Phase.08 『狼』
暗闇が広がる森――普段なら絶対にこんな不気味な森に足を踏み入れるだなんてありえない事だった。
草原の方は、月明りでまだ薄暗くも辺りがある程度見渡せていたけど、森の中は暗闇そのもの。しかも、何かの鳴き声や虫の声なども聞こえてくる。
こ、怖ええ!!
だが今は、考えては駄目だと思った。俺は、森の中へ飛び込むと全力で走った。懐中電灯で足元を必死に照らし出しながらも走る。
アオオオーーーーン!!
狼の声。あれは、確実に狼だった。狼の群れ。遠目だったし実際に狼なんて見た事もないけれど、あれが野犬でなく狼なのだと思わせる凄味があった。それに実際に見た事はなくても、ゲームやアニメ、映画なんかでだったら狼は見た事がある。
まさにあれだったのだ。しかも、群れの全てがそうだった。野犬だったらきっと色々な犬種が混じっているだろうし……
ザッザッザッザッ!!
ただひたすらに走る。後ろは、振り向かない。狼共が、どんどん俺の方へ接近してきている気配がびビリビリと肌に伝わってきていたからだ。ここで、もし木の根や石ころに躓いて転ぶような事があれば一気に距離を詰められて……
「うわあああああっ!!」
言ってるそばから足を滑らした。そこは坂になっていて転んだ俺は、そのまま坂の下まで転がっていった。
ザッザッザッ!
恐ろしいものが、近づいてくる気配。俺は、直ぐに起き上がりまた走り始めた。
「駄目だ!! 追いつかれる!! そもそも、狼と追いかけっこなんかして……はあ、はあ……人間が……勝てる訳ないだろ……はあ、はあ」
捕まりたくない。捕まればきっと、残酷な事になるだろう。あの無数の狼に手や足、顔や腹など噛まれ喰われる。噛み千切られる。それなら、いっそ最初の一撃で頸動脈とか嚙み千切られて、苦しい思いも一瞬で済んで死にたいと思った。
…………
……って思う訳ないだろおお!! 俺はまだ31歳なんだ!! まだ、やりたいこともある!
そう、やりたいこともあったはずなんだ!! 俺は……しかも、積みゲーだってどんどん高くなるばかりでろくに崩してもねえし!!
ウォンッ!! ウォンッ!!
「ヒイイイイイ!! 助けてくれええええ!! 死にたくない、俺は死にたくない!!」
何処まで走れるかなんての配分なんか、考えてはいない。無我夢中、全力で走った。狼たちから逃げた。
すると、森を突っ切り拓けた場所に出た。
「な、なんだ……ここは……」
森の中には違いがなかった。何処まで広がっているか解らない程、大きな森の中に拓けた場所があって、そこに出たのだ。
ウォン!! ガルウウウ!!
畜生!! 狼共が迫ってきている。こんな拓けた所にでたら、あっという間に追いつかれて食い殺されるぞ。
そう思った刹那、目の前にあるものが飛び込んで来た。森の中、拓けた場所の中心の辺りに小屋があったのだ。――丸太小屋。
選択肢なんて一つしかない。俺は一直線に最後の力を振り絞って小屋まで駆けた。心臓が爆発しそう。
すると、俺の後を追って森の中から無数の狼が飛び出して来た。追いかけてくる。
「うわあああああ!!」
来た来た来た!! 兎に角、俺にはこれしか残されていない!! 余計な事は考えずに小屋まで全力で突っ走るんだ!!
そう思っても何処かで考えてしまう。あの小屋までたどり着ければ俺は助かるかもしれない。だけど、たどり着けなければ確実に死ぬ。殺される。そして、たどり着いたとしても……
ガルウウッ!!
背中がビビッとした。俺は一瞬振り返り、これだけ走っても決して投げ捨てなかった木刀を手に持ち、思い切り振った。
キャンッ!!
一匹の狼が俺のすぐ後ろまで接近してきて飛び掛かってきていた。それを感じて振り返り、木刀でその狼を殴りつける事ができた。手が震えている。
更に狼たちが向かってくる。俺も小屋へ全力で走った。
小屋までたどり着くと、俺は中へ入ろうと扉のノブを握る。
「頼む、開いてくれえええ!!」
すぐ後ろまで、何匹もの狼が迫ってきている。もしも鍵がかかっていたら、デッドエンドだ。
ガチャ……
「しめた!! 扉は開いている!!」
ガルウウッ!!
小屋の中へ入った所で背中に何かが飛び掛かって来た。そのまま倒されて足を噛まれる。
「いてええ!! くそったれえええ!!」
木刀は手放していない。俺は、噛まれている足と逆の左足で狼を蹴りつける。狼が足から離れると、間を置かず木刀を打ち込んだ。狼は悲鳴をあげて小屋の外まで吹っ飛んだ。
今だ!!
慌てて小屋の扉を閉める。そこで初めて木刀をその場に落とす。全体重をかけて、もたれかかるように扉を抑えた。
すると、何度も何かが扉にぶつかってくる。この扉を開けて中へ入ってこようとしているのが解った。
俺は扉を抑えながらもその場に蹲った。それでも、まだ何度も扉を突破しようとぶつかってくる。だが、この丸太小屋はパっとみても凄く丈夫な作りになっているようで扉も例外ではなかった。
凄く厚みのあるしっかりした扉。これなら、狼共の群れが代わる代わるに体当たりした所で、この扉を破壊する事なんて不可能だろう。
「はあ……はあ……助かった……助かった……」
息も乱れ、汗も凄い。髪も服もビショビショになっていた。そして、右足の痛み。見ると、右足首の辺り――ズボンの裾の辺りが赤に染まっていた。
俺は恐る恐るズボンをめくってみる。
「っう、いった……」
皮がめくれ、肉が少し見えている。どくどくと出血もしている。傷を塞がないと……
……それにしても、なんとか助かった。だけど、女神像からはかなり離れてきてしまった。とりあえず、この小屋で暫くやり過ごしてみて、狼が完全に諦めたら女神像まで戻ってもとの世界へ戻ろう。それからうちへ帰って、足の噛まれたところの消毒もしないとな……
そうは思ったものの、俺の家に消毒薬や包帯なんてあったっけ? というような、そんな事を思った。無我夢中で木刀を振り、狼を殴りつけた両手はまだ小刻みに震えていた。