純情な恋愛のはじめ方〜彼氏に振られてやけ酒したら、評判最悪の不倫男にお持ち帰りされました〜
「ごめん、リリー、俺と別れてくれ!」
5年も付き合っていた優しさだけが取り柄の彼氏に、土下座してそう言われたのはつい昨日のこと。
なんでも2年前もから別の女と付き合っていて、その女と結婚したいらしい。
ふざけんな、と拳に強化魔法をかけて正面から殴り飛ばし、相手の鼻をへし折ってやったので未練はない。
ただ一晩経って、現実が身にしみてくる。
浮気されてたわけじゃない。私が浮気相手だったんだ。
彼と結婚するって信じてた5年間は何だったんだ。
そんな思いがぐるぐると私の心の中を回っていた。
それでも働かないわけにはいかず、地方の文官として働いている私は、デスクに死にそうな気分で座っていた。
朝礼まであともう少し。
今日する仕事を先にまとめておこう、と書類の束に手を伸ばした。
「おっはよー、リリー!」
声をかけてきたのは、同期のエマだ。
落ち込んでいる私と対象的にいつも通りハイテンションな彼女がうらやましい。
「お、おはよ、エマ。」
「ねぇ、知ってる?今日、配属されてくる人、王都からの左遷だって!」
「王都からってエリートじゃん。
何すればこんなところまで左遷されるの?」
ここは辺境伯が治める自治領だ。
王都からの左遷なんてよほど酷いことをやらかさない限り、あり得ない。
今日、人が配属されること自体初耳だったけれど、何となく興味が湧いた。
自分の不幸を忘れるために他人の不幸で笑いたい。
そんな意地の悪い気分でエマに詳細を話すよう促した。
「なんかさ、上官の奥様と不倫してたらしいよ。しかも2年間も。
普通の不倫だったらこんなところに左遷されないけど、その上官ってのが貴族だったらしくって。」
「まじか、よく室長も上官の嫁に手出すやつ受け入れたね。
室長って超愛妻家なのに。」
2年間の不倫。その言葉に私は顔も見たことない上官に自分を重ねてしまった。
妻の不倫を知ったときの上官はどんな気持ちだったんだろう。
私ならたとえ浮気相手より愛していると言われても、信じられる気がしない。
そう思うと同時に、まだ会ってもいない左遷されてくる男のことが嫌いになる。
自分の仕事とは関係ない話なのに、仕事上でも冷たくしてしまいそうだ。
「みんなー、朝礼始めるよー。」
間の抜けた声が部屋に響いた。
声のする方を見れば室長がすらりとした長身の男を連れて、部屋に入ってきたところだった。
その場にいた10数人の部下は全員、席から立ち上がり室長に挨拶していく。
「はい、みんな、おはよー。
知ってると思うけど、これが不倫して左遷されてきたルーク君ね。」
くそみたいな紹介に一瞬、私は吹き出しそうになった。
室長には昔から倫理観がない。
こそこそと本人がいないところで話すのも良くないのかもしれないが、朝礼のひと言目で話す内容でもないだろう。
室長の隣でよろしくお願いします、と頭を下げたルークさんも気まずそうだ。
少しだけこの不倫男が可哀想に思えた。
「じゃあ…ルーク君はリリーちゃんの隣のデスクつかって。
リリーちゃん、ルーク君のお世話担当ね。
ルーク君は王都の優秀な文官だったけど、慣れるまではいろいろと困ることもあるだろうから。
それに君、まだ独身なんだからちょうどいいでしょ。
既婚者に担当させて、旦那から文句言われるのとか僕、嫌だから。」
知らねぇよ、と勝手なことを言う室長に心の中で暴言を吐きながらも笑顔で、はい、と返事を返した。
世間では女は20代前半で結婚するのが普通だ。
私は今、26歳。
行き遅れだと言われているようで、室長の言葉が胸にぐさぐさと刺さってくる。
「あ、あと今日の仕事終わったらルーク君の歓迎会するから。
全員強制参加だからねー。」
飲み会好きな室長は楽しそうに言ってくるが、みんな嫌だろうな。
あからさまに全員のテンションが下がっていくのを感じる。
でも、私は帰って一人になるよりはマシな気がして、今日だけは飲み会が嬉しかった。
その後はいつも通り、適当な仕事の話をして朝礼は終わった。
「リリーさん、面倒でしょうけどよろしくお願いします。」
そう礼儀正しく私に声をかけ、隣に座るルークさん。
近くで見るとなかなか端正で整った顔立ちをしている。
歳は私よりも少し上だろうか。
その優しい微笑みは、不倫なんてしなさそうな真面目な雰囲気すら感じさせた。
