Phase.270 『メリー その1』
さあ、どうやって脱出しようか――
考えてみるも、この錆びたナイフを使う以外に脱出の方法は思いつかない。僕はそのナイフをしっかりと握ると、木でできた格子に押し当てては引いた。そう、鋸で木を切る要領。だけどこれは、木を切るためのものではないし、刃は錆びている。
僕は錆びたナイフに目をやると、折れてしまわないように集中して格子を切断する作業を続けた。その最中にも、肩の痛み……なによりゴブリンに槍で刺された太ももがズキズキと激しく痛み、出血を続けていたが気にしている暇もなく続けた。
「な、なんとかあのゴブリン達がここに戻ってくる前に、脱出しないと……」
ギコギコギコギコギコ……
延々と繰り返す。錆びたナイフでどうこうできるのだろうかと思ったけれど、それでも丈夫だと思えた木を僅かずつでも削っていっている。よし、いいぞ。このままナイフが折れたり、ゴブリンが再びやってくるような事がなければ、そのうち格子は切断できる。
「諦めないぞ! 絶対、僕は諦めない。僕は『異世界』へ来てから、少しずつでも強くなるって決めたんだ。だからこの程度では、決して諦めない。それに小早川君やカイ、椎名さん達が今頃僕がいなくなっている事に気づいて探してくれているはず……」
だけど、ここが何処なのか……ここにいる僕ですら解らない。
拠点近くまで戻ってきて、いきなり後ろからボカっとやられて、気絶させられた後に連れてこられた。ゴブリンの巣になっている洞窟って事しか解らない。だけどゴブリンだって、外で獲物を襲ったりして生活しているんだ。だったら確実に出口はあるはず。
地底生物じゃないのだから、当たり前の事。ただ、出口まで見つからずに……捕まらずに行けるかどうかっていう心配はあった。
あのホブゴブリンを思い出すだけでも、震えがくる。僕なんかじゃ、きっと1対1でも勝ち目はない。
「いや、今そんな事を考えたって仕方がない。兎に角、まずはこの檻から脱出することからだ。それが先決だ」
自分に今、一番何をなすべきなのかを言い聞かせつつも作業を続ける。すると――
ザコッ!!
「やった!! 切断できた!!」
この調子で続けていけば、脱出できる。頑張るしかない。
そう思って身体に受けた傷を我慢しながらも黙々と作業を続ける。続けていると、視線を感じた。手を止めずにそちらの方を見ると、隣の檻で蠢く何かに気づいた。
あれは、羊の魔物。途中で殺されかけた奴。ゴブリンにやられると思った所で、僕がその光景に耐え切れなくなって叫んでしまった。
そうなんだ……生きていたんだ。でも檻に戻されたんだな。
周囲は薄暗いが、かれこれここにいるのでだいぶ目も慣れてきていた。だから隣の檻から、僕の方をじーーっと見つめ続けている羊の魔物……その様子がはっきりと見せる。
じーーって見ている。なんだろう……気になるな。
そんな事を考えていると、いつの間にか脱出するのに必要な格子の切断が終わっていた。錆びたナイフは、少しかけてしまっていたが、まだ使おうと思えば使えそうなので、こんな場所じゃないよりはマシかもしれないと、持ったまま檻から出た。
「うわ……っと、おっとっとっと!!」
身体がよろめく。そして太ももの痛み。まるでドラゴンの持つ鋭く大きな爪で、鷲掴みにされているような……そんな感覚。
「ふう……なんとかこれで完全に外に出る事ができた。よし、ぼーーっとしていないで、さっさとここから脱出しよう」
メエエエ……
ビクッ!!
「え? な、なに⁉」
この場から離れようとした刹那、隣の檻にいた羊の魔物が鳴いた。思わずその声にびっくりしてしまう。
メエエ……
「な、なに?」
メエエエ……
さっきまでじっと大人しくしていたのに、僕が檻から出ると急に鳴き始めた。そして格子をぎゅっと握ったまま、じーーっと僕の顔を見ている。
「た、助けて欲しいの?」
メエエ……
言葉は通じていない。だけど、この羊の魔物は、僕に助けて欲しいと訴えかけてきている。それは理解した。
だってこのままこここにいたら、この羊は……そこで肉塊になってしまった仲間と同じ運命をたどる事になる。それも弄ばれてだ。生きたまま、内臓を引きずりだされる。
だけど……だけど、こいつは……魔物だ。危険な魔物……
「僕は早くここから脱出しないといけないのに、いったい何をやっているだ!!」
口に出した時には、羊の魔物が閉じ込められている檻の前に立っていた。
「君を助けたりすれば、君は僕を襲うだろ」
メエ……
「た、助けたら、お、襲わないって約束できるかい?」
メエエ……
解らない。いや、ぜんぜん言葉は通じていないだろう。だけどここで見捨てて逃げるとすれば、この羊がゴブリン達に殺されかけた時に、なぜ奴らの注意をこちらに向けさせてしまってまで、僕が声をあげたのか解らなくなる。
そう、僕は弱い。だけど強くなりたいんだ。だから、頑張って勇気を振り絞って恐怖に呑まれながらも自分の正義に従ったんだ。
メエエ……
「なんて呼んでいいか解らないから、とりあえず君の事はメリーって呼ぶね」
メエ。
「解った、こうなったら君が魔物でも関係がない。一蓮托生だ。一緒に逃げよう。ここで、ちょっと待ってて」
メエエエエエ……
おいて行かれると思って慌てて泣き叫ぶメリー。僕は振りかえって、両手を前に出して「ちょっと待って!」と精一杯ジェスチャーしてみせた。
そしてこの沢山の檻が置かれている洞窟の、空洞とも思える場所を徘徊してみる。するとそこらじゅうに檻があり、積み上げられたりしていた。その中には、メリーと同じ羊の魔物が捕らえられていて、中にはもう衰弱して動けないものや、既にこと切れているものもいた。
一瞬、気持ち悪くなり吐きそうになったけれど、その気持ち事呑みこむ。
「あった!! これだ!!」
積み重ねられた檻。その付近にあった木箱の上に載っていた斧。それを手に取ると、僕はメリーのいる檻へと戻った。




