Phase.05 『遅めの晩御飯』
スウェットから、普段外へ行く時の服に着替えて靴を履く。あれから試しに、計5往復もこっちの世界とあっちの世界を行き来してみた。
その甲斐もあってか、いくつかの事が解った。
俺は昔、奈良だったか京都だったかでお土産として買った木刀と、震災や停電に備えて置いていた懐中電灯を手に持つと、コンビニで買った弁当とお菓子、それに冷蔵庫からビールを1缶とペットボトルに入ったお茶、あとタオルをザックに入れてもう一度異世界へと転移した。
――――周囲に何処までも広がっているかのような草原。向こうの方に見える森。夜空に見える満天の星々と二つの月。草原にポツンとある女神像。本当にここは、異世界のようだと思う。
辺りを警戒しながら、付近で見つけた岩の上によじ登るとその上に座り込んで考えた。
そうだ……そう……だから、いくつか気づいた事がある。
まず、あの秋葉原のあの店で、この異世界へ行けるアプリを入れてくれたメイドさんの言っていたこと。メイドさん曰く、今この異世界へ行けるのはお試しだと言っていた。だけど、その期間中はこっちの世界と異世界を何度でも自由に行き来し往復できるという事。
それは、まさかの出来事からのまさかの出来事だった。異世界が本当にあると言うだけでも驚きなのに、まさかもとの世界にも自分の意思で簡単に戻れるなんて……もしかしたら行き来できる回数があったりするのではないか? そんな事も考えたけれど、アプリを確認しても回数表示などは見当たらない。
こういうのは、俺の愛読しているラノベやコミック、アニメやゲームではあまりそういうパターンはない。だいたい異世界へ飛ばされると、何かを成し遂げない限りもとの世界へ戻ってこれないか、もしくはずっと行ったっきり。
……目的が解らない。本当に、異世界体験の為だけなのか?
…………
最初、こっちの世界へ来た時には裸足だったので、もとの我が家へ戻ってくるなり靴を履いた。
犬か狼か解らないが周囲で獣の鳴き声もしたので、用心の為に木刀と懐中電灯――それに色々ザックに詰めて用意した。
そして、いざ再び転移――してみれば手荷物は全部持ってくる事ができている。つまり、手で触れている物や身に着けているものも、こっちの世界へ一緒に転移できるようだ。
でも、戻ってきた時に足の裏についていた土や草は、綺麗に剥がれてなくなっていた。これは、もといた俺の本来いる世界にある物を、もとの世界と異世界の間で自由に移動させることができるけど、異世界にあるものは、もとの世界へ持って帰ってくる事ができないという事だ。
それにこれが一番重要な事で、受け入れるまでに気持ちの整理がおっつかなかったけど、異世界が本当にあるのだと認めざるをえないと悟った。
まあでもそれについては、流石はオタクって所だろう。こういう事を心の何処かで望んでいたのか思い浮かべていたからか、それ程時もかからずして俺自身も認める事ができた。――異世界は存在する。これは現実で夢でも幻覚でも無いのだ。
「ふう……まったく、おったまげたぜ。アニメやラノベなんかで異世界へ転移とか転生するっていうのはよくあるパターンだけど、まさか本当にそれが現実にあってしかも俺がそれを体験するなんてな。信じられない。信じられないけども、この確実に日本とは思えない風景に二つの月。この異世界が現実にあるのだと言っているかのように、吹いてくるそよ風。ここは、間違えなく現実にある世界なんだ」
プシュッ!
