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第111話 王女の婚約

 エルフの森を探索し、希少な【虹色苔】を入手した、その翌日。


 学校の門をくぐると、生徒たちがいつもより浮ついているのを感じた。

 廊下のあちこちで、令嬢たちが集まっては、ひそひそと――しかしどこか興奮した様子で囁き合っている。


「なんだか、いつもより騒がしいな」


 俺がその華やいだ空気の中、自分の教室に入ると、クラスメイトで婚約者のセシリアとリゼルがすぐに駆け寄ってきた。


「ゼノス様! もう噂で聞いておりますか?」

「エレノア様のご婚約が、正式に決まったそうなのよ!」


 その言葉に、俺の胸の奥が――

 ちくりと、冷たい棘で刺されたような感覚に陥った。


 いずれは来ると分かっていた未来。

 だが、いざ現実として突きつけられると、想像していた以上に心がざわついた。


 王国の貴族の子女たちが集う、王立魔法学園『アルカナム』。

 ここでは、高度な魔法の学習と実技訓練、そして将来のための貴族同士の社交が行われている。


 学生でいられる最後の期間――

 前世でいうところの“大学”にあたる場所だ。


 ここを卒業すれば、皆、一人前の大人として社会に出ていく。

 上級生であるエレノアも、もうじき学園を卒業する。


 そして卒業後すぐに、政略結婚でどこかの貴族の元へ嫁入りする――というわけだ。


「……それで。相手は、誰なんだ?」


 答えは予想できていたが、俺はあえて二人に尋ねた。


「それが、やはり同じ生徒会にいらっしゃる、バルトロメウス・クロウリー様らしいのです」

「言われてみれば、納得だわ。何せ、あのクロウリー公爵家ですものね」


 クロウリー公爵家は、ドワーフ族をその支配下に置いている、この国でも指折りの名門貴族だ。

 質の高い武具を安値で大量に生産できる、その圧倒的な生産能力。

 それによって蓄えられた莫大な財力と、強大な兵力。


 エレノアの政略結婚の相手としては――

 極めて妥当だろう。


 和平派と、我ら戦争継続派との対立が日に日に激化している昨今。

 先日誘拐されたリリアーナ姫も、いまだに行方不明のままだ。

 彼女の捜索で王家の騎士団が踏み込んだいくつかの施設では、武装蜂起の準備が疑われる大量の物資の備蓄が見つかったという。


 このきな臭い情勢を鑑みれば、王家がクロウリー公爵家との関係をさらに強化しようとするのは、当然の一手と言える。


 だが、俺としては――

 実に複雑な心情だった。


 エレノアは、おそらく照れて全力で否定するだろうが、あいつはもはや、俺の恋人といっても差し支えのない存在だ。


 その“俺の女”が、別の男の元に嫁に行くというのだからな。


 俺は、その胸に秘めた、わずかな切なさと寂しさを――誰にも気づかれぬように、心の奥底へと静かに沈めた。



 ***


 そんな、やり場のない寂しさを抱えているのは、俺だけではない。


 この広大な学園には、少なくとも、もう一人――

 エレノアの突然の婚約の報に、深く落ち込んでいる人間がいる。


 俺は、その男、エリオットを探して、放課後のまだ肌寒い学園を散策していた。

 日差しは、ようやく春を感じさせるようになってきたが、吹き抜ける風は、まだ冬の名残を留めている。


 中庭を歩いていると、王子リアムの側近の一人、緑髪の大男――

 アルドリック・ストーンウォールに出くわした。


「おう、グリムロックじゃねーか」


 珍しいことに、今日は決闘を挑んでこない。

 ベンチに一人、背もたれに身を預け、ぼんやりと空を見上げている。

 その横顔には、どこか寂しげな影が差していた。


 こいつも、エレノアのことが好きだった――というわけではないだろう。

 だが、彼女の卒業と婚約に、何かしら思うところはあるようだ。


 馬鹿丸出しの脳筋人間ではあるが――

 多少は人並みの情緒も持ち合わせていたというわけだ。


 ちょうどいい。


 こいつに聞こう。


「ああ、アルドリックか。良いところで会った。――お前の相棒の『糞メガネ』が、どこにいるか知らないか?」


「ん? ああ、エリオットなら、もう生徒会室に行ったんじゃねーか?」


 そうか。

 奴はもう生徒会室に向かったらしい。


「あいつに、なんか用かよ?」


「ああ。少し慰めてやろうと思ってな。――あいつが想いを寄せる、愛しのエレノア殿下が、他の男の元に嫁ぐことが決まったんだ。今頃、一人で落ち込んでることだろう」


 俺が目的を正直に説明すると――


「……は? ええっ!? あいつ……、エレノア様に気があったのかよ!!」


「ああ。なんだ、お前――気づいてなかったのか?」


 アルドリックは心底、大げさに驚いていた。


「な、なんだよ、あの野郎! 水臭いな! そういう大事なことは、ちゃんと言えよな!」


「まあ、あいつは根暗で、シャイだからな。人に悩みを打ち明けるなんて、できなかったんだよ。――それで、こういう時は、強引にでも気晴らしをさせてやった方がいいと思ってな」



 ***


 俺は、アルドリックと共に、生徒会室へと向かうことになった。


 ドアをノックしてから開けると、そこにはエレノア、件のエリオット、そして結婚相手であるバルトロメウスがそろっていた。

 そして、それ以外の生徒会メンバーたちも部屋の中にいる。


 珍しい、と思ったが――

 俺が例外的に、人の少ない時間帯に訪れているだけで、これだけ人がいる状態が“普通”なのだろう。


「なんだ、グリムロック! いったい何の用だ。貴様! この神聖なる生徒会室に、お前のようなゴミが、そう気楽に何度も訪れて……ん? アルドリック、どうして君が、こんな奴と一緒にいるんだ!?」


 いつものように甲高い声で喚くエリオット。

 俺は奴の抗議を完全に無視して、エレノアに話しかける。


「エレノア殿下。今日一日、この、『糞メガネ』を、お貸しいただきます」


 そう一方的に宣言すると、俺はエリオットの細い首に有無を言わせず腕を回し、プロレス技のように強引に締め上げた。


「……エリオットを? それは、まあ、構わないが……。一体、何の用だ?」


 エレノアも、けげんな表情を浮かべている。

 その時、アルドリックがエレノアに向かって、その大きな体で深々と頭を下げた。


「突然、申し訳ありません、エレノア様! 今日ばかりは、どうか、こいつを俺たちに預けてください!」


「……お前がそこまで言うのであれば、よほどのことなのだろう。分かった。何もきかん。エリオットを、頼んだぞ」


 俺から何とか逃れようと必死にもがくエリオットの体を、まるで子供をあやすように軽々と抑えつけ、引きずりながら――いっしょに馬車へと向かった。


 生徒会室の様子をちらりと見たが、エレノアと、その婚約者であるバルトロメウスは、驚くほど普段通りだった。


 婚約が決まったからといって、急に、いちゃつきだす、ということはないらしい。


 ちなみに、エレノアがこの学園を卒業した後は、このバルトロメウスが次期生徒会長となることが、すでに内定している。クロウリー公爵家であれば、その身分としても申し分ない。


 ――盤石な政略結婚だ。


 俺は心の中で、そう呟いた。

 チクリと、痛む、何かを感じながら。

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