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第126話 家令の慟哭

 俺は、アカホルスの首を、グリムロック家を取り仕切る家令、オスカーに手土産として渡すために、応接室へと向かった。


「よう、オスカー。掃除はちゃんと終わったか?」


 俺がそう言って扉を開けると、床に四つん這いになって雑巾で血の跡を拭いていたオスカーは、その声に驚愕の表情を浮かべ、勢いよくこちらを振り向いた。完璧主義者であるはずの男の、普段は一分の隙もない燕尾服が、わずかに乱れていた。


 俺が姿を現すと、その頬を一筋の汗が流れ落ちる。


 部屋には、オスカーを見張らせている俺の配下の警備員が二人、壁際に直立不動で立っていた。


「あの、躾のなっていないクソガキの首を切ったとき、返り血で汚れてしまったからな。俺はこれから着替えて風呂に入る。お前は、この部屋の掃除をきちんと終わらせてから、この首を持ってさっさと辺境の領地に帰れ」


 俺に随伴してきた警備員が、手に持っていたずしりと重い麻袋を、オスカーの目の前に差し出す。そして、その袋の口をゆっくりと開いてオスカーに見せた。

 中には、まだ生温かいであろう、アカホルスの絶望に見開かれたままの生首が入っている。


 オスカーはその中身を認めると、その体をわなわなと小刻みに震わせながら、信じられないといった顔をした。


「な、なんということを……。あ、あれほどの輝かしい逸材を、いとも容易く殺してしまうなんて……。あなた様は、なんと取り返しのつかないことを……!」


「仕方ないだろう。殺さなきゃ、こっちが殺されるんだしな。それが嫌なら、最初っから喧嘩なんか吹っかけてくるんじゃねーよ」


 オスカーは、俺のあまりにも、もっともな主張を聞いているのかいないのか。その顔を蒼白にさせながら、何かを必死に考えこんでいる。


「……魔人と完全に融合した、あのアカホルス様を、こうもあっさりと打倒したとなると……。あの、アシュラフという魔人は、我々の想定をはるかに超える、あまりにも危険な力を有しているということに……。だが、それほどの手練れが、魔力ゼロのあなた様に、大人しく仕えているはずがありません……!」


 あのガキの死を知らされたとき、オスカーは「俺が決闘でアカホルスを倒した」とは微塵も考えなかった。


 確かに、奴の精神を仕留めたのはアシュラフ――

 それは、間違ってはいないか。


「あー、まあ、そうだな。あいつは何かと便利だから使ってはいるけど、あいつはあいつで、裏で色々と勝手に動いてるんだよ。――お前の言うとおり、危険ではあるよな」


 俺がそうあっさりと答えると、オスカーはついに怒りの表情を隠そうともせず、勢いよく立ち上がった。


 その瞳には、怒りだけでなく、恐怖と焦燥が混じっていた。

 

「……! 魔人を、制御もせずに、好き勝手に行動させている、とそう仰るのですか!? なぜ行動をきちんと契約で縛らないんだっ!! なんと愚かな……。それほど強力で、そして危険な魔人を野放しにするなど! このグリムロック家に、いえ、このアースガルド王国そのものに、いずれどれほどの取り返しのつかない災厄をもたらすことになるか……。あなたは、ご自分のその行いを、無責任だとは思わないのですかっ!」


 ……怒られた。

 敬語がところどころ崩れているマジ切れだった。


 だが、俺も放置したくて放置しているわけではない。

 どうにもならない相手だから、放し飼いにしているだけだ。


 それに、一応、俺なりに勉強もしたのだ。

 古語で書かれているような難解な古い文献にもいくつもあたって、この『魔人』という不可解な存在について、その理解を深めてきた。


 そして、その長い探求の末の結論として、『魔人などという得体のしれないものは、下手に縛ろうとするよりも、いっそ放置するしかない』と、そう考えるに至ったんだ。


 高位の魔人ほど、人間の手には負えない。


 魔界の姫ルシフィールとは友好関係を結んでいるが、それは彼女が魔王と天使の間にできた娘であり、光属性の魔力の持ち主でもあるというところが大きい。


 アシュラフの場合は、どうにもならないんだから、好きにさせておくしかない。

 下手に制御できた気になって、それで根拠もなく安心したり、そもそも出来もしないことに無駄なエネルギーを使うよりも、よっぽどいい。


 俺にできることといえば、自分自身が強くなることだけだ。

 そして、アシュラフに対する抑止力となる。


 それが、最適解のはずだ。


「そう言われてもな。そもそも、アシュラフを人間界に呼び出すきっかけを作ったのは、あの親父なんだし。俺がそこまで大層な責任を感じることでもないと思うんだよな」


 俺はなるべく気楽な調子でそう言った。

 オスカーは思いつめていて、深刻に考えすぎている。


 ストレスは、溜めない方がいい。


「それに、まあ、万が一あいつが何かとんでもないことをしでかしたら、その時は、俺が何とか対処してやるからさ。それでいいだろ? じゃあ、そういう訳で。俺は早く着替えたいし、風呂にもゆっくり入りたいから、もう行くぞ」


 俺がそう言って浴室へと向かうと、背後から、オスカーが「……ダメだ。この馬鹿は。早くアシュラフとかいう危険な魔人をどうにかしないと。だが、一体どうすれば……」と呻くように言っていた。


 いくらこのグリムロック家の家令が、人間の中では優秀だったとしても。

 あの規格外の、『転移の魔人』に対抗する有効な手段などあるはずもないだろうに。


 そもそも、あのアシュラフに、人類に対する明確な『害意』があるのかないのか――まずはそこからして全く分からないのだ。


 今のところ、俺の命令には忠実に従っている。


(……心配し過ぎるのも良くないよな)


 俺が今オスカーに期待することは、一つだけだ。

 手抜かりなくこの部屋の掃除をして、元の美しい状態に戻して欲しい。


 ただ、それだけである。


 

 ***


 俺は、その日の汚れを落とすため、ゆっくりと風呂に入り、リーリアに背中を丁寧に流してもらって全身を清めた。

 アカホルスの返り血は服にしかついていなかったが、念には念を入れて、隅々まで丁寧に洗わせた。


 湯にたっぷりとつかって体を温め、風呂から出ると、オスカーはすでにこの屋敷から退出していた。首だけとなった、哀れなアカホルスを持って、遠い辺境の地にいる我が父の元へ、この屋敷での出来事を報告しに行ったのだろう。


 はるばる辺境から来たばかりだというのに、とんぼ返りとは――

 ご苦労なことだ。



 ***


 その日の昼過ぎ。


 十分に休憩を取ったあと、俺は劇場に通信魔法で連絡を入れる。

 イレギュラーな決闘騒ぎはあったが、今日は休日。


 まだ、時間はいくらでもある。

 俺は久々に、あのエルフの森『シルヴァン』を探索することにした。

 最近は何かと立て込んでいて、俺のライフワークでもある魔法素材集めの冒険が、途中になっていたのだ。


 我が屋敷の庭に新設された、ドワーフたちの本格的な鍛冶場は、すでにほぼ完成している。ザイツ商会を通じて中古で安く手に入れた各種機材も、すべて搬入済みだ。


 自分専用の剣を打つ環境は、整った。


 あとは、その剣に命を吹き込むための――

 最高の魔力素材を揃えるだけだ。


 俺は、来るべきその瞬間に思いを馳せながら、静かに、そして確かに胸を高鳴らせていた。


 さあ、冒険の時間だ。

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