もちろんもうこんな優しいだけの男には騙されないけど。
「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします。」
私の心の中はやさぐれていたが、出来るだけ敵意が伝わらないように笑顔で返した。
いくら嫌いな相手でも仕事は仕事だ。
冷たくするのはよくない。
頭の中で自分に何度も言い聞かせて、彼に仕事を説明していった。
ルークさんは王都のエリート様と言うだけあって、仕事が早いし、理解力も高かった。
1言えば10理解してくれる人だ。
思ったよりもスムーズに仕事が進んでいくことが嬉しかった。
いつもの仕事にルークさんの世話が加わったおかげで、今日は忙しく時間があっという間に過ぎていった。
気がつけばもう終業時間になっている。
こんな気分の日にはありがたい。
「みんなー、今日は残業なしだよ。
飲み会いくよー。場所はいつものところだから。」
室長のひと言で全員、仕事を片付けだす。
私も急ぎの仕事は全部終わっていたので、残りは明日に回すことにして、室長の後をついていった。
「ルーク君、僕の隣なんか座らないでリリーちゃんの隣、座ってあげてよ。
うちで独身なの2人だけなんだからさ。」
飲み会が始まると、ドリンクが出される前に室長から声が上がった。
仕事中も隣なんだから勘弁して欲しい。
「リリーちゃんもいっつもエマちゃんの隣なんか座ってないで。
エマちゃん、たまには僕がお酒ついであげるからこっち座りなー。」
「えー、酒が不味くなりますよー。」
私の隣にいつも通り座っていたエマはあからさまに嫌な顔で文句を返していたが、逆らうことなく室長の隣に移動していった。
代わりにルークさんが私の隣に座る。
「すいません。」
室長に聞こえないように小さい声で謝ってくるルークさんに、こちらまで何だか罪悪感が湧き上がる。
笑顔でいえ、と返しながらも、エマに昨日の男の愚痴を言いたい気分だった私のテンションは下がった。
そうしている間に席には次々と注文したドリンクが運ばれてきていた。
「みんな、お酒きた?
じゃあ、ルーク君の左遷をお祝いして、かんぱーい。」
どんな乾杯の音頭だ。
心の中でたぶんその場の全員が突っ込みを入れてから、配られたお酒に口をつけた。
私も今日は思いっきり飲んでやろうと心に決めて、飲み干すようにぐってグラスを傾ける。
喉を焼くように冷たいお酒が通っていく感覚が心地良い。
「おっ!リリーちゃん、今日はいい男が隣にいるからっていい飲みっぷりだね。
今日は無礼講だよ。
明日、休みなんだからみんなどんどん飲んで!」
室長に促されるように、ルークさんが私の空いたグラスにお酒を注いでくれる。
男がいるから飲んでるわけじゃない。
むしろ男がいなくなったから飲んでるんだ。
そう叫びたい気持ちをぐっと抑えて、私はまたグラスに口をつけた。
空きっ腹にどんどんとお酒が溜まっていく。
そんなに強い方ではないので、この飲み方はまずい。
潰れてしまうことは分かっていたが、何だか今日は止められなかった。
猛烈な頭痛と吐き気で目が覚めた。
ここはどこだろうか。知らない部屋だ。
誰かが酔いつぶれた私をここまで運んでくれたみたいだった。
その誰かにお礼を言わなければ、と飲み会のことを思い出そうとするが全く思い出せない。
考えれば考えるほどひたすら頭が痛くなるだけだ。
何か少しでも思い出せることがないかと私は部屋を見回した。
ソファの向こう側から寝息が聞こえる。
きっと私を運んでくれた人が寝ているんだろう。
よく見ればこの部屋は家具は違うが、天井や壁は私の部屋と同じだ。
と言うことは、たぶんここは官舎の独身寮。
うちの部署に私以外の独身女性はいない。
嫌な予感が私の頭の中を巡った。
服は…うん、下着しか着てない。
余計に頭が痛くなったが、ここが誰の部屋なのか確認しないわけにもいかず、毛布を自分の身体にぐるっと巻き付けてからソファの背もたれの向こう側を覗き込んだ。
「…やっぱり。」
そこで寝ていたのは、上半身裸で下半身はラフな寝間着を着たルークさんだった。
予想はしていたが、相手が最悪すぎる。
とりあえず、何があったのかだけでも聞かなければ、と彼の身体を揺すった。
「起きてください、ルークさん。」
「…あ゙?うるせぇな。」
昼間の優しい彼からは想像もつかないような返事が返ってきて、揺する手を止めた。
