第110話 ドワーフの姫への口づけと霧の中の虹
エルフの森を探索し、貴重な魔法素材【月光草】を入手した。
あれから三日、経過したが探索には出ていない。
毎日徹夜で森を歩き回っていては、疲労がたまり、いざという時に危険だ。
素材集めは、日を置いてじっくり進めることにした。
そして、休養は十分にとった。
今日の学校帰りに、再びエルフの森へ向かう予定だ。
***
朝食を済ませてから、俺は彼女たちの様子を見るために庭を散歩することにした。刈り揃えられた芝生の上では、朝露がきらきらと輝いている。
小鳥のさえずりが聞こえ、実に爽やかな朝だ。
しばらく歩くと、遠くからトントンという小気味よい槌の音と、木を削る乾いた音が聞こえてくる。
ドワーフの少女たちが、鍛冶場となる小屋を作っている作業場が見えてきた。
新しい木材の爽やかな香りと、掘り返された土の匂いが混ざり合う。
小屋の基礎工事はすでに完了しており、今は土台作りの段階に入っている。同時に、運び込まれた大量の材木を切ったり、穴をあけたりして、これから組み上げる柱や梁の準備も着々と進められていた。
たった五人で、これだけの作業を効率的に分担し、着実に小屋づくりを進めている。
その様子を見た俺は、彼女たちの能力に感嘆した。
鍛冶場の隣には、彼女たちの居住用となる小さな家の建築も許可している。
しばらくはここで、働きながら、気兼ねなく暮らしてもらうつもりだ。
腕利きの職人である彼女たちに任せておけば――この手入れの行き届いた美しい庭の景観と完璧に調和する、素晴らしい小屋を建ててくれるだろう。
「――ゼノス様、おはようございます!」
俺が彼女たちの見事な仕事ぶりを眺めていると、ドワーフの姫、エイル・アイゼンフリートがこちらに気づき、元気よく挨拶をしに来た。
額には玉のような汗が光っているが、その表情は実に生き生きとしている。
「ああ、おはよう。必要なものの発注はすべて済ませてある。届き次第、ここに運ぶように使用人たちには言ってある」
「はい! 本当にありがとうございます! きっと、あなた様のために、立派な最高の剣を作ってみせます!」
その、明るく希望に満ちた、一点の曇りもない笑顔。
そんな彼女に、俺は不覚にも心を射抜かれた。
気づいた時には、俺は彼女の小さな肩を両手で掴み、その唇に自らの唇を重ねていた。
(……しまった。俺は何をやっているんだ?)
そう思ったが、やってしまった後である。
後の祭り、というやつだ。
俺がそっと唇を離し、エイルの様子を窺うと――
彼女は顔をリンゴのように真っ赤に染めて、大きな瞳をまん丸くしている。
小さな肩が、ぴくりと震えた。
「……すまない。エイルがあまりにも可憐だったもので、つい――嫌だったか?」
「い、いえっ! こ、これも……その、私に力を貸してくれるための、『条件』なのですよね……?」
そういう訳でも、まったくないのだが。
もし彼女がそう勘違いしてくれているなら、このまま押し通すか?
