り返りはしなかった。


 勝利の余韻が心地よい。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 その日の夜。


 自室のベッドで愛読書を読んでいると、ふと、懐にしまっていた指輪が、微かな熱を帯びた。じんわりと、肌に心地よい温かさが広がる。


(……フッ)


 どうやら聡明なるお姫様は、最も賢明な選択をしたらしい。


 俺は口元に浮かぶ笑みを抑えることなく、静かに本を閉じた。

 紙の擦れる音が、静かな部屋に響く。


「光の聖女」、あるいは「戦乙女」とも称される彼女が、俺の管理下に入った瞬間だった。


 あの首輪が彼女の誇りを縛りつけ、俺の意のままに動かす枷となる。

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