弁柄門の家
「ねえ、夏希。」
「なに?」
先日のATMの件以来、久しぶりに凛子と外出である。
本日は歌舞伎鑑賞に来た劇場で、幕間の休演時間に私が東海道四谷怪談の観劇を止められている話をしていると、相変わらず唐突に彼女が言った。
「この前の話だけどさ、あのATMに出るお婆さんて、限られた範囲にしか出ないよね?」
「え?」
「だって、ほら!あの建物ってさ、けっこう幅があるけどお婆さんが出るのはATMの範囲だけてしょ?」
「ああ、昔の煙草屋って窓越しにやり取りするでしょう?あのATMの位置がその位置で奥は在庫の煙草置場と、お婆さんの休憩所だったのよ。つまりあの範囲がお婆さんの日常のテリトリーだったってわけ。」
「そうなの?」
「おばあちゃん曰く、あの建物のオーナーさんは、お婆さんがあの範囲にだけ出てくるので、仕方なく隔離空間にしたんだけど、銀行があの空間をATMのコーナーにしたいってオファーしてきたらしいよ。」
「なるほど。」
ウンウンと頷きながら、凛子は納得したようにつぶやいた。
「あ、そうだ!実はね、おばさんが正月に遊びに来た時、幽霊話になってね、おばさんも若い頃に見た事があるっていうの!」
「何?おばさんて、霊感ある人なの?」
「うーん、どうだろう?おばさんが見たのは結婚式挙げた当時のことだって話だったし。・・・他に見た事があるって聞かなかった。」
「そうなんだ・・・。」
「それがね、おばさんが結婚した頃に住んでいた家の近くに、本当に大きなお屋敷みたいな家があったんだけど、ずっと人が住んで居なくて幽霊屋敷だって評判だったんだって。」
「ふ、う・・・ん?」
「なんかね、夕方買い物帰りにその家の赤っぽい立派な門が少し開いていて、そこにお婆さんが立っていたんだって。それでゾワッと鳥肌が立って、目が離せなくなったおばさんの前でスッと姿が透けて消えたって!」
「・・・。」
「赤っぽい門て、錆び付いた門てことかなあ?」
「凛子、確認なんだけど・・・。」
「なに?」
「その家って、もしかしたら◎◎市にある?」
「そう!・・・よくわかったね?」
「それで、すぐ近くに小さいけど古い△△神社っていうのがあって。」
「なんでわかるの?」
「ゴメン、その幽霊って、たぶん私のひいおばあちゃん。」
「は?」
「私の血の繋がっていない母方のひいおばあちゃんだと思う。」
私がまだ幼かった頃、母がよく話してくれた事がある。
祖母には8人の子供がいたという。母はその四番目の子供だった。
私が知ってる限り、母には兄二人、弟一人、妹一人がいた。つまり、五人兄弟の中間子の長女だった。
祖母は跡取り娘であったので祖父を婿に迎えたというのだが、祖父もまた元々は別の家の跡取り息子であったそうだ。
祖父の母は早世し、祖父を筆頭に三人の子持ちやもめとなった曾祖父は、再婚を薦められ後妻に迎えたのが、母が祖母と呼ぶ人で私には全く血の繋がりのない曾祖母であった。
「んー、じゃあ・・・夏希のその赤の他人なひいおばあちゃんって人が、化けて出てくるっていうの?」
「まあ、婚約しているのに祖父母は中々結婚できなかったらしいの。」
「なんで?」
「跡取り息子を婿に出せないって。」
「だったらなんで婚約させたの!?」
「おばあちゃんはね、養女なのよ。産後に重い病気になって、他にも子供がいるから赤ちゃんを育てられない親族がいてね、後継者がいない養父母が跡取りとして引き取ったの。」
「なんか、メロドラマ的。昔の昼ドラとか。」
「私もそう思うよ。」
「うーん。で、それから?」
「おばあちゃんは元々養父の親族だったから、その婿にはおばあちゃんを育ててくれる養母の親族から貰おうってことになったらしいの。」
「お互いの血が繋がっているってことかな?」
「かもね。それで何だか結婚の許可のないままに同居してしまったわけ。おばあちゃんの養父母公認だから、あっという間に赤ちゃんが生まれたの。かわいそうに一歳を迎えることもなかったようだけど、昔のことだから、私生児になってしまってね。」
「うーん、今と違うもんね。」
「で、また結婚の許可のないままに二人目の子供ができて、臨月のおばあちゃんはおじいちゃんの実家に乗り込んで行ったらしい。」
「・・・夏希のおばあちゃんて、おばさんタイプか・・・!」
「どういう意味よ!?」
「いや、乗り込んでって、何したの?」
「それがね、いつまでも籍をはっきりさせないなら、お腹の子供を此処に産んで置いて行くってやったらしい。」
「やっぱり強い・・・。」
「・・・。」
「で?」
「・・・結婚の許可が出た。」
「でもなんで許しが出なかったの?」
「外聞が悪いって理由らしいよ。」
「・・・ん?」
「ほら、後妻が跡取り息子追い出したっていうの、外聞悪いでしょ?」
「ああ!」
「まあ、自分が産んだ息子を跡取りにしたかったらしいから、本当は嬉しかったんだろうけどね。」
「願いがかなって、なんで化けて出てくるの?」
「それはさ、自分の可愛い息子が身代潰したからだよ。」
「なるほど~!」
「なんでも、破産してお屋敷みたいな大きい家を手離すことになって、家にしがみついて泣いていたらしいけど、家を離れる二日くらい前に急死したみたい。」
「あのう、まさかの・・・事故物件?」
「違う違う!本当に急死。自殺でも孤独死でもなくて。うちの母は憤死じゃないかって。」
「今どき憤死?」
「今どきじゃないし。大体おじいちゃんは私が小学校に入学する頃に病死しているけどさあ、ひいおばあちゃんはそれよりもずっと前に死んでいるんだよ?」
「そうか・・・。でもなんで化けて出てくるって知ってるの?」
「多分、おじいちゃんの葬式か法事の時に、おじいちゃんの親族が来て言ってたからかな?」
「どういう親族よ!?」
「おじいちゃんの兄弟とかその子供。」
「自分の母親のことでしょう!?」
「いや、おじいちゃんの同腹の兄弟だから。異母弟の母親という名の他人?」
「なるほど・・・じゃあ、その異母弟って人は?」
「知らないよ。聞いたことないし。ひいおじいちゃんも早くに亡くなったらしいから。それに、さっき言ってけど赤錆た門て。」
「え?うん。」
「私も子供の頃に聞いた話でそう信じてたけど、実は弁柄を塗った門なんだってさ。」
「弁柄って、昔の金持ちが塗っていたという?」
「うん。」
凛子は顔をしかめた。
「あのさ、弁柄って豆に塗り直さないと赤く維持できないんじゃ・・・?」
「そう聞くけど、なんかね、当時はさ赤門、お婆さん、消えるって怪談の定番だったみたいだよ?」
「つまり、塗り直さないのに赤く維持されていたって事?」
「そうみたい。」
「・・・。」
「煙草屋のお婆さんみたいに死んだ事がわかっていない霊もいれば、ひいおばあちゃんみたいにしがみついている霊もいるんだね。」
「やっぱり事故物件じゃん。」
「家がまだあるとも思えないけどね。」
私は肩をすくめた。
「あったら怖いよ!!」
凛子は人が戻り始めた客席で叫んだのだった。