第132話 王子と二人の公爵
新入生デビット・ハーグレイヴから挑まれた決闘は、俺の圧勝で幕を閉じた。
無様に地面に這いつくばったデビットは、仲間たちに急いで担がれ、すごすごと闘技場を後にする。その敗走は、彼の威勢の良さを知る者たちにとって、あまりに滑稽な光景だった。
そして、勝利した俺を待っていたのは、二人の婚約者、セシリアとリゼルからの甘美な祝福だ。
彼女たちが俺の両腕に寄り添う、その親密さは、衆目の前で俺の地位を揺るぎないものにする、何よりの証だった。
***
(……そういえば、決闘の前、リアム王子たちの挙動がどこかおかしかったな)
俺はセシリアとリゼルを抱きしめて労った後、観客席にまだ残っているリアム王子へ視線を送った。
彼はいつもの、王子らしい爽やかな笑顔を顔に貼り付けている。しかし、その口の端がほんのわずかに引きつっているのを、俺は見逃さなかった。
リアム王子は、俺の婚約者であるセシリアにいまだ執着している。
彼女と俺の親密な様子を見て、心中穏やかではないのだろう。その苛立ちこそ、いつものリアム王子だ。
そして、その隣に立つエリオットは、俺の圧倒的な勝利を心の底から憎んでいるのが丸わかりで、その顔にはどす黒い、深い影が落ちていた。
こちらも平常運転……。
表面上は、いつも通りだ。
(――俺の気にし過ぎ、か?)
念のため、隠密行動が得意な「転移の魔人」アシュラフに、彼らの動きを探らせる手もある。だが、あの危険極まりない存在を、些細な懸念で動かすのは――やはり憚られた。
先日、家令のオスカーから「なぜ、危険な魔人を制御しないんだ」と指摘されたことを、まったく気にしていないわけではない。
今も小さな棘のように心に残っている。
魔人の制御など、人間にできるはずがない。
気にしても仕方のないことではあるが、まったく考慮しない――というわけにもいかない。
絶対の忠誠を誓っているかどうかも分からぬ、あまりにも強力すぎる存在。
便利ではあるが、その力を無闇に頼るべきではない。
王子の周囲を探らせれば、王国中枢の情報が手に入る。だが、手に入れた情報すべてを、俺に報告するとは限らないのだ。
(いざという時に、足元を盛大にすくわれないためにも――安易な使用は避けるべきかもな……)
王子たちの様子に、微かな違和感はあった。
だが、この程度の些細な懸念で、奥の手を切る必要はない。
リアム王子がもし、俺に対して何かを企んでいるのなら――
まずは、俺一人で対処する。
アシュラフは有能な部下ではあるが、危険な存在でもある。
使いどころは選ばなければならない。
(そうだな。奥の手というものは、そうやすやすと見せるものではない。最後の最後まで、相手に存在すら悟らせずに隠しておくべきなのだ)
俺は、厚い雲が太陽を覆い隠す薄暗い空の下――
冷徹に、これからの対外方針を決定した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【場面転換】
リアム王子の謀略。
時は、数カ月前に遡る。
ゼノス・グリムロックがザイツ商会からドワーフの姫を購入した――
その事実が、アースガルド王国の第一王子リアムの耳に入った。
ランカスター男爵の三女・メリンダからもたらされた内偵情報だ。
「ゼノス・グリムロックが、ドワーフの姫エイル・アイゼンフリートを奴隷として囲っている」――グリムロック辺境伯に攻勢をかけるには、極めて強力な材料を、彼は手に入れた。
リアムはすぐさま、この情報を元に、グリムロック辺境伯家の屋敷に対する強制捜査を決行すべく、水面下で根回しを始めた。
目的は、ドワーフ族を管轄下に置くクロウリー公爵家を動かし、王家側につけて捜査に協力させること。
ドワーフを管理下に置いているクロウリー家の財力、そして兵力は、王国においても強い存在感を放っている。ぜひとも、彼らが王家側に立っているという旗色を、鮮明にしておきたいところだ。
だが、クロウリー公爵は、その地位に似合わず、慎重すぎる男だった。
戦争継続派の筆頭であるグリムロック辺境伯との対立を表面化させることに、極めて後ろ向きな姿勢を示していた。
リアムの姉・エレノアが、クロウリー家の嫡男バルトロメウスと婚約を結び、王家との友好関係は深まっているとはいえ――
あの慎重居士の公爵を動かすには、まだ不足している。
(……だが、この情報は違う。クロウリー家が保護すべきドワーフ族――それも、ドワーフの姫を、ゼノス・グリムロックが奴隷として慰みものにしている。この事実を突きつければ、いくら臆病なクロウリー公爵と言えど、動かざるをえない)
リアム王子はそう確信し、クロウリー公爵に一通の密やかな手紙を送り、内密の会談を申し込んだ。
***
クロウリー公爵への根回しを進める一方で、リアムは別の重要人物にも接触を試みていた。
手紙を送ったその夜、王宮では煌びやかな夜会が開かれていた。
シャンデリアの眩い光の下、立食形式で貴族たちが自由に歓談している。
華やかな喧騒の最中、リアム王子はヴァーミリオン公爵にそっと近づき、内密な話をするため、彼を人目のない別室へと誘った。
王宮内の部屋は、豪華ながらも落ち着いた内装だ。
壁には歴史的なタペストリーが飾られ、部屋の隅の暖炉が静かに炎を揺らしている。分厚い扉が外の華やかな喧騒を完全に遮断し、二人のための静寂な空間を作り出していた。
「公爵閣下。ご足労頂き、心より感謝申し上げます」
「……それで、話というのは何かね。リアム殿下」
ヴァーミリオン公爵は、相手が国の王子であっても、どこかぞんざいな、物怖じしない口調で切り出す。
彼には公爵という絶対的な地位と、それを裏付ける確かな威厳が備わっていた。
その瞳は、若き王子を値踏みするかのように、鋭い光を宿している。
「はい。他でもありません。我が妹、リリアーナの行方についてです。一体、どこの、誰に攫われたのか――公爵の知見を窺いたい。推測や、それができそうな相手という程度の曖昧な情報でも結構ですので、ぜひとも、閣下のお力添えを頂戴したく」
「……できそうな、相手、か。悪いが、私にはとんと心当たりはないな。私のような者に聞くよりも、むしろ王都に巣食う奴隷商にでも当たってみた方が良いだろう。人さらいを生業としている輩ならば、何らかの繋がりがあろう」
リアム王子が率いる捜索隊は、リリアーナ姫の行方を追って、既に王都中の奴隷商に捜索の手を伸ばし、犯罪組織の情報収集と取り締まりを強化している最中だった。
公爵の意見は、まさに彼らの捜査の方向性と合致している。
「……素晴らしいご慧眼。急ぎ、我々の捜査方針に閣下の貴重なご意見を取り入れさせます。では、犯罪組織とは別に――我々貴族の中に、このような不埒な真似をする輩の心当たりはございますでしょうか?」
リアムの言葉は、公爵の真意を探るための、明確な一線だった。
「……ふん。貴族の中にそのような卑劣な真似をする者がいるとは、私は思いたくはないがな。……それとも、殿下は。この私に近しい者を疑っておいでかな?」
公爵は不機嫌さを隠そうともせず、不満げな表情で切り返した。
その言葉には、リアムに対する明確な牽制が込められている。
部屋の空気は、一瞬にして氷のように張り詰めた。
二人の腹の探り合いが、静かに――しかし激しく、始まっていた。




