Phase.436 『大井と九条 その3』
「本当に知らなかったようだな」
「はい、知りませんでした」
「そうか」
九条さんは、また自分のグラスにお酒を注いだ。私にも飲むかと進めてきたけれど、断った。私には、この後もあっちの世界へ戻って色々としなくてはならない事がある。だからお酒を飲んで、いい気持ちになっている暇も今はない。
「俺も聞いた話だ。詳細までは解らないが、転移サービスの休止というのは運営側が過去にも何度か行った事があるらしい」
「それなら、今度の私達のように向こうの世界に残った人達もいたという事よね。もし九条さんにそういう知り合いがいるのなら、紹介して欲しいです。是非、その時のお話を伺いたいです」
九条は、首を横へ振った。
「紹介はして頂けないのですか? 少し……その時の事を少しでもお聞かせ願えたら、嬉しいのですけれど……少しでいいので、どなたか聞いてくださいませんか?」
「それができない」
「そうですか……」
関係者と関係者を合わせるという事がマズいのかもしれない。話を始める前に、九条さんは、私にこの話を自分から聞いたと他の誰かに話さないで欲しいと条件を出していた。それなら確かに、その件で誰かを紹介するなんてできないと思った。だけど九条さんができないという理由は、別の理由があった。
「そうじゃない。いないんだよ」
「いない? どういう事ですか?」
「過去に何度か行った転移サービスの休止。その時に、サービスの休止中は向こうにも仲間がいるだとか、やり残している事があるとか、なんだかんだと言って『異世界』に残った転移者達はいた。だがな、サービスが復旧してから、こっちのもとの世界へ戻って来た転移者はいない」
「え? それって……向こうで何かあって、皆死んでしまったっていう事ですか?」
「いや、解らない」
「解らないって……でも……」
「正確に言うと、今回の海ちゃん達のように、あっちの世界に残った者はいた。だがその後に、その者達に会ったものは誰もいないという事だ。いや、いるかもしれない。でも少なくとも俺は、長野さん以外にもいくらかそっち関係のお客さんを相手にしているが、誰も知らない。サービス休止以前からいる転移者で、今も生存がハッキリしている者は俺の知る限り、全員過去にあった転移サービスの休止期間中に、こっちの世界にとどまった者達だ」
「そ、そんな……」
これは、大変な事を聞いてしまったと思った。
やっぱりユキ君の予感は当たる。悪い方の予感は、凄くよく当たるって言っていたけれど、もしかしてこの事かもしれない。
「だから正直言うと、海ちゃんや美幸ちゃんには、こっちの世界にとどまって欲しい」
「それはできないです。仲間を見捨てるなんてこと、できる訳がないから」
「そうか、残念だな」
「……あっ」
「どうした?」
「それならその時に、どちらにしても向こうの世界に留まるしか選択肢のなかった【喪失者】の人達は、どうなってしまったの?」
「ああ、同じだ。今、あの世界にいる【喪失者】で、知っている者は全員、最後に行われた転移サービスの休止から、向こうに留まる事になった者達だ。それ以前からいる者は、消息不明。俺や俺の知り合いにも、知っている者はいないんだ」
「……転移サービスが休止した期間は、その時はどのくらいだったんですか?」
「どうだったかな……今回は確か三週間から一ヶ月と言われていたようだけど、以前は二週間とかだったような気がする」
「二週間……」
「でも実際は、 3ヵ月程してから復旧したはずだ」
「さ、3ヶ月ですって⁉ でもそんなの!?」
「向こうの世界に残った者達は、皆消息不明だ。だから言おうにも言えないが、こっちの世界で待機していた者は、皆文句を言ったよ。いつになったら『異世界』へ戻れるんだと。でも運営は、その期間中と更に付け加えて、サービス再開後の6カ月間、つまり半年の会費を無料。それでクレームを言ってくる者を黙らせた。月の会費は10万だ。それでも気に入らなければ辞めればいいと。すると、もう何か言う奴らはいなくなった」
「…………」
「まあ、君や君達のリーダーである椎名さんが、思っている通りだよ。今回行われる、転移サービスの休止。その期間中に、向こうの世界で必ず何かが起こる。運営側が言っている期間もあてにはならないし、気に入らなければ辞めろというスタンスだ。だから……俺から言える事は、できる事ならこの世界へとどまって様子を見た方がいいという事だ。でも海ちゃん達は……」
「ええ。その助言に従う事はできない。私と美幸だけの時だったら、それで良かったかもしれない。でも今は、向こうにいる仲間を放ってこっちの世界にいるなんてとてもできない。皆、もう大切な人達だから」
「そうか。海ちゃんも、とても仲間思いなんだな。やっぱり俺の思った通り、いい女だった」
「フフ、ありがとう。でも九条さんだって、そのなんというか……未だに何が起こったのか解らない転移サービス休止期間中の、向こうの世界。何があるのか、気になりませんか? 私達が、ちゃんと生き残ってこっちの世界へ戻ってくれば、その間何があったのか教えて差し上げられますよ」
そう言って笑うと、九条さんも大笑いした。そして何度も頷いた。
カランカランッ
とりあえず皆に伝えなくちゃいけない情報も手に入れたし、直ぐにでも『異世界』へ戻りたい。そろそろお店を出ようと思った所で、誰かがお店に入って来た。