またビールを1缶開けて飲む。
アニメやラノベで、異世界へ飛ばされてまずビールを開けて飲んだ者がいただろうか? そう考えると笑けてくる。でも、俺の場合はそう言った登場キャラよりもかなり余裕があるからかもしれない。何と言っても自由にもとの世界へ戻る事ができるのだから。
ただ、一つ制約があるようだ。
転移するには、スマホに入っているアプリを起動すればいい訳なのだが、異世界何処にいても使えるという訳ではないようだ。あの女神像。――あの女神像の辺り、一定の範囲でのみアプリを起動させてもとの世界へ転移する事が可能のようだ。
……もしも、この女神像が何かが原因で破壊されたりした場合、それでも戻る事はできるのだろうか? とか不安もよぎる。だけど、女神像は一つだけとは限らないし、人生は一度しかない。こんな普通では体験できないような事をみすみす逃す事もないなと思ってしまう。
何より、ここが本当に俺がいつも楽しいと思ってプレイしているようなゲーム世界のような、いわゆるファンタジー世界だというのなら、ワクワクが止まらない。本物のドラゴンを見れるかもしれないし、魔法だって見たり覚えて使えるかもしれない。
ぐーーーーーーっ
腹の虫がなる。そう言えば、秋葉原から帰ってきて何も食べていない。今日は早朝から秋葉原まで行っていたし、今異世界へ来ている事も含めて色々とあったから腹が急激に減っている。思わず何処かのタイミングで食べれるかと、この異世界へまでコンビニで買った弁当を持ってきてしまった。
――腕時計を見る。針は22時を既に回ってしまっている。そりゃ、腹も減る。
缶ビールを一口。うめえ。俺はリュックから弁当を取り出すと、今よじ登って座り込んでいる岩の上でかなり遅めの晩飯を食べ始めた。
モッチャモッチャモッチャ……
「うんめーー!! こんな広大な世界で俺一人、なんの遠慮も無しに弁当を食っているからかもしれねえけどメチャ美味いな」
考えてみれば毎日毎日会社務めで、帰宅してはゲーム三昧の毎日。こういう場所でこういう風に食事をするなんて喜びを忘れていた。ちょっと思い出してみても、こんなのいつくらいかも解らない。解らないけど幼い時に、ピクニックかハイキングかは覚えてないけど学校の行事かなんかで行って、その時に自然の中で食べた弁当が美味かったのだけは覚えている。
俺のいるこの場所。草原に吹く夜風が心地よかった。でも、次第に少し肌寒くも感じた。
しまったな。もう一度、うちに戻って上着を取って戻ってきてもいいけどな。……あのメイドさんとは、とりあえずお試し期間って事で話をしたけど、お試し期間っていつまでなんだろうな。
そして、この異世界の事……他の者に喋ってもいいのだろうかともふいに思った。翔太の顔が浮かんだからだ。あいつも、ここの事を知ったらきっと興奮するだろう……
だけど、この事を誰かに言っていいのかどうかが解らない。ここが危険な場所かもまだ解らない訳だし。
……ふーーむ。
腹が減っていたので、あっという間に弁当を食べ終えた。すると、今度はお菓子の袋をあけてそれをあてに缶ビールを飲み切った。
立ち上がると、そのまま岩の上から周囲を遠くの方まで見渡してみた。
視力は両目とも0.5だか0.6だったか……だけど、草原以外にいくつか森があるのが見える。何処まで広がっているのかは、もっと高い所に登ってみないと解らないけど確かに森がある。そして、今が夜で暗闇に包まれているからかもしれないが、その森が不気味に見えた。
俺は飲んだビールの空き缶と、食べ終わった弁当をビニール袋に入れてザックに押し込むと、右手に木刀と左手に懐中電灯を装備して岩から飛び降りた。
「翔太には悪いけど、今日はもうオンラインゲームにログインは無理だな。時間的に無理だ、明日からまた仕事だし。ここまで来たら、この異世界がどんな世界なのかもう少し探検してからもとの世界へ戻るか」
なんとなく、カッコいいと思って買った木刀。たまに部屋の中で振ってみたが、その時に勢い余って壁に貼ってあるお気に入りのポスターに傷をつけてしまった。それ以来、処分するかとも悩んだけれど捨てるに捨てられず、傘とかと一緒に玄関の隅にあった木刀だったけれど、まさかこんな木刀本来の姿というか……武器として使用する日が訪れるとは思わなかったな。
そんな事を思いながらも懐中電灯で周囲を照らし出し、警戒しながらも女神像を見失わない範囲で辺りを探検してみる事にした。