しかし、ルークさんも流石に起きたようでゆっくりとまぶたを持ち上げた。
離れるべきか迷っているうちに彼と目が合い、私は固まってしまう。
「あ゙ー、リリーか。ごめん。」
私を見るなり彼も固まっていた。
昼間はお互いに敬語だったのに、砕けた口調で謝ってくるルークさん。
何があったかは分からないが、何かあったのだけは確実だ。
「い、いえ、こちらこそお邪魔してしまいすいません。」
「いや、うん。体調大丈夫?」
ルークさんは一応、私を気遣うように声をかけてくれた。
記憶がなくなるほど飲んだ私が悪いのだろうが、何があったのかの確認はしておきたい。
「二日酔いで、めっちゃ頭痛いし気持ち悪いです。
ってか、私たちヤっちゃいました?」
私の問いには答えず、ルークさんはため息をつきながら身体を起こして指を鳴らした。
一斉に部屋の中のランタンに火が灯る。
それから彼はテーブルのグラスを手に取り、一瞬でその中に水を満たした。
流石、王都のエリート様。
私には出来ない魔法のコントロールに感動してしまう。
「…はい、ここ座ってこれ飲んで。
昨日のこと、覚えてないのか?」
ルークさんの隣に座り、差し出されたグラスを受け取りながら私は頷くしかなかった。
ルークさんは覚えているらしく、大人しく水を飲む私を見ながらまた大きくため息をついていた。
「馬鹿みたいな飲み方して潰れたお前を室長に押し付けられたんだよ。
俺、お前の部屋知らないからここまで連れてきてやったの。
ヤっちゃいました?ってお前が俺のこと襲ってきたんだろ。」
「…本当ですか?」
私がルークさんを襲った?
いや、元カレすら襲ったことないんだけど。
にわかには信じられず、聞き返すとルークさんに睨みつけられた。
「はぁ?この部屋につくなり服脱ぎだして、『元カレ忘れるためにヤラせろ!』って迫ってきたのも覚えてないのかよ。」
「そ、それはすいませんでした。
私なんかとヤらせてしまって。」
まだ誰にも話してない元カレの話を知っている辺り、事実のようだ。
あまりの申し訳なさと恥ずかしさでルークさんの顔が見れずうつむいた。
その頭をぽんぽんと優しく撫でられる。
「…からかっただけだよ。ヤってない。
服脱いで襲いかかったところまでは事実だけど。
ってか、お前に『不倫男は一生勃たなくなるまで飲め!』って相当飲まされたから。
あんだけ飲んだら本当に勃たねぇよ。」
「重ね重ね申し訳ありません。」
本当に、職場の飲み会で何してるんだ、私。
ヤったかヤってないか以上に不味いことをしてしまったみたいだ。
自分の失態にひたすら謝るしかない。
「あと、室長とかにいろいろイジられる覚悟しとけよ。
5年付き合った彼氏に2年浮気されて、鼻へし折ってやったって話まで全員の前でしてたから。
不倫で飛ばされてきた俺よりたぶんイジられるぞ。
まぁ、俺としてはありがたいけど。」
意地悪く笑う彼とは対象的に、自分の頬が引きつっていくのを感じていた。
もういろいろとなんか最悪だ。
言葉にならない思いが、ぐるぐると自分の中を回る。
「なぁ、2年も浮気されてて気が付かないもん?」
「痛いところつかないでくださいよ。
そうですね、気が付かなかった。いや、違いますね。
…気がついていないフリしてただけです。」
そう言いながら、涙が頬を伝っていくのを感じた。
振られてから初めて泣いた気がする。
驚いた顔でこちらをみるルークさんの視線に慌てて泣き止もうとしたが、一度流れ出した涙を止めることは出来なかった。
もうどうにでもなれ。
そんな気持ちで私は湧き上がる思いをそのまま口にした。
「2年前から急に仕事が忙しいとかいいだして平日の夜しか会えなくなるし、大型連休は今まで行ってなかった実家に必ず帰るようになるし、記念日も誕生日も忘れられるし。
気が付こうと思えば気が付ける点なんていっぱいありましたよ。
それでも彼のこと好きだったんです。
本気で好きだから、信じたかったんです。」
「分かったから泣くなよ。…変なこと聞いてごめん。」
愚痴るように言う私に本当に悪いことをしたと思ったのか、ルークさんは神妙な顔で謝ってきた。
ごめん、じゃねぇよ。謝るくらいなら人の傷をえぐるな。
そう言いたいのをぐっとこらえた。
にしても、未練はないと思っていたのに、こんなにも未練たらたらだったかと止まらない涙に自分でも呆れてしまう。
「ってか、ルークさんが人妻と2年も続いたのは旦那さんが気が付かなかったからでしょ?
