Phase.376 『退職 その1』
――――月曜日。
早朝まで、『異世界』にいた。
目が覚めると、拠点内にある女神像のもとへ行き、もとの世界へと転移する。練馬区にある俺の本来住んでいる二階建てアパートの一室。
風呂に入り、歯を磨いて髪の毛をセットする。髭も剃って会社へ行く準備を整えていく。
珈琲を淹れて、買っていた菓子パンに齧りつくと、テレビの電源を入れた。ニュース。何気に耳だけ傾けていたけれど、ニュースキャスターの話している内容を聞いて、俺は齧りついていたパンを思わず床に落として転がしてしまった。
そう、ニュースの内容に驚いたからだった。
その内容とは、ここ最近多発している行方不明者の数。日本中のいたる所で、多くの人が神隠しにあっているという。その中には、ここ東京でも既に何十人もの人が行方不明になっているという。
「まさに神隠しといいますが、急に人がいなくなるという事件が多発しております。その行方不明者ですが、警察の話では4年前から度々起きているらしいですね」
「はい、そうです。ですがここ最近では、更にその数も増えて、ここ1カ月辺りだけでも全国で100人は行方不明者の数が増えているそうです」
「驚くべき事件ですね。いったい何が起こっているのか。警察はこの事件について、何か有力な情報を掴んではいるのですか?」
「いえ、まだちゃんとした発表もありませんし、このような事件は普通じゃありえませんからね。でもこれ程までの人数になってくると、本格的に捜査は進めていくと思いますよ」
「なるほど。早急な原因の究明と、行方不明者の発見、行方不明者全員の安否が確認できればいいのですが。それでは、次のニュースです」
やっぱり、大事件にはなるとは思っていた。最初、『異世界』へ行った時は、このファンタジー世界に俺1人なんじゃないかとも思った。でもそれから未玖と出会い、長野さんと出会い……今ではもっと出会っているし、他の拠点があってコミュニティーがある事も知った。
だけど転移者は、『異世界』の事をこちら側の人間には話さないだろう。俺が翔太や鈴森に話した、あのレベルなら許容範囲だろうけど、マスコミや警察に話したりすればたちまち運営に何かされるから。でなければ……
一番考えられるのは、転移アプリの剥奪で、2度と『異世界』へは行けないとか。それはかなりの苦しみを伴う。俺もそうだし、大谷君達も言っていたけれど、『異世界』の存在を知った俺達は、もうあの世界の事を忘れる事はできない。危険な世界だと解っていても、離れる事はできない。異世界に対する憧れと、元々の世界に対する絶望。もしできる者がいるとすれば、はなからもう関わってはないないはず。
だから、誰も『異世界』の事をこっちの世界のマスコミや警察など、知りたがっている人達に教える者はいないだろうと思った。もし違うなら、ニュースでも取り上げられている。
そしてさっきニュースで取り上げられていた沢山の行方不明者。そのほとんどの人は、そのまま行方不明者のまま消えていくだろうという事も理解していた。
昨日の話。リバーサイドから、自分達の拠点へ戻ってくる途中で、ゾンビ共に襲われて戦闘になった。あれは全てが、『異世界』で魔物に襲われたり、事故かなにかで命を堕とした転移者達だった。あの者達は、『異世界』で死んでゾンビになった。そして俺達に倒された。
もうこっちの世界へは、2度と戻ってくる事のない者達。転移者でなければ、こっちの人達には、もう生きているのか死んでいるのかも確認できない人達だった。
そういう人達が山のようにいる。だから、この事件は絶対に解決しないだろうし、今後はもっと大きな事件として取り上げられるに違いないと思った。
そしてニュースの最中に、ちらりと映っていた行方不明者の顔と名前に目がいく。佐竹さん、須田さん、戸村さん、小貫さん、未玖達のようなもとの世界へ戻れなくなってしまった【喪失者】の名前や顔、死んでしまった陣内や成子の名前も映しだされていた。
こうなる事は、うっすらと解っていたのに、急につらくなってテレビから顔を背けてしまった自分に気づいた。気持ちを切り替える。
「さて、会社に行こう。今日は、大仕事があるんだからな。気合を入れていかないと!!」
テレビの電源を消すと、カップに残っている珈琲を一気に飲み干した。
さて、出勤だ。おそらく……ってゆーか、まずクビにはなるよな。それは間違いない。できればこのままフェードアウトしたい。生活に関しては、パブリックエリアの収益だけでも、今のところは良い感じに稼げているし、今の仕事をやめても『異世界』だけでなんとかなりそうな感じだ。
でも社会人として、クビになるにしても自ら辞めるにしても、ちゃんと会社側と話をしてからそうするべきだと思った。
それに翔太もそうだろうし、1週間後の来るべき時には、北上さんや大井さんも俺や翔太と同じく『異世界』へ残るつもりらしいから、今日は俺達4人が揃ってその話をする事になる。山根は当然、爆発しそうな位に驚きそうな感じもするし、もしかしたら社長の前に呼び出されるかもしれないな。
兎に角、覚悟はもうした。あとは、どうとでもなれだ。俺は自分の拠点や仲間、そして未玖を見捨てるような事は絶対にしないと決めている。1週間後、『異世界』に居残る事はもう決定している事なのだから。
色々と今日、上司に話す内容など考えているとあっという間に職場のある高円寺についてしまった。
そしていつものように、会社近くのコンビニに寄って、珈琲と何か食べ物を買おうとした所で、翔太、北上さん、大井さんと遭遇した。
俺は3人に「おはよう」と挨拶すると、皆挨拶を返してくれた。今日、上司に話さなくてはならない事。その覚悟は、俺だけでなく、皆も既にできているのだと、表情から解った。




