第113話 それぞれの恋路
「ち、違うのです、殿下! 断じて、そのようなことは! この、グリムロックの根も葉もないたわごとを、決して真に受けてはなりません!」
顔を真っ赤にして、必死に否定するエリオット。
しかし、それが照れ隠しだということは、リアム王子にも分かったようだ。
彼は、エリオットを連れ出した俺をそれ以上追及することなく、自分も宴に参加すると宣言した。
「ははは。まあ、恥ずかしがることはないさ、エリオット。まさか、お前が姉上のことを、そこまで一途に好きだったとはな……」
彼が加わったことで、この“傷心の参謀”を慰めるための食事会は、より一層、賑やかになっていく。
やがて、階下のステージで、歌姫リーラのソロ歌唱が始まった。
その、どこまでも透き通るような――それでいて、聴く者の魂を優しく揺さぶるような歌声に、俺たちは、しばし時が経つのも忘れて聞きほれた。
歌が終わり、万雷の拍手が階下の客席から鳴り響く。
その余韻の中で、リアム王子が、そっと小声で俺に話しかけてきた。
「……ところで、ゼノス君。あの、踊り子の出番は、もう終わってしまったのかね?」
誰のことだ?
「『あの踊り子』と、申されますと?」
「決まっているだろう。以前、君と、この劇場で話した時に、一緒にいたではないか。私が、君に教わった作法に則って、あの『チップ』を、直接渡した、赤毛の、可愛らしい少女のことだ」
……ああ。
【変身の指輪】で、その姿を変えていた、俺の婚約者、セシリアのことか。
「それは、リアム殿下が、衣装を『無理やり引っ張り、脱がそうとしていた』――あの、可憐な踊り子のことですか?」
「なっ……! ちょっと待て、人聞きの悪い言い方をするな! あれは君が、この劇場での、チップを渡す際の、正式な作法だと、そう言ってやらせたのではないか! まさか、あれは、嘘だったのか!?」
リアム王子が、その端正な顔をリンゴのように真っ赤に染めて、俺に抗議してきた。――まったく、からかいがいのあるお方だ。
「お怒りにならないでください、殿下。ほんの、小粋なジョークですよ」
「笑えないぞ、それは――君は本当に、くだらない真似が好きだな。……それで、あの踊り子の少女は、今日は、どこにいるのだ? もう出番は終わったのか?」
俺が、うまく話題をそらしたというのに――
王子はしつこく、食い下がってきた。
「彼女は、何を隠そう、俺の一番のお気に入りでしてね。ですから、なるべく側から離さないようにしているんですよ。彼女は劇場から引き抜いて、屋敷でメイドをさせています。――ここで探してもいませんよ」
「なんと、独占欲の強い。心の狭いことをする。――自信のない男はこれだから困るよ。まったく……、君のような男に彼女は、あまりにも“もったいない”のではないかな。より彼女にふさわしい、この私が、もらい受けるべきだと、そう思うがね」
ほう。
かなり、ご執心のようだ。
「もらい受けるとは、どのように――まさか、王族の権力で無理やり奪いますか? そんなことをしても、彼女は喜びませんよ。悲しむだけです」
「ははっ! 無理やり奪う気など毛頭ないさ。もちろん、相応の対価は支払うよ。それに、私と共に同じ時間を過ごせば、彼女もすぐに、私からあふれ出る魅力に気づき、私のことを好きになる」
――その、根拠のない自信は一体どこから来るんだ。
俺とリアム王子が、一人の女をめぐって言葉の応酬を交わす、その横で――
エリオットとエルフのカイルが、ひたすら口汚く罵り合っていた。
「さっさと奪わないから、他の男に横から攫われたのだろう。行動を起こさなかったお前が悪い。気持ちを伝えて振られるのが怖かっただけだろう。自分の気持ちが傷つくのが嫌だっただけだ。被害者ぶって泣きべそをかくな、女々しい奴め」
