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第12話 仕組まれた蜜月

 セシリア・ヴァーミリオンが俺に持ちかけてきたのは、婚約破棄の話だった。


「魔力ゼロのあなたとの結婚なんて、ありえません」


 凛とした声が、静かな応接室に響いた。

 彼女はまっすぐ俺を見据え、その言葉はまるで氷の刃のように冷たかった。


 無理もない。


 ヴァーミリオン家は代々続く魔術の名門。

 その名を背負う令嬢が、魔力測定で「ゼロ」と診断された俺と結婚するなど、受け入れられるはずもない。

 彼女の透き通るような青い瞳の奥には、強い意志が宿っていた。貴族社会のしきたりと家名の重圧が、彼女の肩にのしかかっているのが見て取れた。


「何度も父に直談判しましたが、全く聞き入れてもらえませんでした。ゼノス様、どうか私にご協力を……」


 セシリアは切羽詰まった表情で俺を見つめる。


 普段は感情を表に出さない、氷の彫像のような彼女が、こうまで必死になるのは珍しい。その声には、微かに諦めと、それでも抗いたいという切実さが混じっていた。それほどまでに、この婚約が彼女にとって不本意なのだろう。


 父親は婚約破棄に応じない理由を、彼女には一切教えてくれないらしい。


「まあ、協力するのはやぶさかではない」


 俺は腕を組み、不敵に笑ってみせた。


 俺の口元に浮かんだ笑みは、彼女の目にはどう映っただろうか。

 セシリアの顔に、微かな希望の光が灯るのが見えた。


「――ただ、条件がある」


 そう告げると、セシリアは警戒するように顔を上げた。


 だが、心配する必要はない。

 俺が提示した条件は、彼女にリアム王子と「浮気」をしてもらうというものだ。


「婚約破棄を君の父親に認めさせるための材料が欲しい。君にはすでに将来を誓い合った相手がいる。その相手が王子であれば、ヴァーミリオン卿も婚約破棄に同意してくれるだろう」


 ただし、セシリアには不貞という罪を背負ってもらうことになる。

 その代償は、彼女の名誉に傷をつけることにもなるだろう。


 俺はもっともらしい理由を並べ立てた。


 もちろん、本当の狙いは別にある。

 だが、それは今は伏せておくべきだろう。


 俺の言葉に、セシリアはごくりと息を呑んだ。

 彼女の表情には、一瞬の困惑と深い葛藤が入り混じっていた。


「わ、わかりました……。私が、その、汚れ役を引き受けますわ」


 彼女は震える声で承諾した。


 声は細く、消え入りそうだった。

 自分から婚約破棄を頼んだ手前、多少の無理難題でも受け入れねばならないという、妙な自己犠牲の精神が働いたようだ。


 しかし、彼女がこの計画を拒まなかったのは、それだけが理由ではない。



 実は、セシリアは前世で俺がプレイしたゲームにおいて、リアム王子の攻略対象の一人だった。ゲームの主人公であるリアムは、彼女と恋仲になりハーレムに加えることで、ヴァーミリオン家を分裂させることができたのだ。


 王子がセシリアを攻略していれば、三年後の大戦で敵勢力の弱体化と味方勢力の増強が可能になる。


 このゲームのシナリオ上、セシリアは元々、王子リアムに秘めた恋心を抱いているというキャラクター設定だった。


 貴族としての義務、不本意な結婚が待ち受ける未来――

 そして自らの恋心で揺れ動くヒロイン。


 俺は、彼女の複雑な内心を最初から見抜いていた。

 だからこそ、俺の提案に食いつくだろうという勝算があったのだ。


 


 こうして、俺とセシリアは共謀して婚約破棄を目指すことになる。


 俺はまず、映像を記録する魔道具を、セシリアと一緒に空き教室に設置した。

 それは1センチほどの小型の水晶で、中に込められた魔術式は、映像と音声を記録する特殊なものだ。


 手のひらに乗せれば、その重みさえ感じられないほどに軽い。


 セシリアもわずかに頬を赤らめながら、指示通りにその魔道具を置いた。

 その動作はどこかぎこちなく、遠慮がちだった。


 陽の光を浴びて、彼女の指先がかすかに震えているのが見えた。


 そして、後日、王子をその部屋に呼び出した。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 その日の夜。


