Phase.06 『何かいる』
――異世界の夜空は、晴れ渡っていて空気は澄み切っていた。深呼吸すると、自分の肺の中に新鮮な空気が取り込まれ、自身の細胞の一つ一つが喜んでいると実感した。排気ガスなど、そういった類の空気はこの辺りには微塵もない。
木刀を片手にザックを背負い、懐中電灯で足元を照らしながら草原を歩いてみる。
いくら、二つの月の月灯りに照らされ夜でもほんのりとこの世界が見えると言っても、夜は夜だ。草原の草はずっと向こうまで広く生い茂っているし、背の高い草むらも沢山ある。これだけ、北海道みたいな自然が広がっているだ。こんな草むら何も警戒せずに歩いていたら、いきなり蛇とかヒュっと出てきて足を噛まれるかもしれない。
「まあ、俺は北海道に行った事はないんだけけれどな。ハハハ」
何時でもスマホを使ってもとの世界に戻れる。だが条件があり、あの女神像から一定の距離でしか、転移する事はできないと解った。だから、辺りを探索するとしてもとりあえずは、女神像を目で確認できる位置を保って歩いた。
もし、女神像を見失って迷ってしまうような事があったら、俺はもとの世界に戻れなくなるのだ。それは、絶対にダメだ。
そんな事を、こんな見知らぬ異世界で一人歩きながら考えていると不安になる。しかも夜だし……だから、ちょいちょい独り言でも言わないと気持ちを紛らわせなかった。
ガサガサ……
「な、なんだ⁉ 何か音がした!!」
刹那、向こうの草場から音がした。草も揺れている。っと言っても、この異世界にやってきてからこの草原には、ずっとそよ風が吹いている。だから風のせいかもしれないと思った。
ガサッ
しかし、もう一度物音がした。間違えない、何かがいる。俺は、懐中電灯を物音がした方へと向けて照らした。
ガサガサ……
「だ、誰かいるのか!? お、おい! 誰かいるのは解っているぞ! 出てこい!!」
緊張。声が上ずっていた。唾もごくりと飲み込んでいる。なぜ、誰かいるのか? と言ったかと言うととても恐ろしくて何かいるのか? とは聞けなかったからだ。
こういう異世界物のアニメやラノベ、ゲームなんかじゃこういう時に、可愛いエルフの女の子とか出てくるパターンがあったりする。そんないきなりヒロインと遭遇するとかいったイメージ。その場合は、誰かがいる……だ。とても、何かがなんて考えたくはない。
「で、出て来いよ!! バレてるって言っているだろ?」
やはり、声が上ずっている。31歳を迎え、運動不足のゲーマーだけど本気にならなければならない場合に直面したら、なんだかんだやれると思っていた。その時が来たら俺には、適切な判断と行動をとれる力が備わってはいると思っていた。
しかし、それは思い上がりだった。実際こんな状況に直面した訳だけど、声は上ずり手も足も恐怖と緊張で震えている。手汗も酷い。こんなんじゃ、普段よりもぜんぜん身体も上手く動かないだろうし、判断も鈍りまくりで頭も働かないだろう。
だけど、今とらないといけない行動は2択だけだという事は解る。
このまま女神像まで一目散に逃げて、自分のうちまで転移するかもしくは、誰が潜んでいるか正体を突き止める。
――木刀を握りしめる。
……ここで、潜んでいる何かを確認せずに逃げかえるならわざわざこの場所を探索などしない方が良かった。そうだ、俺はこの異世界……この辺りを調べる為に今ここにいるんだ。
懐中電灯で草むらを照らしながらももう片方で握る木刀を、そっちへ突き出して振る。草を分けて確認する。
プルルウン……
「こ、これは……」
どうにでもなれと、念じて勢いで草むらの中にいるそれを確認した。すると、それはその姿を見せた。ゲームやアニメであると言っていたパターン……可愛いエルフの女の子じゃない……
「こ、これはスライム……?」
液体じゃない方のスライム。プルンとしたグミのような形状のスライムが目の前にいた。色は水色、液状はグミ、大きさはスーパーなどで見かける中で一番大きいと思えるサイズの西瓜程のでかさの奴だった。
プルルン!
目があるのかは解らないけど、そいつは俺に気づいたようだった。プルルン弾むように揺れ動き、こちらの様子を窺っているようにもとれる。
「はは……ははは。スライムか。脅かしやがって! スライムと言えば、異世界物のゲームやアニメでも一番弱い雑魚的モンスターだ。ははは」
一気に肩の力が抜ける。しかし、産まれて初めて見る魔物である事には違いない。ゲームなんかでスライムなんて山のように倒してきた俺だ。だいたいの攻撃方法はおおよそ想像もつく。はは……
懐中電灯をスライムに向けると、木刀を突き付けた。このまま、倒すか……倒してみるか……ゲームなら、最初の出会う敵っていうので、倒して経験値にするだろう。
でも、リアルに実際こんなのと対面して思うが……襲われもしていないのに、このスライムを傷つけてもいいのだろうか。
プルッルッ!
そんな事を考えぐるぐると頭の中を巡らせていると、急にスライムが動いた。スライムは思ったよりも素早く俺の方にジャンプをした。自分の悲鳴。
「うわあああっ!! うぐっ!!」
びっくりしている暇もなく、スライムは俺に攻撃をしかけてきた。ジャンプしたかに思えたその動きは、なんと体当たりだったのだ。
スライムが慌てふためいている俺の腹に、めり込んだ。グミのような身体だと思っていたけれど、衝撃は凄い。まるで、カッチカチの固く重いバスケットボールを思い切り投げつけられたようだ。俺は、スライムに吹き飛ばされて草原に倒れた。
そして次の瞬間、腹に体当たりを喰らった事でさっき食べた弁当を吐きだしてしまった。
想像よりも上の痛みと苦しさで、俺はスライムに殺される……? 一瞬、そんな言葉が頭を過った。