Phase.451 『闇と霧 その2』
鉈で頭をかち割ってやる。そのつもりで、思い切り振った。でもそれはできなかった。奴は熊のようにデカい上に猫背だったので、後ろから鉈で頭を割ろうとしてもとても届かなかった。だから代わりに、目の前に跳び込んできたデカい背に向かって、振り下ろしてやったんだ。
ギイイイイイイ!!
鉈は背中に突き刺さり、奴は苦しんだ。そしてジジイを食おうとしていたが、俺の方に脅威を感じたらしく、振り返って睨み付けてきた。薄暗く霧に覆われた中、俺は初めて奴の姿をハッキリと確認する事ができた。
――鼠。
熊並みのデカさの鼠が目の前にいた。だが鼠とは言っても、ただの巨大な鼠ではない。俺の知る鼠と大きく異なる部分がある。鼠といえば、げっ歯類特有の前歯が特徴的だったりするが、こいつには突き出た前歯の他にも鮫のような小さな牙が無数に生えている。それだけで、嫌という程こいつが肉食であると解る。
キイイイイイイ!!
「うるせーーな、こいつ!! ジジイ、逃げろおおお!!」
流石こういう世界で、暫く経験を積んでいると思った。ジジイは、俺の逃げろと言った意味を理解してくれた。そのまま立ち上がって逃げる訳ではなくて、そのまま横に転がって逃げる。
俺と鼠が向きあって並んでいる――つまり俺の射線上からジジイがいなくなった瞬間、俺は鼠の背に刺さったままの鉈から手を離して、再び銃を握って発砲した。
ダンダンダン!!
迷う事無く3発。鼠なので動きが素早いかもしれないと思い、的の大きな胴体を狙った。この距離なら外す方がどうかしている。弾は命中して、鼠は身体をねじった。悲鳴。
ギイイイイ!!
「ハハ! ざまあみろ!!」
鼠のすぐ足元に、ザックが転がっているのを見つける。あれはジジイのじゃねー。俺のだ。俺の缶詰がなぜあんなところに潰されて転がっていたのか、やっと理解できたぜ。
「こいつ、俺の荷物を盗みやがったなああ!! なら、お仕置きしてやらねーと駄目だな!!」
ダンダン!!
更に二発撃った。身体は熊のようにデカくても、痛みは感じている。発砲した弾丸は、そいつの腹に命中してめり込んでいるんだ。
「鈴森君!!」
ジジイが立ち上がって、散弾銃を構えた。鼠に向けた所で、鼠は何かを感じ取って身をひるがえして逃げた。やはり動きはとても素早かった。草場に跳び込んだと思ったら、そのまま霧の中へ消えて行った。
くそが! 逃げてく尻にも、弾丸を何発か命中させてやりたかったぜ!!
唾を吐き捨て、舌打ちする。そしてジジイのもとへ駆けて行くと、怪我がないか確認する。
「おい、血が出ているぞ」
「ああ、参ったわい。また足を齧られた」
「またって……あっ!」
そういや、言ってたな。以前に眠っていたら、巨大な鼠に足を齧られた事があるって……
「はははは、まさかまた鼠に足を齧られるなんてな。まいったわい」
「おいおいおい、マジかよ。シャレになんねーぞ」
そう言っておいて、吹きだしそうになって我慢した。そうだ、笑っている場合じゃねえ。大怪我しているかもしれねーんだからな。
「……おい、鈴森君。まさかまた儂が鼠に齧られたからって、笑っているんじゃないだろうな」
「馬鹿言うな。それよりも、傷はどうなんだよ。大丈夫なのか?」
「あ、ああ。とりあえず、痛みは感じるが……運よく足はくっついておるわ。消毒と処置はしておかないと、いけないじゃろうが……」
ジジイはそう言って、自分のザックに手を伸ばした。足を引きずっているので、ザックは俺が取ってきてやってジジイに手渡した。
「すまんな、どれどれ。消毒薬とガーゼ、それと包帯じゃ。これで応急処置はなんとかなるな」
「はっはっは、拠点を出てまだぜんぜん経ってねーっつーのに、もう怪我を追っているなんてな。引き返した方がいいんじゃねーか」
「何を言っておるんじゃ。この程度で引き返せるものか。それに死は覚悟しておるが、仲間は失いたくない。来たるべき日がやってきたら、何が起こるか解らん。だからこそ、考え付く事は、今のうちにやっておきたいんじゃ」
「はんっ、そうかよ。じゃ、せいぜい頑張れよ」
近くにあった石にジジイは腰を下ろすと、目の前にザックを置いて中から治療道具を取り出した。そして治療を始める。
「……くっ……」
「……何か手伝えることはあるか?」
「ああ、ない。ちょっと待ってくれ。直ぐに手当てを終えるから、そしたら出発しよう」
「おいおい、大丈夫かよ」
「知っての通り、拠点内でも予想外の事が起こるが、外の世界は尚更じゃ。急いで用を済ませて拠点に戻った方がええじゃろ」
「冒険好きのジジイじゃなかったっけ?」
「はっはっは! 怪我をしてなければ、もっと探索など楽しむ所じゃけどな。足なんて怪我してしまったら、冒険どころじゃないからの」
「確かにそうだな。まだ始まったばかりかもしれねーけど、さっさと皆がいる拠点に戻って、不死宮辺りにその怪我を見てもらった方がいいな。日曜までなら、もとの世界へ戻って病院に行ってもいいしな」
「そうじゃの。よし、できた! それじゃ、行くか」
ジジイはそう言って立ち上がった。少しよろめいたのを見て、支える。
「お、おっと。すまんな、鈴森君」
「やっぱり帰るか?」
「なにを言っとるんじゃ。まだまだ始まったばかりじゃ。ほれ、荷物を纏めて先へ進むぞ」
「レジャーシートは?」
「それは、君にやろう。旅はまだ数日続くじゃろから必要になるじゃろう」
「まだ薄暗いし、霧が出ているが……少し待って、多少でも晴れてからの方がいいんじゃないのか?」
「いや、逆じゃ。急いでこの場を離れよう。理由は、道すがらで話そう」
ジジイはそうって、ザックを背負って歩き出した。折角集めた薪が残っていたので、持ってはいかないのか聞こうとした。だが薪に触れると、霧で湿っていたので言うのをやめた。




