Phase.310 『樫田 その1』
「お前、まだここにいんのかよ」
「あー、もうちょいしたらそっち行くから、大谷達にもそう言っておいてくれよ」
「りょーかい。陣内が黄昏てるからって言っておいてやるわ」
まあ間違ってはないけどよ、ちょっとナルシスみたいで嫌だな。
十河はヘヘへといやらしく笑うと、大谷達が集まっている方へと歩いて行った。俺は十河に言ったように、もう少しここで夜空を眺めているつもりだった。
だけど十河が先に行って10分もしないうちに、何かが気になった。夜空じゃない、向こうの方。暗闇の向こう。一体何がと聞かれると、なんといっていいのか解らない。だけど胸騒ぎに似た感覚。なんだこれは。
立ち上がり、今乗っている大きな岩の上から周囲を見回す。自然と目を細めている。
…………
……気配? そうだ。何か気配のようなものがするんだ。向こうの方から。
「……なんだ、いったい?」
岩から飛び降りる。気になっている方に向けて、じっと目を凝らしてみた。でも何も見えない。暗闇が延々と続いている。
そう、夜空は透き通るように青白く、月も綺麗に見えている。でも遥か下は、暗黒とも思える闇が広がっていた。俺は今、その向こうに何とも言えないような……今まで味わった事もないような、ザラつきを感じている。
考える前に足が前に出た。そのまま歩いていくと、いつしかこの羊の住処エリアの端に辿り着いていた。目の前には有刺鉄線があり、その世界と俺達のいる拠点とを隔てている。闇。目前には、闇……おそらくは森林が広がっていたと思うけれど、そこは真っ暗でとても不気味に見えた。
「なんだ……薄気味悪いな……」
ここは俺達の拠点なんだと、俺達が勝手に決めているだけ。外とこの今俺のいる場所は、目の前に何重かに張り巡らされた有刺鉄線の隔たりしかない。それでも、守られている感覚がする。
「……ウ……ゴ…………」
刹那、暗闇――木の生い茂っているだろう方から、何か声のようなものが聞こえた。
「だ、誰だ!!」
…………
「誰だ!! 誰かいるのか!! いるんだったら、出て来い!!」
まずった! バットを置いてきてしまった。今、武器と呼べるものを俺は持ってはいない。周囲を見回してみると、棒になる木が落ちていた。それを拾って、思い切り強く握る。
「お、おい!! 誰かいるのか? いるんだったら出て来いって!!」
…………
「なんだよ……気のせいか……」
有刺鉄線だけでも、拠点と名のつく場所に身を置いているだけで、安心感が違う。周囲は月明りだけで、薄暗く暗闇が広がる外の世界をじっと見ていると、なんとなく不安になってくる。これは恐怖なのか?
でも考えてみれば、この異世界の至る場所には恐ろしい魔物がいるんだ。ひょっとしたら、真っ暗な森の中でゴブリンとかコボルトがいて、こちらを見ていることだって考えられる。
「くっ……なんだってんだよ」
暫く、沈黙し闇と睨み合い。この辺りは、昼間は暖かったりするが、夜は結構冷え込む。冷たい風が、吹いてきて寒気がした。
「うう、さむ! なんだ、気のせいか。なんか気持ち悪いし、さっさと大谷達のもとに戻るか。それでも気になったら、誰か連れてもう一度この辺りを見て回ればいいしな」
強く握っていた棒。力を緩めて、大きく息を吐いた。そして大谷達のもとへ戻ろうとした。
ガサガサ……
なんだ!! 慌てて振り返り、再び闇を見た。
「ウ……ア……」
「くそっ! やっぱり誰かいるんだ!! いったい誰だ!!」
一旦大谷達のもとに戻るべきか。それとも、椎名さんのもとへ急いで行ってこの事を伝えるか。いや、俺がここを離れた瞬間に、何かが有刺鉄線を越えてこの拠点内に入ってくることだって考えられるんじゃねーか! それなら、アレがなんなのか見てからの方がいいのか⁉
どうすればいい!! 大谷、教えてくれ!! もしくは、十河がここにまだいてくれていれば、もっとどうにかできたかもしれないが……どうすりゃいいんだ!!
ガサ……ガサ……ガサ……
闇の中で短く呻いているようなそれは、真っすぐ俺のいる方へと近づいてきている。どうする、どうすればいい!! もう少しで、向かってきている何かは、月明りに晒されて正体がわかる。なら、もう少しここへ誘き寄せて様子を見るべきか。
「いるのは解っているんだぞ!! 出て来いよ!! なんとか言ったら、どうだ!!」
ガサガサッ
暗闇の世界、真っ暗な森の中からついにそいつは姿を現した。
「え? 人間? 誰だ……」
俺と同じ学校の学生服。しかも改造している学生服だ。そしてそいつは、月明りの下にまでやってきた。顔が明らかになる。
「樫田? 樫田か!! おいおいおい、樫田なのか!!」
樫田……市原に誘われてこの『異世界』へやってきた俺達不良グループの1人。だが懸賞金のかかったコボルトを討伐しに行った時に、死んだはず。
いや、よく考えてみれば俺はこいつが死んだ瞬間も、死んでいるのも確認はしていない。つまり、こいつはあの時に生きていて、ここまでなんとか戻ってきたんだ。
「樫田!! 無事だったのか!! ちょ、ちょっと待ってろ!!」
手に持っていた棒を使って自分自身が怪我しないように、有刺鉄線をよけると拠点の外へ出る。そして樫田のもとへと全力で走った。




