Phase.30 『未玖の願い』
「じゃあ、こっちの部屋を使ってくれ。寝袋もあるから、嫌でなければそれも使って休んでくれ」
「……ありがとう……」
丸太小屋の奥の部屋、寝室に未玖を案内した。彼女には、今日はそこで眠ってもらう。未玖が寝室に入ると、俺はもとから小屋にあったウッドチェアを三脚一列に並べてそこに毛布を置いた。
「いや、寝袋の他に毛布を持ってきていて良かった。これでまあなんとか俺の寝床も確保できたな。さてと……」
斧が沢山あった所から、この小屋は以前に木こりが使用していたのではないかと推測していたけど、まるでドワーフが使っていたような重厚なウッドテーブル。そこに酒とつまみを置いた。
ランタンの灯り。マグカップに、ウイスキーを少し注いて水割りにして、一口。――美味い。ウイスキーの井戸水割り。美味いね。
酒を楽しみながら、つまみを貪って今日一日あった事を思い返していると寝室のドアがギギギ……と音をたてて開いた。未玖がこちらを覗いている。
「どうした? 眠れないのか?」
「…………」
俺の即席ベッド。並べていた椅子を一つ動かして離して置くと、そこを指して言った。
「眠れないなら、少しそこに座るか?」
「…………」
すると、未玖は部屋から出てきて椅子に座った。俺は、カセットコンロに水の入った鍋を乗せると火にかけてお湯を沸かすと温かい紅茶を入れて未玖の前に差し出した。未玖は、こくりと頭を小さく下げると紅茶を飲んだ。
――この子は、何者なのだろう。聞きたいことが山程ある。だけど、ペラペラと聞いた事を喋るような感じの子には見えなかった。
今夜の俺のお供、ビーフジャーキーを未玖の前に差し出してみた。すると、彼女はじっとそれを見るとスッと手を出してそれをモッチャモッチャ食べ始めた。……ふむ。
「き、君の名前は未玖ちゃんだったね」
こくりと頷く未玖。
「君はどうやってこの異世界へ来たんだ? 俺は『アストリア』というスマホのアプリで転移してきたんだけどさ。もしかして、君もそうなのか?」
こくりと頷く未玖。あまりはっきりと声に出して喋りたくない事なのか? それともビーフジャーキーを食うのに夢中になっているからなのか……どちらにせよ、いくらこの異世界の情報が欲しいからと言っても、無理やりに聞き出すという事は良くない。
「も、もし君……未玖ちゃんが聞かれて嫌な事は、無理に答えなくていい。でも俺は、この異世界で初めて出会った人間が君なんだ。だから、答えられる事だけ答えてもらってもいいかな? 逆に何でも聞いてくれてもいいし……」
――暫し沈黙。いや、未玖のビーフジャーキーを頬張る咀嚼音だけが聞こえていた。
酒をまた一口、そして俺もビーフジャーキーに手を伸ばそうとして、はっとする。そう言えばと、ジャガポテチップスとチョコレートのお菓子を出してテーブルに並べる。それを見た未玖は、目を丸くして興奮している様子。
「色々ともとの世界から持ってきているんだ。だから遠慮しないで食ってくれ。もちろん、食ったから何かしてくれとかそういうのはないから安心して。今日は、俺がこの異世界で自分以外の人間と初めて出会えた記念すべき日だからな。それを祝してって事で。さあ、食えるなら遠慮なくどうぞ」
そう言って笑いかけると、未玖は早速お菓子に手を伸ばして物凄い勢いで食べ始めた。まるで初めて食べるお菓子だというように夢中になって食べている。暫く、未玖がお菓子を美味しそうに食べている光景を肴に酒を楽しんでいると、いきなり未玖の手がとまり俺の方を見つめてきた。
「ん? なんだ? 紅茶のおかわり?」
「……菅野……未玖といいます」
「菅野未玖ちゃんね。そうか、菅野さんね」
「……未玖……で、いいです」
「うん、じゃあ未玖ちゃんの事は未玖って呼ぼう。俺も自己紹介はもうしたけど、椎名幸廣だ。どうとでも呼んでくれいいぞ」
「じゃあ、ゆきひろさん……」
「おう、じゃあゆきひろさんで」
ちょっと、打ち解けてきたかな。
「それで君……未玖は、この異世界へはどうやって来たんだ? スマホ?」
頷く未玖。
「そ、そうか……それで、未玖はいつまでこの異世界にいれるんだ? 俺はもとの世界ではなんでもない会社員なんだけど、今回は有給をとってやってきたんだ。とりあえず、木曜日の朝まではいようと思っている」
また黙って俯く未玖。ふむ、どういう事だ?
「まあ、話したくない事は無理には聞かないよ。気が向いたら話して欲しい」
「……ゆきひろさんに、お願いがあります」
「うん? 何かな?」
「もし良ければ、わたしをここにおいてもらえないですか?」
「え? 未玖をここに?」
「駄目なら……仕方がないです。でも、もしおいてもらえるのなら、ゆきひろさんの為に何でもします。駄目でしょうか?」
うーーん。なんでもねえ……なんでもって言っても聞いても答えてくれない事もあるっぽいし。だけど、この場所は俺がこの異世界で見つけた場所で、勝手に俺が自分の住処にしてしまっているだけで……まあ、ここにいたいって言うのであれば断る理由もない訳で……
「ここにいたいっていうのなら、別にいいよ。協力して欲しい事もあるし。でもやりたくない事は、はっきりとやりたくないって言ってくれればいいから」
そう答えると、未玖の顔が明るくなった。
「ただそれなら、これ位は聞きたいんだけどさ。未玖は、この異世界でこれまで何処に住んでいたんだ? 仲間はいないのか? せめてそれ位は教えてもらわないとな。実は他に仲間がいるとか言うんだったら、今こうしてる間も未玖の帰りを待って心配しているかもしれないし」
また押し黙って答えてくれないかもしれない。そう思った。けれど未玖は、この事に関してはちゃんと話してくれた。




