Phase.28 『俺の名前は椎名幸廣』
少女は、明らかに俺を警戒していた。まあ、31歳――小学生位の女の子からすれば、おじさんだからな。警戒するのも頷ける。それに、警戒しているのにもかかわらず逃げない理由も予想はついていた。
俺がゴブリンに追われていた彼女を、身を挺して助けたからだ。自分の身を顧みず、助けてくれた男が何者なのか気になっているのだろう。
だがそれは、こちらも同じ。彼女が何者なのか知りたい。そして、仲間がいるのならその仲間を紹介して欲しい。この異世界についての情報を、色々と交換したい。
少女と目が合う。「よう、無事か?」っとばかりに、手を挙げてみた。しかし、彼女はじっとこちらを見つめてその場を動かない。正しい判断だとは思う。
こんな謎だらけの異世界で、知らないおじさんに出会ったら正しい対処の仕方だと思った。相手が何者か解るまでは、そうやすやすと近づいてはいけない。だが俺は、別に敵ではないし彼女の命を救った。話だけでもしたいと思った。
逃げらるかもしれないが、このまま見合っていても仕方がない。それにこの辺にはゴブリンや狼、スライムなども出現するし、空を飛ぶワイバーンも見た。いつまでも、柵の向こう側にいる少女をそのままにしておくのも落ち着かない。せめてこの柵の内側にいてくれれば、いくらかは安心で気持ちが落ち着く。
俺は思い切って、少女の方を向いて大声で叫んでみた。
「大丈夫かーーーー? 怪我は無かったかーーーー?」
少女が少し動いた風に見えた。よし、少し警戒は解けただろうか? 更に続けた。
「俺の名前はーーーー、椎名幸廣だーーーー!! 君の名前はーーーー何て言うのーーーー!!」
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反応がない。っていうか、距離がありすぎて少女がそこにいるという事は確認できても今、どういう表情をしているのかもここからでは解らない。
「おーーーーい!! 大声張り上げ続けるのもしんどいーーーー!! こっちへ来ないか――――!! 話をしようーーーー!! 俺は、何もしないーーーー!! 危険はないーーーー!!」
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うーーん、反応がない。思ったよりも警戒しているのか。
「おーーーい!! 助けたろーーーーう!! 俺、さっき君を助けたろーーーーが!! もう少しでーーーー、殺されかけたーーーーあ!! お礼くらい、言って欲しいよーーーーう!!」
俺のキレッキレのユーモアが少しでも伝われば、こっちへ来てくれるかもしれない。あと、久々に大声を張り上げすぎて疲れてきた。
すると、草木の陰に隠れて様子を窺っていた少女は、ようやく姿を見せてこちらの方へ歩いてきた。
手足も顔もドロドロに汚れていて、服も破けている。近づいてくるにつれて、彼女の顔も徐々に見えてきた。あのゴブリンに襲われていた時は、無我夢中でそれどころではなくてちゃんと顔を見ていなかった。泥で汚れているけど、少女は物凄く可愛い顔をしている事が解った。
こんな可愛い子が……しかもまだ幼いのに、なぜこの異世界にいるのだろうか? 汚れや破れの目立つ服を身に着けている所も、普通ではないような感じがする。
少女はついに、柵の手前までやってきた。俺の顔を見つめる。そして、口を開いた。
「あ……」
「あ?」
「……助けてくれて……ありがとう……」
照れている。服はボロボロ、おまけに泥で汚れていたけどその表情に素直に可愛らしいと思ってしまった。
「どういたしまして。それより、良かったらこちら側――柵の中へ入って話さないか? 知っているだろうと思うけど、この辺りには魔物も多く出るし危険だ。俺が信用できないなら、何か武器を貸してあげるからそれを持って構えていてもいい。とりあえず、この状態だと俺が落ち着かないんだよ。頼む」
「…………」
少女は返事をしなかった。だけど、更に柵の目の前まで近づいてきてくれたので、話が通じたのだと思った。少女を出入口にしている柵部分に誘導し、柵で囲まれている内側へ入れた。俺は、彼女をいたずらに怖がらせないようにあえて一定の距離を保った。
「喉は?」
「……のど?」
「喉は、乾いている?」
少女は軽く頷く。
「そう。じゃあ、こっちへ来て。この焚火の前に座って、ちょっと待って」
少女は俺の言う事に従ってくれた。俺は小屋に入ると、予備で持ってきているマグカップを取り出してそれに紅茶のパックを入れて焚火で沸騰させた湯を注いだ。少女に手渡す。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう……」
少女は、紅茶の入ったマグカップに少し口をつける。
「おっと、そうだ。砂糖とミルクもあるけどいれる?」
頷く少女。すると俺は砂糖とポーションミルクを持ってきて彼女に手渡した。彼女は、それを紅茶に入れると一口一口味わうように、美味しそうに紅茶を飲んだ。本当に、美味しいのだろう。一口飲むたびに、息が漏れていた。
色々聞きたい事もあるけれど、相手は幼い女の子だ。それに今は、こうして俺の頼み通り柵のこちら側に来てくれているし、焦らないでもいいだろう。
俺も自分が飲む珈琲を入れた。インスタントコーヒー。それを飲む。
一息ついて、また彼女に声をかけた。
「なあ、腹減ってるか?」
「…………」
返答がない。うーーん、絶対減ってるだろうにな。少女の身体はかなり痩せて見えた。頬も少しこけて見えるし、ひょっとすると何日か何週間かろくに食事もしていないのではと思う。だとすると、この子の仲間はどうなっているんだ? いや、焦らないで行こう。
「もう辺りは暗くなってきているしな。腹も減ってきているしなー、俺はこれから晩飯を食おうと思っているんだけど……君がいいなら、ここで一緒に飯を食って行かないか?」
「…………」
やはり、押し黙ったままだ。なんだ? 遠慮しているのか? それとも何か見返りを要求されるとでも思っているのだろうか?
暫く待ったけど返事がないので俺は溜息を吐いて、この『異世界』へ持ってきた米を取りに行こうとした。すると、消えそうな位に小さな声で彼女は言った。
「た、食べたいです……」
「はーい! りょーかい! それじゃ、これから君の分も用意するから、そのまま焚火の前で休んでいてくれ」
そう言って、にっと笑った。すると、彼女も少し笑ったように見えた。




