Phase.311 『樫田 その2』
樫田は、大怪我をしていた。身体中、血だらけ。それに左足の脛辺り……骨が折れて突き出しているように見える。大丈夫なのか、これ……
俺は慌てて拠点から外に出ると、樫田に駆け寄った。
「樫田! お前、ボロボロじゃねーか!! でも生きていたんだな! お前必死になって、俺達の拠点に戻ってきたんだな! 安心しろ、ここなら治療してもらえる。きっと皆がお前を、助けてくれるからよ!」
「ウウ……」
焦点の定まっていない目。口からはよだれ……というか、体液と呼んだ方がいいようなものが垂れて出ている。
両手を突き出し、俺に縋りつこうとこちらに近づいてきた。足を引きずり苦しそうに呻く樫田。今にも倒れそうなこいつに、寄り添って肩をかした。
と、とんでもない顔だ。とても正気のものとは思えない。
だけど、そりゃ当たり前だ。あのコボルト討伐の時の戦いは、俺らにとって地獄絵図となった。市原に誘われてこの世界へやってきた奴らの大半が、そこでコボルトに殺された。そして辛うじて生き残った俺達は、他に生き残っているものがいないか見て回った。
モンタや小田、皆で手分けして見て回ったから、全員が全て把握している訳じゃない。樫田を調べたのは、俺ではなかった。つまりあの時に、他の誰かが樫田を調べた。だがこいつが生きているとは、思わなかったって事だ。
市原に連れられて、椎名さん達と一緒にコボルト討伐に出かけたあの時。出発のあの時、市原の野郎が椎名さんにつっかかっていった時も、その後もコボルトを討伐しに行く途中の丘で、ウルフの群れを追い払った時も、そこには樫田はいた。俺の目は、こいつを目撃していたし記憶にもある。
「樫田、辛抱しろよ。痛くてどうにかなっちまいそうなんだろ? まあ待てよ。直ぐに治療しにつれていってやるからよ」
まあ、なんにしてもこいつが生きていてくれて良かった。まったくの無事って訳じゃないだろうけど、生きている。それが大事だ。
「ウウ……」
「うっ! 怪我人に対して言う事じゃないかもしれねーが、お前とんでもねえ臭いだな。口も異常に臭いぞ。こりゃ、ちょっと治療も大事だろうが、風呂にも入ってちゃんとした方がいいな。うーー、くっせ!」
「ウウウ……」
樫田に肩を貸して、拠点に引き返す。拠点と外の世界を遮る有刺鉄線。樫田と共に、そこを抜けた瞬間だった。右肩に強烈な痛みが走った。
ガブッ!!
「ぎゃあああああ!! いってええええ!!」
あまりに突然の事で何が起こったのか、解らなかった。肩というか、首……そこから血が噴き出した。見ると、樫田の口の周りには、鮮血が飛び散っている。
「いでえええ!! 樫田、お前なんのつもりだあああ!!」
肩を貸していたが、あまりの事態に樫田から逃げるように離れた。勢いあまって転倒するも、直ぐに起き上がって痛みのある場所を確認する。肩……えぐられている。
「お、お前……俺に噛みつきやがったのか……どういうつもりだ。もしかして、俺達がお前を置いていったのかと、勘違いしているのか……違う……見落としたと言えばそうかもしれないが、あの時は俺達以外の奴らは皆死んでしまったと思って……」
ブシュウ!
鮮血。肩から首の辺りを噛みつかれたが、傷は思ったよりも深いようで、そこから血が吹いた。俺は慌てて傷口を抑える。立ち眩み。足がもつれて転倒すると、樫田は両手を突き出して俺に覆いかぶさってきた。
カチンカチンカチン……
「や、やめろおおお!! お、お前正気じゃねえぞ!! どうしたんだよ!!」
「ウウウ……ウガアアアアア!!」
カチンカチン!
歯の音。口を何度も開けては、閉じる。再び俺に噛みつこうと迫ってくる。力も異常に強い。どうしちまったんだ、こいつ!! こんなの、もはや化物……
「ぎゃああああ!!」
ガブガブッ!!
またも肩、そこから腕を齧られた。傷口から血が溢れ出す。激痛。あまりの痛みに、樫田を思い切り蹴り飛ばした。起き上がり、再び倒れそうになるも、必死に立ち上がって樫田から距離を取った。くっ、血が止まらない。
「ちくしょーー、正気じゃねーな。どうしちまったんだ、樫田!!」
「ウガアアアアア!!」
さっき捨てた棒を手に取り、それで思い切り樫田の頭部を横から振りぬいて打ち付ける。倒れた樫田を追い打つ。蹴りつけて、棒で何度も殴った。
なのに、樫田は変わらず両手を前にして呻く。俺を掴んでまた噛みつこうとしている。
いや、こいつはそもそも俺に歯形をつけてやろうとしているのか? 違う、さっき俺の肩や腕に噛みついた時に、肉を引きちぎり喰っていた。そんなのもう、人間のやるこっちゃねえ。まるで、ゾンビだ。
…………え?
…………ゾンビ?
「ウガガアアアアアア!!」
あれだけ蹴りをくれてやって、棒で散々に引っぱたいてやったのに、こいつは一切の痛みを感じる様子もなく、休む事もなくただただ俺を喰おうとしている。
こいつは……ゾンビそのもの。
そうだ、この俺達の今いる世界は『異世界』だ。狼や、スライム、巨人のような化物に小鬼、犬人間までいるんだ。ゾンビがいても、まったく可笑しくもない。
樫田はまた立ち上がり、よろめきながらも再び俺に向かってきた。俺は、出血で気持ち悪くなってきていたが、なんとか正気を保ちながらも棒を握りしめる。
「解った……樫田はもう……死んだんだな……お前とは別に仲良くもなかったけどよ。せめて俺が供養してやるよ」
一切の躊躇もせずに襲い掛かってくる樫田目がけて、俺は渾身の力で棒を振った。




