Phase.29 『少女』
空はどんどんと暗くなってきていた。何処か森の奥で獣の鳴き声も聞こえる。
俺は米を二合計ると、それを持って井戸の方へ行き洗った。その間なぜか少女は俺の後をついてきた。うーーむ、なんで?
それから飯盒に米と適量の水を入れて準備すると、焚火にかける。米が炊き上がるまでに暫く時間がるので、その間に鍋の方にも水を張って湯を沸かした。なぜかって? 実はスーパーでレトルトカレーを買ってきているので、それを温める為なのだ。
焚火に薪を追加して暫く待つ。
待っている間、少女は俺の顔をじっと見つめてきた。
「え? 何?」
「……顔……それと腕……」
「ああ、痣だらけだろ? 君を追いかけていたゴブリンと取っ組み合いになってな。それで、散々に殴られたんだ」
「……ご、ごめんなさい」
「ああ、いいよいいよ。悪いのはあのゴブリンだろ? それに反撃してやっつけてやったぜ! ははは!」
少女は驚いた顔をした。ずっと虚ろ気で、何かを恐れている表情かだったので、新鮮に思えた。
「あなたが……椎名さんがあのゴブリンをやっつけたんですか?」
「ああ、そうだ。殺されるかもしれないって何度も思ったけど、見事に返り討ちにしてやった」
そう言うと、少女は俯いた。え? 落ち込んでいる? もしかして、あのゴブリンとお友達だったとか? まさか……だとしたら、俺はこの子の友達をぶっ殺してしまった事になる。ええーー!! その展開は流石に無いよな?
「……あのゴブリンにずっと追いかけられていたの……ゴブリンには他にも仲間がいて……それで私も何度も襲われてその度になんとか逃げ延びて……でも、今日はもう駄目かもしれないと思った。そこへ椎名さんが現れて、わたしを助けてくれた」
少女は、少し頬を赤らめている。この展開は――でも俺は31歳だった。確かによく見れば、かなり可愛らしい女の子だったけど……
俺が同じ小学生位の歳だったらきっと飛び跳ねて喜んでいるに違いないと思った。でも、あれか。俺は出会いに恵まれなかったけれど、10代とかで相手を見つけて結婚して子供がいればこの位なのだろうか。
焚火の火で包まれる飯盒が「もうできたよ」と言っている気がした。蓋がぐつぐつとして動いている。軍手を二重にして手にはめると、それで恐る恐る蓋を軽くめくってみる。すると、上手に炊き上がった真っ白い米粒が「こんにちは」と顔を見せた。輝いて見える。
「おーーっし! できたみたいだな。それじゃあ、早速食おうか」
皿とスプーンを二人分用意する。飯盒から更に米をよそうと、それを眺めていた少女がゴクリと唾を呑み込んだのに気づいた。もうかなり腹を空かせているのだろう。
レトルトカレーを鍋から取り出してご飯にかける。更に付け合わせに、レトルトの玉葱スープを少女の分も含め二人分作って目の前に置いた。
少女は、もう今にもカレーに食らいつきそうな顔で、俺が食べていいという合図を待っている。その状況になんだか少女が子犬みたいで笑ってしまいそうになったけれど、何とか我慢した。
「頂きます……って両手を合わせて言うやつ、知っているだろ?」
頷く少女。
「それじゃ、それをしたら食べていい……よ」
「い、頂きます!」
言い終える前に少女は、両手を合わせて物凄い勢いでカレーを食べ始めた。炊いた米は二合。俺も腹が減っている感じだったので、多めに炊いてみたが少女はかなり空腹だろうと予想して、皿には一合ずつによそった。そして、レトルトカレーは、4袋温めて贅沢に一人二袋を使う。それに加えて玉葱スープもあるので、かなり満足な量の食事になった。
だけど――少女の皿からカレーがみるみるうちに減っていく。呆気にとられるというよりは、見ていてなんだか気持ちが良かった。それに、こんな何処かも解らない異世界の大自然の中で誰かと食べる食事――正直言って楽しい。
俺も彼女に続いてカレーを口へ運んでみると、驚く程美味しいと思った。それからは、無口。俺も少女も食べる事に一心不乱になって只々貪り、あっという間に平らげた。
「あっ!」いい物があるとその存在を思い出し小屋に取りに入る。ナタデココの入ったフルーツ缶詰にフォークを乗せると、少女の目の前にコトリと置いた。信じられないという顔をまた見せる少女に対して俺は笑った。
「はははは。やっぱり、デザートはいるよな。遠慮なくどうぞ」
「あ、ありがとう……ございます」
俺も少女も、気づけばお腹いっぱいになった。いつの間にか少女も警戒を解いてくれて、一緒に焚火の周りで転がっていた。カレーは最強。とどめのナタデココのフルーツ缶詰も破壊力があったに違いない。もう流石に名前くらいは聞いていいだろう。
すると先に何かを思ったのか、転がっていた少女はスッと起き上がり俺の方を向いて頭を下げて言った。
「こんな怪我までして、ゴブリンからわたしを助けてくれてありがとうございました。それに……カレーも凄い美味しかったです。この御恩をどうやって返せばいいのか……」
「ああ、いいよ。返してくれるなら返してくれていいけど、別に気にしなくていいよ。困った時はお互い様。楽にいこう。それはそうと、君の名前は何ていうの? 良かったら教えて欲しい」
「……未玖と言います」
「へえ、未玖ちゃんか。よし、覚えた! よろしくな」
手を差し出すと、未玖は俺の手を握って握手をしてくれた。
「それで、未玖ちゃんはこれからどうするの? 仲間のもとへ戻る? 心配しているかもしれないしな」
そう言うと未玖は暗い顔をした。
「わたしに仲間はいないです……ずっと一人です……」
ずっと一人だって!? 未玖はずっと一人でこの異世界で生きていたっていうのか? なんで? いや、疑問は沢山あるけれど、今はそれは置いといて――
「それなら今日はここに泊まっていかないか? もう辺りも真っ暗だし、そっちの方が安全だと思う。もし、俺が信用できないようなら、武器になるものを……」
「椎名さんは、信用できます!」
それでも小さい声だけど、初めてしっかりした言葉を少女から聞いた。俺は、にこりと笑って少女に「じゃあ、今日は遠慮なく泊まっていきなさい!」っと親戚のおじさんみたいな顔を想像して言った。
未玖は、また頬を赤くして「ありがとう……ございます」と言った。




