第130話 逃げる気はないのだが?
授業と授業の合間の短い休憩時間。
俺の元に、セシリアとリゼルの二人が慌てた様子でやってきた。
「ゼノス様! 先ほど聞き及びましたが、決闘をなさるというのは、本当ですの!?」
「あんた。また厄介ごとに巻き込まれたみたいね」
二人は声をそろえて「大丈夫なの?」と心配してくれた。
セシリアはこの学園に、独自の情報網を持っている。
彼女がトップの、有力な女子生徒たちを集めた一大派閥だ。その構成員たちが、今朝の俺と新入生デビット・ハーグレイヴとの間の決闘の情報をいち早く聞きつけ、二人に届けたらしい。
それでこうして急いで俺の元に駆けつけてきた、というわけだ。
二人が甲斐甲斐しく俺を心配してくれる様子は、なんとも可愛らしい。
俺は、にやけそうになる口元をなんとか堪え、あくまでクールで動じない、いつもの表情を維持した。
この学校はクラス替えがなく、この二人とも去年からずっと同じクラスのままだ。
「二人とも、心配してくれてありがとう。だが、何も心配はいらない」
俺は二人を安心させようと、あえて自信を込めてそう言った。
セシリアとリゼルは、情報通の令嬢から、今回のデビットに関する詳細な情報も既に受け取っていた。
デビット・ハーグレイヴ。
ハーグレイヴ伯爵家の次男。
入学したばかりだが、成績は極めて優秀で、周囲には既に取り巻きも多い。
彼は火属性の強力な魔力の持ち主らしい。
そして、彼の普段の会話から、その類まれな実力に絶対の自信を持ち、跡を継げない次男という現状に大きな不満を抱えていること、そして王家に取り入って自力で新たな爵位を勝ち取ろうとしているようだ。
概ね、俺が今朝、彼と対峙した際に推察した通りの人物像だ。
(なるほど。なかなかに向上心のあるやつじゃないか)
そして彼は、その野望を叶えるための最初の「踏み台」として、愚かにもこの俺を選んだ、というわけだ。
可哀そうだとは思う。
だが、手加減をしてやる気は毛頭なかった。
***
その日の予定されていた授業がすべて終わり、放課後となった。
教室の出口には、なんと、あのデビット・ハーグレイヴと、その取り巻きたちが――まるで債権者のように待ち構えていた。
(……律儀に、授業を抜け出してまで、ここに来たのか)
俺に逃げられたくはないらしい。
上級生、それもグリムロック家の嫡男である俺に対し、教室の廊下でこうして待ち構えるとは、相当調子に乗っているようだ。
貴族の子弟が集うこの学校では、年齢よりも身分が重んじられる。
とはいえ、年上を敬うべきという倫理感も、当然ながら存在している。
(年齢も身分も上の、この俺を――まったく敬う気はないらしい)
俺がこのまま動かなければ、帰宅しようとする他の生徒たちの迷惑になる。
帰り支度はすでに整えてある。
俺は彼らの挑発的な視線を見て、すぐに席を立ち、ゆっくりと接近した。
「お迎えに上がりました、グリムロック様」
「ご苦労。では、行こうか?」
俺のあまりにも堂々とした、落ち着き払った受け答えに、デビットはわずかに鼻白んだようだった。
***
俺たちが戦う舞台――訓練場は、デビットたちが既に押さえてあるらしい。
学園に正式に申告し、決闘を行うための面倒な手続きも、彼に付き従う取り巻きたちがすべて整えてくれたようだ。
廊下を、デビットとその取り巻きたちが先導し、俺はその後を静かに追う。
そして俺の背後からは、セシリアやリゼル、それ以外にも――
この決闘の行方に強い興味を持つ者、あるいは単なる野次馬の生徒たちが、ぞろぞろとついてきていた。
「それにしても、驚きましたよ。魔力ゼロであるグリムロック様が、『魔力を用いる』ことを前提とした今回の決闘に応じてくださるとは。あなたが剣を用いた武芸に大変優れていることは承知しております。――もし純粋な剣技だけで戦うのであれば、私とて苦戦を強いられるでしょう。ですが……残念ながら私は、あなたに合わせて、わざわざ魔法を使わないで上げるような優しい気持ちを持ち合わせてはおりませんよ?」
廊下を歩きながら、デビットは俺を長々と挑発してくる。
俺がまったく臆していないことを怪訝に思い、探りを入れてきているようだ。
「なに。お前如きをぶちのめすのに、魔力など必要ないのでね。――心配しなくても軽く蹴散らしてやる。楽しみにしていろ」
俺は最大限の余裕を持って、そう返答した。
「……さようですか。後悔することにならなければ、いいですがね」
デビットは苛立っている。
面白い。
***
学園に複数ある訓練施設の一つ。
屋外に設けられた、決闘にも使われる円形の広大な闘技場。
そのだだっ広いスペースの周囲には、観客席も設けられていた。
この面白そうな決闘をその目で見ようと、生徒たちが次々と席を埋めていく。
俺たちはそれぞれ、訓練場の中に向かい合うように備え付けられた、選手用の待機スペースで、決闘前の最後の準備を整える。
やがて、この決闘の公式な立会人を務める人物が姿を現した。
リアム王子の側近――
緑髪の大男、アルドリック・ストーンウォールだ。
観客席には、リアム王子と、彼のもう一人の側近である「知的キャラ」という「設定」のエリオットも姿を見せている。
アルドリックに立会人を依頼したのは、リアム王子に少しでも取り入りたいという、デビットの浅はかな策略だろう。
これで、役者はすべて揃った。
「ご武運を、お祈りしておりますわ、ゼノス様」
「ふんっ! 無事に帰ってきなさいよね!」
俺の隣にいたセシリアとリゼルから、それぞれ心のこもった励ましの言葉を受ける。
「ああ。お前たちも、しっかりと見ていてくれ」
俺は、訓練場の中央へと向かう。
その向かいからは、デビットが不機嫌さをにじませた顔で、ゆっくりと歩み寄ってきた。
観客席から、アルドリックがその巨体を軽々と跳躍させ、俺たちが目指す中央へと、無言で向かってくる。
三人は、ほぼ同時に訓練場の中心に立った。
俺の腰には、訓練場にいくつも常備されている、何の変哲もない剣がぶら下がっている。
だが、それはまだ抜かない。
アルドリックが、決闘における諸注意を形式的に述べた後、その右腕を、静かに、そして高く振り上げた。
一瞬の沈黙。
そして――
「始めッ!!」
その声が空気を裂いた瞬間。
デビットは懐から、威力と精度を増加させる魔法の杖を取り出す。
そして、火魔法の構築に入る。
魔法使いが戦闘を行う、いつもの手順。
それに対し、俺は――
学生服の袖に仕込んでおいた一本の万年筆を、すでに手にしていた。
それを、迷いなく。
デビットめがけて、思い切り投げつける。
ヒュッ!
空気を切り裂く鋭い音。
だらんと腕を下げた状態から、敵に向けて振り上げただけの、シンプルな投擲。
正確な狙いなど、つけていない。
ただ、速さと意外性だけに賭けた一撃。
デビットの身体のどこかに刺されば、それでいい。
だが――
そのペン先は、魔法の杖を握ったデビットの右腕の、ど真ん中に。
まるで吸い込まれるように、深々と突き刺さった。
「うがあっ!!」
デビットの叫び声の後――
一瞬で、すべてが止まった。
観客のざわめきも、デビットの動きも、風の音すらも。
静寂が、闘技場を支配した。




