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第114話 森の囁きと密告者

 エルフの森を探索し、希少な魔法素材【虹色苔】を入手した、その翌日。

 エレノアの婚約で傷心しているであろうエリオットを励ます会を開催してから、三日が経過していた。


 俺は、学校での退屈な授業を終え、再びあの神秘の森へと転移する。


 前回から十分に間を空けての探索再開。

 休養も、万全だ。


 濃い霧が常時発生している、あの不気味な地点から、さらに東へと――

 俺たちは歩みを進める。


 季節はようやく春先とはいえ、北方に位置するこの森の夜は、かなり冷える。


 吐く息が、白く凍った。


 しんと静まり返った夜の森。

 その静寂の中、俺たちの落ち葉を踏みしめる音だけが、やけに大きく響く。時折、夜行性の鳥や虫の鳴き声が、その静寂を破った。


 そんな無数の鳴き声の一つに、俺の隣を歩いていたエルフたちが、ぴくりと反応する。


「……ゼノス様。どうやら、シフィールが怪我をしているみたいです。助けてあげたいのですが、よろしいでしょうか?」


 俺の隣を軽やかな足取りで歩いていた、薬師のフローラが、お伺いを立ててきた。その穏やかで優しい茶色の瞳が、俺の顔をじっと見つめている。


「シフィール、というのは、鳥の名前か?」


「はい。この神聖なる森『シルヴァン』にのみ生息する、特別な小鳥です。我々エルフは、本来、野生の生き物には決して干渉しないという“不干渉の原則”を固く守っております。ですが、このシフィールだけは、例外なのです」


 その鳥は、エルフ族と共生関係にあるようだ。

 エルフには、小鳥の鳴き声を種類ごとに正確に識別する能力があり、簡単な単語での意思の疎通も可能だという。


「分かった。この森の中では、エルフのしきたりを重んじよう。その、シフィールとかいう小鳥を助けに行くか」


「……! ありがとうございます、ゼノス様!」


 俺たちは、少しだけ本来の進路を外れて、そのか細く、助けを求めるような小鳥の鳴き声がした方へと向かった。


 シフィールは、深い草むらの中に、その小さな体を隠していた。

 緑と黄色の美しい羽が生えている。


 どうやら、何者かに襲われ、その翼に深い傷を負って飛べなくなってしまっていたらしい。そこへ、エルフたちが通りかかった気配を感じたので、必死に助けを求めた――というわけだ。


 フローラが、その震える小鳥を両手で優しく包み込むように抱きしめ、回復魔法をそっとかける。

 彼女の美しい手から、温かな金色の優しい光が、微かに漏れ出していた。


 しばらく魔法をかけて傷を完全に癒した後、フローラは常備している特別な薬草を、その小さな口へと与える。


 小さく丸めた、黒い栄養満点の粒。

 それを食べると、丸一日は何も食べずとも元気に活動できるらしい。


 その後、フローラと小鳥は、「ピュー、ピュー」という可愛らしい鳴き声で、何やらしきりに言い合っていた。


 おそらく、お礼とか、そんなところだろう。


 やがてシフィールは、フローラの優しい手のひらの元から、元気よく夜の闇へと飛び立っていった。


「ゼノス様。今、あの子が教えてくれました。この先の小さな泉に、とても綺麗に光り輝く石があるそうです。もし、よろしければ、行ってみますか?」


 フローラは、あの小鳥から、そんな貴重な情報をもらっていたようだ。

 何かしらの希少な魔法素材かもしれない。


「……ああ。行ってみるか」


 小鳥が教えてくれたというその先に進むと、たしかに、月明かりを反射してきらきらと輝く、小さな泉があった。


 どこからか、絶えず清らかな湧き水が流れ込んできて、ここに溜まっているようだ。水晶のように透き通った水の中には、ぼんやりと光るいくつかの石が沈んでいた。


 それは、美しい琥珀色に輝く、小さな結晶体だった。


「……これは、【精霊の木霊】ですね。とても珍しいものです。この石は、不思議なことに、水中でしか魔力を保つことができず、取り出してしまうと、すぐにその美しい輝きを失い、ただの何の変哲もない石に戻ってしまうのです」


『精霊の木霊』は、自らの魔力を声に変換し、どんなに遠く離れた相手にでも、その言葉をはっきりと伝えることができる――通信魔術の、極めて強力な触媒となるそうだ。


 また、精霊との対話を補助する効果もあるらしい。

 ただし、その効能は術者との相性が何よりも重要で、このアイテムを使えば誰にでもそれができる、というわけではないとのこと。


 この神秘的な輝きを維持したまま保管するには、泉の聖なる水ごと石を密閉された容器に入れる必要がある。


 この知識を知らなければ、あまりにも貴重な魔力石が、一瞬でただの石ころに変わってしまうのだ。


 特殊な加工を施せば、その輝きを石に永遠に定着させることも可能らしいが――

 それまでは、こうして泉の水につけておく必要があるという。


 俺は、その場で靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾を膝の上までたくし上げる。

 夜の冷え切った空気が、一段と肌に突き刺さるようだった。


 骨の髄まで凍り付くような冷たい泉の中に、俺は足を踏み入れた。


 冷たい。

 だが、我慢だ。


 自らの魔法の効果を打ち消す【魔封印】の範囲を最小限まで絞り、水筒型の密閉容器を泉の水の中に沈める。


 そして、その容器で、水底に沈む石を、聖なる水ごとそっと掬い上げた。

 こうして俺は、【精霊の木霊】を無事に採集することができた。


 今日は、ここで探索を切り上げることにした。

 体が冷えて、寒い。


 俺は転移魔法を使い、四人の美しいエルフの少女たちと共に、エルフの里へと移動する。冷たい水で体がすっかり冷え切ってしまったので、少しだけ暖を取らせてもらうことにした。


 里の中央にある大きな焚火で、冷えた体を温めていると――

 フローラが湯気の立つ温かい飲み物を持ってきてくれた。


「よろしければ、どうぞ。すぐに温まりますよ。それと、少しだけ、失礼しますね」


 彼女はそう言うと、俺の冷え切った体に、そっと温かい手を触れた。

 そこから、体の芯にじんわりと力が湧いてくるような、柔らかな魔力がゆっくりと流れてくる。これもまた、回復魔法の一種なのだそうだ。


「……ありがとう。助かったよ」


 俺は、彼女の長く、丁寧に編み込まれた蜂蜜色の髪をそっと手に取り、その毛先に、感謝のキスを落とした。


 フローラは、顔を少しだけ赤らめて、嬉しそうにはにかんだ。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 エリオットの失恋を慰めるための、奇妙な食事会から、数日が経っていた。


 放課後。


 場所は、王立魔法学園にあるリアム王子専用の豪華なサロン。

 そこで今、一つの内密な話が、静かに交わされようとしていた。


「それで、話というのは? ここにわざわざ来たということは、何かしら手がかりを掴んだのかな?」


 リアム王子は、自分を訪ねてきた貴族令嬢に静かに問いかけた。


 彼女の名は、メリンダ・ランカスター。

 王都の、しがない貧乏男爵家――ランカスター家の三女にして、あの奴隷商ザイツ家の嫡男、バルタザールと婚約したばかりの少女だ。


「いえ。リリアーナさまの行方は、残念ながら、まだ。ただ……」


 彼女はそこで一度、言葉を切った。

 そして、自信と余裕に満ちた表情で、ゆっくりと顔を上げる。


「ただ、その内偵の過程で、一つ、極めて重大な情報を入手いたしました」


 くすんでいたはずの青い瞳に、今は確かな光が宿っていた。

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