第10話 愚か者は宙を舞う
「別に笑ってなどいないさ。滑稽だな――とは思っていたが……」
ざわめきが止み、クラスの連中が俺たちに注目する。
好奇の視線が肌に突き刺さるようだ。
……注目されるのは苦手なんだけどな。
内心では辟易へきえきしているが、それを微塵みじんも顔に出さず、俺はルカ・ドルトンに冷淡な視線を向けた。
三下キャラの典型のようなルカは――
みるみるうちに苛立いらだちを募らせていた。額には青筋が浮き、まるで今にも食ってかかりそうな勢いで、その目は怒りにギラついている。
「て、てめー、『敗北のゼロ』の分際で、この俺をコケにしやがって! ……決闘だ! この俺と決闘しろ!!」
『敗北のゼロ』、それはこの俺――
ゼノス・グリムロックに付けられた不名誉な渾名だ。
魔力ゼロの落ちこぼれとして知れ渡る俺は、貴族社会では嘲笑の対象でしかない。
見物人たちのひそひそ話が聞こえるようだ。
魔力測定の結果と、アルドリック・ストーンウォールとの決闘を断ったことで、俺のことを見下す奴は多い。
さては、こいつ……。
俺が決闘を受けないと踏んで憂さ晴らしに絡んできたな。
ここで相手が決闘を断れば、最低限の面目を保てるとでも考えたのだろう。
婚約者の伯爵令嬢・リゼル・ブランシェットに、良いところを見せたかったのかもしれない。――だが、それは浅はかな計算だ。
俺がアルドリックとの決闘を避けたのは、実力を隠すためだ。
手の内を隠して対処できるなら、逃げはしない。
それに、ことあるごとにこう挑まれてはたまらない。
見せしめも必要だ。
訓練場の注目を一身に集める中――
俺は静かに、しかし有無を言わさぬ口調で告げた。
「いいだろう。その決闘、受けてたとう。ただし、場所はこちらで指定させてもらう」
俺の返答に、ルカは明らかに動揺した。
眉間に深い皺しわを寄せ、瞳を大きく見開いている。
その顔には、「まさか受けるとは」という驚愕と、「しまった」という後悔がはっきりと見て取れた。彼の表情は、まるで凍りついたかのように硬直している。
「なっ、お前、決闘を受けるのかよ!? 俺相手なら勝てるとでも思ったか? 舐めてんじゃねーぞ、魔力なしが!」
その捨て台詞は、もはや焦燥以外の何物でもない。
声には動揺が滲み、足元がおぼつかない。
「なんだ、怖気づいたか?」
俺が挑発的に問いかけると、ルカの顔は一気に赤くなった。
三下なりに誇りはあるようだ。そのちっぽけなプライドが許さないのだろう。
唇を震わせ、今にも噛みつきそうな顔になる。
「誰がお前なんかにビビるかよ! いいぜ、受けてやるよ! 場所はどこだ!」
よし、乗った。
「放課後、グリムロック邸にこい。相手をしてやる」
俺の言葉に、ルカは一瞬怯んだような表情を見せた。
グリムロック邸、つまり俺の家。
その選択が、彼に不穏な想像をさせたのだろう。
彼の瞳に、警戒の色が浮かんだ。
「……お前、まさか、人を集めて俺を襲う気じゃないだろうな?」
その質問に、思わず口元が緩みそうになった。
なかなか賢いじゃないか。
「貴族どうしの決闘だ。一対一に決まっているだろう」
(ここで警戒してこいつが逃げれば、面倒ごとを避けられるんだがな)
――内心でそう呟き、俺はルカの顔をじっと見つめる。
彼の視線は泳いでいる。
ここで引き返す選択肢を選ぶだろうか?
