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Phase.26 『小さな勝利、その後』




 顔も腕も腫れていた。ゴブリンがあんな取っ組み合いの殴り合いもできるだなんて聞いていない。


「……でも、俺が勝った」


 子供の頃をカウントしなければ、まともな喧嘩なんてした事がない。しかもこれは、殺し合いだ。生きていくための戦い。それに完全に勝利したと言える。


 いきなり老人にでもなったかのように、よろよろとしながら川の方へ歩く。自分が流した血とゴブリンの飛び散った返り血を、川の水で綺麗に洗い流した。


 痛みでなのか恐怖からなのか解らないけど、震える手。しかし、驚くくらいに俺は冷静を保っていた。


 剣を鞘に納め、お手製の槍を手に握る。そして、辺りを見回して叫んだ。


「おおーーーい!! もう、大丈夫だ!! おおーーーい!!」


 さっきゴブリンに追いかけられていた少女。彼女に対して言ったのだ。もう大丈夫だと……それに、仲間がいるのか知りたかった。こんな危険な場所で、あんな女の子が一人で生きていけるはずがない。それにどうしてこの異世界にいるのかも気になる。――まあ、単純明快に言ってしまうと、心配で放っておけなかった。


「おおーーい!! さっきの女の子!! ゴブリンはもう、やっつけたぞ!! 出てきてくれ!!」


 ――返事がない。もう、何処かへ逃げて行ってしまったのだろうか。確かに、俺は逃げろと言った。だから、無事でいるならそれでいいんだけども。だけど、色々と話がしてみたかった。この異世界で、初めて会った人間だったから。


 俺はもう一度、周囲を見て回ると倒したゴブリンの所まで戻り、ゴブリンの死体を草の茂みへ運んで隠した。


 昨日この場所へ来た時に、3匹のゴブリンを見かけた。こいつが昨日見た奴と同一のものがどうかは、とても見分けはつかないけれど、そうだとしてもまだこの辺りには、最低でも2匹はいるって事だ。そいつらが仲間を探してここへ来て、その仲間の死体を見たらやっかいな事になるかもしれない。


「スコップでも持ってきていれば穴を掘って……いや、こんな森の中でそんな事をしてられないか……」


 草の茂みに運び終え、サバイバルナイフで辺りの草や木の枝を切って、ゴブリンの死体に被せて隠した。


「これでよしっと……それじゃ、一旦拠点へ帰るか」


 本心は、もっとここの川で魚を獲ったり貝やらなんやら食糧にできそうなものがないかとか探して、楽しみたかった。自然と戯れたかった。しかし、顔面も腕も痛いし腫れているしオマケに黒ずんできた。確実に痣になるぞ。だから今日はもうこの辺にして、小屋へ戻る事が英断だと判断した。


 警戒を続けながら丸太小屋に向かって、森の中を進む。途中、また鹿や栗鼠などを目にした。弓矢でもあれば狩りをする事もできるかもしれない。


 一週間前は、机の角に足の小指をぶつけても大騒ぎしていた。剃刀で少し口の周りを切って出血しただけでも、気持ちが悪くなって凹んでいた。肉を手に入れる為に、動物を殺めなければならないという考えも持ち合わせてはいなかった。


 だから、ここ数日での自分の心境の変化に驚いていた。自分でも、逞しくなったような感じがする。なんせ、鹿などを見て狩りをしてみたいとか、そういう事を考えてしまうのだから。


 丸太小屋が見えると、とてもホッとした。もう、ここは俺の住処なんだと実感する。


「ふう、やっと戻れたか。川までは結構近いと思ってたけど、ゴブリンに殴られた怪我もあるし身体中あちこち痛くて早くここへ戻ってきたかったからか、遠く感じたな」


 丸太小屋を囲む柵。出入口にしている個所に辿り着くと、柵を動かして中へと入った。途中拾い集めた薪や植物の蔓など入ったザックを投げ出すと、まず留守中に異常がなかったか小屋の周りを確認してから小屋の中へと入った。


「えっと、何処に置いたっけ……」


 素敵な住処にする為に小屋を大掃除し、消毒もした。そして、持ってきた荷物も棚に置いたり、いざそれが必要になった時に直ぐに手に取れるように整理してなおした……つもりだった。ちゃんと、綺麗にはしまっているつもりだったが、あれが何処にあるか解らない。


「何処だ何処だ。絶対に持ってきているんだけどな。だいたい持ってきた記憶が俺にはある――うーー、あった!」


 ――エイドキット。異世界デビュー初日に、スライムと狼の群れに散々にやられたので絶対にこれは必要だと真っ先にネット通販『jungle』で購入しておいた。


 ウッドテーブルにエイドキットと鏡を置くと、椅子に座ってゴブリンとの死闘で追った怪我の治療を始めた。消毒薬、それに打撲などに効く軟膏を塗る。どうやら、鎮痛作用もある薬のようなので良かった。


 手当が済む。腕時計を見ると、時間は14時を回っていた。腹も鳴る。


「もうこんな時間か……しかし、焦る事はない。今日は日曜日。もとの世界へ戻るのは木曜の朝だ。まだまだ満喫できる」


 またも自分の独り言に驚きを隠せなかった。のりつっこみと言われればそうなのだが、これではっきりと自分がこの異世界へ転移してきている事を楽しんでいると悟った。


 さっきゴブリンと格闘した怪我の痛みも、最初に来た時に狼に噛まれた足の傷も本物だ。つまりこの異世界では、命を落とす可能性もあり、もしも死んだりしたらその俺の死は本物になるだろう。


 狼の時もゴブリンの時も、俺は一つ間違えば死んでいたかもしれない。だけど、俺はこの異世界での生活に早くも生きがいを感じ始めていた。


 想像もつかないこの不思議な異世界、『アストリア』の虜になっていた。

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