Phase.49 『痛み』
ゴブリンの顔は殺意に満ちていた。絶対に俺を殺してやるという顔。
それが不思議でたまらなかった。なぜなら俺はこいつに何もしていないからだ。会話すらしていないのに、なぜこいつはこうも俺を憎んでいるのか。人を傷つけようとするのか。
そう言えば何かの漫画かアニメかで言っていたような気がする。人間は、蚊とかゴキブリを殺すのに憐れみなんて心に抱くのか? 仏陀ならそういう生き物へ対しても慈愛の念をもって接する事ができるのかもしれない。
だが確かにそう言われてみれば、俺は何も言い返せない。ゴブリンにとって、俺達人間のようなものはただただ害虫でしかないのかもしれない。
ギャッギャーー!!
短剣を振り上げ向かってくるゴブリンに対して、俺も剣を振った。使い方なんて解らない、だけど俺だってむざむざ殺されたくはないし、未玖を殺させるつもりもない!! 害虫だと思うなら思えばいい!! 殺されてなんてやらない!!
「返り討ちにしてやる!!」
胸をえぐられた傷も、脇腹を貫かれた傷も気が狂いそうに痛かったけど、それよりもこいつを……このゴブリンをやっつけたかった。
誰かを殺める事に対してなら、お前の方が遥かに経験があり躊躇もしないだろう。だけどな、だけど俺の意地はお前に勝っているはず!!
ゴブリンの攻撃を弾いて、剣を振る。ゴブリンも俺の攻撃をかわして、俺の身体をその手に持つ短剣で突いてこようとした。
「うおらああああ!! 剣のリーチも腕力も、俺の方が上だあああ!!」
刺される事に恐怖せず、勇気を出して思いきりゴブリンとの距離を詰める。そこから思いきり剣を頭上に振り上げて真下に叩きつける様に振り下ろした。想定外の攻撃になったのか、一瞬硬直したゴブリンは手に持つ短剣を掲げて俺の渾身の一撃を受けとめようとした。
バギンッ!!
ギャアアアアアア!!
自分でも見事な一撃だと思った。思いきり振りかぶって降り下ろした一撃は、短剣の刃ごとゴブリンの頭を勝ち割った。そのままゴブリンの身体を蹴り飛ばして剣を引き抜くと、俺はその場に剣を落として倒れ込んだ。
やった……やったぞ! どうだ!! 俺一人であの恐ろしいゴブリンを2匹も仕留めてやったぞ!! まさか、この俺にそんな事ができるだなんて自分でも驚きだ……
手を見ると血がべったりとついていた。胸の辺りも腹も……黒いシャツだからそれ程までとは考えなかったけど、結構な傷のようだった……血を流しすぎている……もしかしてこのまま俺は死ぬ?
「ゆきひろさん!! ゆきひろさーーん!!」
未玖が駆けてくるのが解った。泣いている。そして地面に倒れている俺の前に、座り込んで俺の手を握った。
「ゆきひろさん!! しっかりしてください!!」
「み、未玖か……だ、大丈夫か……」
「わたしは大丈夫です!! だから、目を開けてください!!」
なんだか本当に動くのがだるくなってきた。今、起き上がれと言われても無理かもしれない……いや、無理だ。俺はここで死ぬのかもしれない。もはやこの傷で病院にだって行くことはできない。スマホで救急車を呼ぶ事だってもとの世界へ戻らないと叶わない。
未玖に女神像まで連れていってもらっても、それまで意識を保っていられるか解らないし、未玖に関してはスマホを持っていないから一緒には戻れない。
…………どちらにしても、もう…………
「み、未玖……」
「は、はい! ゆきひろさん! わたしはどうすればいいですか!!」
「……小屋の周囲を見渡してくれ……誰もいないか? 3匹目のゴブリンはもういないか?」
いましたと言われても、もうちょっと立ち上がる自信がない。でも、いるのなら最後にやるしかなかった。どうせ死ぬなら、未玖だけでも守り切って死にたい。
「大丈夫です!! 他のゴブリンはいません!! ゆきひろさんがやっつけてくれた2匹だけです!!」
「そ、そうか……なら良かった……」
「ちょ、ちょっと待ってください!!ゆきひろさん、わたしを置いて行かないでください!! お願いします、なんでもわたし、言う事を聞きます!! だから、戻ってきてください!!」
目を閉じる。痛みすら薄れる意識の中、俺はどうにか笑顔を作って未玖に見せた。
デッドエンドか……考えてみればもとの世界での俺の人生……振り返ってみても、それ程いいことはない人生だったかも。思い残すこともないかもしれないな。
不思議な事に全てを出し尽くしたか、未玖を守り切ることができたからか解らないけど、それ程死ぬことに今は恐怖していない。ゴブリンとの壮絶な殺し合いで麻痺してしまっているのかもしれない。
……でも俺はやったんだ。未玖と、この俺と未玖の拠点を守り通した。心に広がる満足感と高揚感。
未玖の声も次第に遠くなっていく。
…………
…………
そう言えば、結局俺はこの『異世界』についての事を、翔太には何一つ話していなかった。もしあいつもこの異世界へ来たなら、もっと楽しい冒険と暮らしがあったかもしれない。そうなったらって考えるとウキウキする。
でも……この『異世界』は、危険だ。命を落とす位に……
「ゆきひろさん!! ゆきひろさん!! しっかりして!!」
雨? 顔に何かが落ちた。なんとかゆっくりと目を開いてみると、そこにはボロボロに泣きじゃくる未玖の顔があった。
嘘だろ? こんな俺の為にここまで泣いてくれる人なんて……
「わたしはもっとゆきひろさんと、この異世界を見てみたいです!! それにはどうしたらいいですか? ゆきひろさん、わたしをひとりにしないでください!!」
そう言えば、この『異世界』が危険だって事は、足を狼に喰いつかれた時に嫌という程解った。だけど、またこの世界へ来た理由――
それをもう一度、俺は考えてみた。すると、次第に身体に狂いそうになる位の痛みが帰ってきた。俺はもう一度未玖の顔を見て、口を開いた。