「尊敬する相手を無理やり奪うなど、できるはずもないだろう。貴様にはそれができるのか? 貴様こそ、自分の好きな相手を無理やり奪ってみせろ。相手の気持ちを考えれば、できないだろう? 自分にできないことを、人にやれというな」
二人は同時に喋り続けているのに、それでいて相手の言うこともちゃんと聞いている。口げんかをするために生まれてきたような男たちだ。
彼らの能力は、無駄に高かった。
互角の攻防。
その、あまりにも不毛で醜い二人を見かねたのだろう。
あるいは、何も考えていないのかもしれないが――
「がははははっ! お前ら、まあ、そういがみ合うなよ! 仲良く飯を食おうぜ!!」
アルドリックが、その二人をまとめて、その巨大な両腕で、ぎゅううううっと力強く抱きしめた。
どうやら、あの大男なりの、不器用なやり方で仲裁しているらしい。
「お、おいっ! アルドリック、痛い、いたっ、いたたたたたっ!」
「ちょ、やめろ、この糞人間がっ! ぐっ、骨が、折れる……! いたっ、いたたたたたっ!」
――どうやら、二人の醜い喧嘩は、物理的に収まったみたいだ。
***
劇場の正面エントランスまで、俺は彼らの見送りに来ていた。
エリオットとアルドリックのことは、リアム王子が責任をもって、自分の馬車で連れて帰ることになっている。
「では、ゼノス君。今夜は何かと世話になったな」
「いえいえ。お互い様ですよ、リアム王子」
――別に、俺は彼らに世話になどなっていないのだが。
まあ、何となく社交辞令で、そう言っておいた。
彼らを見送っている途中で、劇場で警備の仕事をしているエルフ族の姫、リフィアが、心配そうに俺たちの様子を見に来た。
「ゼノス様。またカイルが、何かご迷惑をかけてはいませんでしたか? 私、心配で……」
その、月光のように清らかで美しい彼女の姿を見たエリオットが、その場で完全に固まった。
「な、なんと、可憐な……。まるで、女神……」
どうやら、新たな恋に落ちたらしい。
それを察したカイルが、エリオットを殺すかのような凄い目で睨みつける。
「……殺すぞ、糞メガネ……」
だが、その殺意に満ちた挑発を完全に無視して、エリオットが俺に問いかけてきた。
「ぐ、グリムロック! あの神聖な輝きをその身に帯びた、気高きレディは一体どなたなのだ!? まさか、この、いかがわしい劇場の従業員か!? お前のような人間のクズが、彼女のような聖なる存在を雇っているなど、それ自体が神への冒涜! 断じて許しがたい! 今すぐに彼女を解放しろ! 金なら、お前の言い値で、いくらでも払ってやる!」
どうにも、こいつは思い込みが激しくて困る。
エレノアの次は、リフィア――
お姫様が好きなのだろうか?
「お前が一体、何を言っているのか、さっぱり意味がわからんが。このリフィアは、俺の大切な恋人だ。そして、彼女は俺の側にいるのが一番幸せなんだ。だから、邪魔をするな」
俺はそうきっぱりと言って、リフィアの華奢な腰にそっと手を回し、彼女を優しく抱き寄せる。
リフィアは状況をまったく呑み込めていないが、俺に抱きしめられて嬉しそうな照れ笑いを浮かべる。
「「おのれぇぇぇぇぇッ! 貴様ぁぁぁぁぁッ!!」」
「「おのれぇぇぇぇぇッ! グリムロックぅぅぅぅぅッ!!」」
なんと、カイルとエリオットが、その憎しみの言葉を完璧に声をそろえて俺に罵倒した。
――実は、仲が良いんじゃないのか、こいつら。
まあ、何はともあれ。
あれほど落ち込んでいたエリオットが、こうしてすっかり元気になって、何よりだ。
俺は、夜の闇へと消えていく王子たちの馬車を見送った後で、屋敷へと転移して戻った。
まったく、騒がしい奴らだった。
だが、まあ――
たまには、こんな夜も悪くない。