疑っているようだったが、引くに引けない状況だと判断したのか、最終的に渋々頷うなずいた。そして威勢良く言い放つ。
「約束だからな!!」
そう吐き捨てるように言い残し、ルカは訓練場から出ていった。
クラスメイトたちのざわめきは、まだ収まらない。
彼らの好奇のまなざしが、一人残った俺に集まる。
俺は静かに、その視線を受け止めた。
こうして俺は、クラスメイトのルカ・ドルトンと決闘することになった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
放課後、俺はグリムロック邸の広大な庭にいた。
手入れの行き届いた芝生がどこまでも広がり、遠くには噴水の水音が微かに聞こえる。夕暮れが迫り、空は茜色に染まり始めている。
柔らかな西日が、庭の木々の影を長く伸ばす。
「うっ、うぎゃああああああ!」
耳をつんざくような悲鳴が、静寂を破った。
見上げれば、ルカ・ドルトンが地上五メートルから、まるで操り人形の糸が切れたように重力に従い、一直線に地面へと叩きつけられる。
バシュッと鈍い音とともに、彼が庭の芝生に激突した。
土埃が舞い上がり、微かな土の匂いが鼻腔をくすぐる。
もう何度目の落下だろうか。
最初は地上二メートルからスタートし、徐々に高さを上げていった。
五メートルに到達するまでに、彼はもう何度地面に打ち付けられたか分からない。その度に、彼の呻き声が響き渡った。
「ぐっ、うううっ……」
ルカは水属性の魔力の持ち主で、効果は小さいが回復魔法を使える。
それで何とか体のダメージを治していたのだが、魔力が尽きてしまったようだ。
呼吸は荒く、全身の震えが止まらない。まるで土から生えたばかりのキノコのように、地面に蹲うずくまっている。
もう立ち上がる気力もないらしい。
「おいおい、早く立てよ。それじゃあ、戦いにならないだろ?」
俺が煽ると、ルカはゆっくりと顔をこちらに向けた。
その瞳は、恐怖と怨嗟が混じり合い、まるで深海の闇を映したように濁っている。
血の滲む唇を絞り出すように言った。
「ひ、卑怯者! 一対一の決闘といったくせに!」
彼の視線が、俺の背後に控える男へと向く。
そこに立っているのは、執事服を見事に着こなした男、アシュラフだ。風に揺れる彼の黒髪と、一切の感情を映さない無表情な顔が印象的だ。
俺の「しもべ」である転移の魔人。
決闘で使っても卑怯と言われる筋合いはない。
(俺の魔力がゼロだから、魔力奴隷なんて作れないとでも思っていたか)
当てが外れたな。
その辺の事情を詳しく説明してやるのは面倒なので、適当に言いくるめておこう。
俺はアシュラフを一瞥し、そして再びルカに目を向けた。
「俺は貴族同士の決闘といったんだ。騎士ではなく、な。正々堂々などという無意味な信条に付き合う気はないんでね」
貴族の決闘は、勝者がルールだ。
敗者が何を言っても、それは負け犬の遠吠えになる。
「この無礼者を、どのように処分いたしますか?」
アシュラフが静かに問いかける。
その声は、深淵の底から響いてくるように低く、しかし有無を言わせぬ響きを帯びていた。彼は迷いなくルカの髪を掴むと、その頭を軽々と持ち上げる。
ルカの顔が、激痛と恐怖に引きつる。
焦点の合わない瞳が、虚空をさまよっていた。
「いっ、いだっ、いだだだだっ!」
髪を掴まれ、無理やり上体を起こされたルカは、もがくことしかできない。
手足が虚しく空を切る。
その姿は、まるで無力な人形のようだった。
夕暮れの光が、彼の蒼白な顔を不気味に照らす。
「とりあえず上で話そうか。そうだな、地上一万メートルで」
俺の言葉に、ルカの顔から血の気が引いていく。
一万メートル。
それは、空気も薄れ、凍てつくような高空だ。
彼の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「かしこまりました」
アシュラフは表情一つ変えず、ルカを掴んだまま、静かに空間を歪ゆがませた。
ぐにゃりと景色が揺れ、その瞬間、彼らの姿は庭から完全に消え去った。
何もなかったかのように、ただ静寂だけが残った。
今頃、地上一万メートルで、ルカは己の愚かさを噛み締めていることだろう。
「――さてと、俺も様子を見に行くか」
俺は空を見上げ、その青から茜色へと移り変わるグラデーションを眺めた。
冷たい風が頬を撫でる。
ふと、口元に微かな笑みが浮かんだ。