力を貸してやるのだから、身体を差し出せと……。
いや、この純粋な子に無理やり迫るのも、なんだか気が引ける。
もし本気で嫌がっているようなら、それは止めておくとしよう。
――武器を作らせるだけで十分だ。
その為にも、彼女の気持ちを見極めなければ。
「……どうしても嫌なら、そう言ってくれ。俺は、無理強いはしない」
すると、彼女は目を恥ずかしそうに伏せて、もじもじとしながらこう答えた。
「……い、嫌では、ないです。その……ただ、すごく、恥ずかしかったですけど」
これは、脈ありと捉えてよさそうだ。
だが、彼女の立場上、本当は嫌でも、嫌だとは言いにくいということもあるだろう。これからは、彼女の様子を見ながら、慎重に距離を詰めていくことにしよう。
「では、俺はもう出かけてくる」
「は、はい! 行ってらっしゃいませ、ゼノス様!」
エイルは、その小さな手をぶんぶんと大きく振って、俺を見送ってくれた。
どうやら、本当に俺のことを嫌っているわけではなさそうだ。
俺が屋敷に向かって歩いていると、背後からドワーフの少女たちの黄色い歓声が聞こえてきた。
俺とエイルのキスシーンをこっそり見ていたらしい四人の侍女たちが、姫であるエイルに事実確認をした後で、きゃーきゃーと騒ぎ立てている。
どうやら、ドワーフの少女たちも、この手の恋バナは大好きらしい。
***
俺が学校に行き、その帰りに劇場へ寄って、エルフの森へと転移する。
森に転移した俺たち五人は、前回探索を終えた場所から、さらに北東へと進んでいった。転移した直後は、まだ夕日で空が微かに赤かったが、しばらく歩くと、あっという間に深い暗闇が森に下りてきた。
さらに奥へと進むと、森に濃い乳白色の霧が立ち込めてくる。
視界は数メートル先までしか効かない。湿った冷気が肌にじっとりとまとわりつく。
ここが目的の場所だ。
常にこの深い霧が立ち込めている場所でしか採取できない、特殊な魔法素材がある。俺たちは互いに、はぐれないように身を寄せ合い、固まって慎重に探索を続ける。
シルフィアが背に負っていた美しい弓を構え、その澄んだ青い瞳で、霧の奥の――常人には何も見えないはずの白い闇の先を、射抜くように見つめている。
その時だった。
俺の隣で弓を構えていたシルフィアが、突然、何もないはずの場所へと、その矢を鋭く放った。
ひゅっ、と風を切る短い音。
どさっ。
霧の奥深くから、何か重いものが地面に倒れる、肉の潰れるような鈍い音がした。
少し風が流れ、一瞬だけ霧が晴れると――
そこには、猪に似た巨大な野生動物が、眉間に見事に矢を突き立てられて横たわっていた。
俺はまったく気づかなかった。
だが、こいつはこちらに向かって高速で突進してきていたようだ。
(……気配は、全くしなかったんだがな)
エルフ族は、その視覚だけでなく聴覚も、人間とは比べ物にならないほど優れているらしい。
シルフィアが一緒にいてくれて、本当に良かった。
もし彼女がいなければ、今頃、俺たちの誰かが大けがをしていたところだ。
「……よく気づいたな。お見事だ。――助かったぞ、シルフィア」
俺は心からの賞賛の言葉を送りながら、彼女の長く尖った耳を優しくなでる。
「こ、このくらいは! 大したことでは、ない、です……!」
謙遜しながら首を振るシルフィアの、若草色の髪をまとめた美しいポニーテールが、ぱたぱたと揺れている。
それが俺には、嬉しそうにしっぽを振っているように見えた。
「そ、それよりも! この獲物を村に持って帰りましょう、ゼノス殿! 転移で運んでいただけませんか?」
彼女はそう言いながら、獲物へと近寄った。
そして、その場で驚きの声を上げる。
「こ、これは……!」
倒れていた獲物のすぐ隣。
岩肌の一部が、まるで内側から光を放つかのように、七色にゆっくりと明滅していた。
暗い森の中で、そこだけが別世界のような幻想的な輝きを放っている。
【虹色苔】。
これは、魔力的な強力な結界を張るのに最適な、極めて希少な魔法素材らしい。
俺は、そのあまりにも美しい苔を、ナイフで慎重に削り取り、あらかじめ用意してきた特別な入れ物に丁寧に採取した。
仕留めた獲物をエルフの里に届けた後。
「本当に、今日はお手柄だったな、シルフィア」
俺は、その功績を改めて称え――
彼女の華奢な体を強く抱き寄せて、ねぎらってやったのだった。