 俺は自宅の書斎で、情報を記録した水晶に魔力を込めて起動させた。

 水晶は淡い光を放ち、プロジェクターのように空中に映像を映し出す。


 そこには放課後の空き教室が映し出された。


 夕暮れのオレンジ色が窓から差し込み、教室の片隅をぼんやりと照らしている。

 ほこりが舞い、静寂に包まれたその場所で、セシリアとリアム王子が、ややぎこちなく向かい合って立っていた。


 セシリアが震える声で告白を始めた。


「わ、私……リアム王子様のことが、ずっと……」


 彼女の顔は赤く染まり、視線は宙を彷徨っている。


 ゲームのシナリオ通り、彼女は純粋に恋心を抱いているのだ。

 リアム王子は戸惑いながらも、その気持ちを受け止める。彼の表情には、驚きと、それ以上の喜びが浮かんでいるように見えた。


 その口元が微かに緩んでいる。


「セシリア、私も……君の気持ちに応えたい」


 リアム王子は、ぎこちないながらもセシリアに手を伸ばした。

 彼の指先が、ゆっくりとセシリアの肩に触れる。


「……リアム様」


 セシリアは一歩前に進み、彼に身を寄せた。

 そして、セシリアに促される形で、リアムは彼女のことを自分から抱きしめた。


 これは俺の指示だ。

 リアムには積極的になって貰わないと困る。


 彼の腕が、セシリアの華奢な背中に回された。

 二人の間にあったわずかな隙間が埋まる。


 水晶から映し出される二人の姿を見つめながら、俺は口元を歪めた。


(よし、王子の方から言い寄っている映像はきっちり残せた)


 ***


 この後も、俺は定期的に二人の「秘密の逢瀬」を続けさせた。


 もちろん、全て俺の監視下で――

 愛し合う二人の行為はどんどん過激になっていく。


 リアムはセシリアに愛を囁き、時には予想外の大胆な行動を取っていく。


「セシリア、君を愛してる」

「私も、あなたをお慕いしています。もっと強く抱きしめてください」

「……、セシリア!!」


「よし、ここを使うか、ここと繋げて……」


 そう呟きながら、俺は編集作業を進めていく。

 指先が作業用の魔道具を叩くカチカチという音だけが、書斎に響く。


 薄暗い部屋には、水晶から放たれる淡い光が唯一の光源だ。

 王子の方からセシリアに言い寄っているように、映像は細かく切り貼りされ、繋ぎ合わされていく。


 まるで、彼らの恋愛が最初からそうであったかのように。


 それは必ずしも肉体的な関係ではなく――

 甘い言葉や、熱烈な抱擁、そして見つめ合う視線の交錯。


 だが、第三者が見れば、それが愛情表現以外の何物でもないことは明白だろう。 

 思わず赤面してしまうような映像の数々。


 画面の中の二人は、本当に恋人同士に見えた。


(まあ、これだけあれば十分だな)


 水晶に映し出された完成された映像の出来栄えは、俺の期待をはるかに超えるものだった。リアム王子がセシリアに夢中になり、彼女を求める姿がそこにはある。



 しかしまあ、ここまでの作業は何というか――

 名状し難いものがあった。


 前世でこのゲームをプレーしていたプレイヤーとして、俺はセシリアのことが好きだった。――というかヒロインみんな好みだった。


 そのヒロイン(しかも自分の婚約者)と他の男とのラブシーンの編集作業に従事し続けたのだ。


 奇妙な感覚だった。


 画面の中の彼女が笑顔を向けるたびに、胸の奥で何かが軋むようだった。


 なんで俺は自分の婚約者が浮気しているプロモーションビデオを苦労して作っているんだ? という疑念に、何度も押しつぶされそうになった。


 理性と感情がせめぎ合い、不可思議な興奮と背徳感で脳が異常をきたす。

 編集作業を終えた俺は、癒しを求めてリーリアとミナを呼び出した。


「――ふう」


 俺がため息を漏らすと、二人が俺を気遣ってくれる。


「お疲れさまでした。ゼノス様」

「ご主人様、大丈夫?」


 バニーガールとウサギのぬいぐるみの姿で。


 俺はとある考えがあって、様々な衣装を発注し取り寄せている。

 二人にはその試着をさせていたのだ。


 巨乳で大人なリーリアはセクシーな黒のバニー姿で、滑らかな生地の光沢が、彼女の豊満な肢体を際立たせる。


 無邪気な子供のミナは可愛らしい真っ白なウサギのぬいぐるみの衣装を着て、大きな耳がぴょこぴょこと揺れる。


 彼女たちの柔らかな声と、楽しそうな仕草が、激務に疲れ果てた俺の心を癒してくれる。視覚と聴覚、そして彼女たちの存在そのものが、俺の疲弊した精神を包み込んだ。


 まあ、それはともかく――


 準備は整った。


 次の行動に移るとしよう。

 俺の顔に、静かな笑みが浮かび上がる。


 薄暗い書斎の照明が、その表情を不気味に、しかし確実に照らした。

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