よく私にそんなことが聞けますよね。」
「いや、だから悪かったって。
それに彼女が既婚者だって、上官の嫁だって気がついたのは付き合いだしてから半年くらい後だし。」
自分の未練が暴かれてムカついたので向こうの傷もえぐってやると、言い訳のような言葉が返ってきた。
いじけたような口調の彼の顔を見ると、眉間にシワをよせた今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「…彼女が既婚者だって知ってたら手出さなかった。
それが分かってから別れようともしたし。
でも、別れ話のときに旦那との夫婦関係は冷めきってて、暴力も振るわれてる、離婚の準備を進めてるから少し待ってって言われたら別れられないだろ。」
「それ、1年半も信じてたんですか?」
淡々と話すルークさんに私は仕返しのように、問い詰めた。
それに、いい大人が不倫する人間の常套句に騙されるとも思えなかった。
「お前と同じ。俺も好きだったんだよ、彼女のこと。
本気で好きだった。結婚するなら彼女以外いないと思ってた。
だから、嘘に気がついていないふりしてた、1年半も。
その結果、旦那にバレて、彼女が目の前で『本当に愛してるのはあなただけ』って旦那に言ってるの見る羽目になって、仕事すら失って。
本当に俺、何してんだろうな。」
ルークさんが深く瞬きをすれば、一筋の涙がゆっくりと頬を伝っていく。
私は不倫だからお互いに遊びだったんだろう、とずっと勝手に思っていたことを反省した。
少なくともこの人は本気で1人の人間に恋をしただけだ。
まぁ相手の旦那さんからすればそれでも許せる相手ではないだろうが。
彼の話を聞いて、自分が振られた話なんてたいしたことじゃないと気がつく。
そう思うと、あれだけ止められなかった涙は自然と止まっていた。
「男性なのに意外と純情なんですね。」
「純情で悪いか。女のほうが打算的なもんだろ。」
暗くなってしまった雰囲気を変えようと笑いながら言えば、ルークさんも笑いながら返してくれた。
その笑顔は最初に笑いかけられたときと同じく、優しくて不倫なんてしなさそうな真面目な顔だった。
きっと本来はその顔の通り、真面目な性格なんだろう。
「私たち、似たもの同士ですね。」
「そうだな、同じくらいの馬鹿さと純情さだ。」
「だから、合うと思うんですよ。
…私たち、付き合ってみませんか?」
「はぁ?お前まだ酔ってんの?
それにまだ正直、前の女のこと全然忘れられてないから。」
予想通りのルークさんのリアクションに笑ってしまう。
別に私のこと好きになれとかそんなことを言っているつもりはないんだけど。
「酔ってませんよ。
私だって、元カレのこと嫌いにはなれていないです。」
「じゃあ、どうして。」
「…1人は寂しいじゃないですか。
傷を舐め合う相手なんて他にいませんし。」
本当に1人は寂しい。
結婚するのが当たり前、既婚者ばかりのこの世の中で、独身の女に傷の舐め合いをしてくれる人なんていない。
それはきっと彼も同じだったんだろう。
ルークさんは考え込むように眉間にシワを寄せていた。
「それ、ただの自暴自棄だろ。
お前、本当にそれでいいの?」
「そうですね、自分でも自暴自棄だと思います。
それでも、今は割り切った相手からの偽物の愛情が1番欲しいんです。」
絶対に普段なら言えない本音が口の中から勝手に溢れ出していくようだった。
もうしばらく恋愛するつもりはない。
そんな体力も気力も今回、振られたことでなくなってしまった。
だから、この傷が癒えるまでの少しの間だけ隣にいる人が欲しい。
そんな願いを込めてルークさんを見るとすっと目をそらされる。
彼は少し迷うように天を仰ぎ見てから、羽織っていた毛布の間から手を入れて私のことを優しく抱き寄せた。
「そんな悲しげな顔されたら断れないんだけど。」
下着姿の私の肌に上半身裸のルークさんの体温が伝わって心地良い。
傷んだ心にゆっくりとその温かさが染みていくのを感じた。
「今日、やっぱ飲むんじゃなかった。」
抱き合った体制のまま、耳元で囁かれる。
どういう意味が分からず、首を傾げれば彼にもそれが伝わったのか抱きしめた腕を緩めて私と目線を合わせた。
「飲んでなかったらこのままヤれただろ?」
わざわざそれが目線を合わせてまで言うことなのか、と私は笑ってしまった。
それを見てルークさんもつられるように笑う。
「最低ですね。」
「最初はお前から誘ってきたくせに。」
2人だけのこの部屋には穏やかな空気が流れていた。
その心地よさに乗せられて、どちらともなく引き寄せられるようにキスした。
呼吸を忘れてしまいそうなほど深く優しい口付けが、傷ついた心を癒やしていく。
これから私たちのこの関係がどうなっていくのかは分からない。
それでも今だけは、このまま偽物の愛に浸っていたかった。
fin
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