Phase.24 『腹をくくれ』
――渓流。川には、魚が沢山見えた。
俺は裸足になって川に入ると、自分で作った槍を片手に魚を追いかけた。
「そこだっ!!」
ビュッ!
川の中を泳いで回る魚に目掛けて槍を放つ。でもまったくもって魚には当たらない。ちくしょー、悔しい。こんなに簡単に獲れるとは思ってはいないけれど、もう俺の頭の中では川魚を獲った後の事でいっぱいになっている。
口の中に唾液が広がる。……焼き魚が食べたい。食べれないと思うと、余計に食べたくなって仕方がない。
再び魚を狙ってみるけど、ダメだった。でもいい。
ちょっとした遊びでもあったからだ。大人になってから、こうして素足になって川に入って魚を捕まえようとする事なんてしていない。童心に返るというか、夢中になってしまった。つまり、今の俺は心から楽しんでいた。
足は川の水につけたまま、近くにあった石の上に腰を下ろす。フーーっと一息ついて、空を見上げ目を閉じると深く深呼吸した。
ワオーーーーッ
何処か遠くで獣の鳴き声。直ぐ近くの木に鳥の囀りと、木の葉のすれる音。風。水のせせらぎ。
心がどんどんと、洗われていくようなそんな感覚。空気も凄く美味しくて、肺が綺麗になっていくような気にもなった。
「俺は生きている……」
呟いた。
そして、またこの心地の良い陽気とそよ風に心と身体を預けていると、森の中の草の茂みを何かがガサガサと掻き分けて駆けてくる気配がした。ゴブリンだと思った俺は、直ぐに身を低くして隠れながらも靴を履く。
ガサガサガサガサ……
「なんだ? 何かがこっちへくるな……」
この異世界へやって来た時に、スライムや狼の群れに襲われた。その時、吐きそう……っていうか吐いてしまったけど、それ程恐ろしい体験をして身を小刻みに震わせていた。
……でも、今はなぜだかびっくりする位に冷静だ。そりゃ少しはドキドキしているが、今何か起きている事態に対して冷静に対処しようとしている自分がいる。
ギャッギャ!!
近くでゴブリンの声が聞こえた! やっぱりだ、やっぱりゴブリンだ! 昨日もこの川の付近でゴブリンを3匹も目撃している。
俺は更に身を屈めると、草の茂みに隠れてこっちへ駆けてくるゴブリンを確認しようとした。刹那、予想だにしなかった光景を目の当たりにしてしまう。
俺の目の前を、一人の少女が全力で駆けぬけて行ったのだ。その少し後ろから、1匹のゴブリンが彼女を追っている。
少女の年齢は、小学生位に見える。しかも、あの服装……汚れているが、どう見ても異世界のものじゃない。
「もとの世界の住人なのか……助けないと」
少女は、長い髪を振り乱し血相を変えて死に物狂いにゴブリンから逃げている。ゴブリンの手には、棍棒。ぎゅっと握りしめていて、少女に追いつくようなら思いきりその棍棒で殴りつけそうな勢いだった。
「あっ、きゃあっ!!」
少女が転ぶ。少女の後方まで迫ってきていたゴブリンは、ギャギャーっと叫んで転んでいる少女に上から飛びつくように襲い掛かった。
少女は、懸命に逃れようと必死になって抵抗する。しかし、ゴブリンは彼女の首を片手で締め上げると、もう一方の腕で握っている棍棒を思いきり振り上げた。ゴブリンの悪魔のような顔と、少女の絶望する顔。
「だああーー!!」
ギャッ!!
気が付いたら、俺はゴブリンに向かって飛び蹴りを入れていた。衝撃で転がるゴブリン。しかし、地面を2~3回転した所で直ぐに起き上がって飛び蹴りを入れた俺の顔を睨みつけた。本当に、悪魔のような形相。ちびってしまいそうだ。
ギャッギャッギャーーー!!
明らかに怒りを露わにされている。これはもう、俺をズタズタにしてぶっ殺さないと、気か収まりそうにない。すげーー、怖い!! 出来ることなら、ここから全速力で逃げ出したい。
「だ、誰ですか?」
日本語! やっぱり、少女は俺と同じ世界からやってきた日本人だった。ちきしょー、こうなってしまったら、いくら恐ろしくても大人の俺が取る行動は一つしかない。
俺はお手製の槍をゴブリンに対して向けると、少女に向かって叫んだ。
「おい、君! ここはいいから逃げろ!!」
「…………」
「ボサっとすんな! いいから、逃げろって言ってんだろ!! さっさとしねえと、俺がやられたら次はお前がやられるぞおお!! いけえええ!!」
そう叫ぶと、少女は吹っ切ったように思いきり全速力で何処かへ駆けて行った。
俺は、槍を握りゴブリンと睨み合っていた。額から頬へ汗、そして顎からしたたり落ちる。
ギャギャギャ!!
「何て言ってっか、わかんねーよ!! でも、獲物を逃がされて怒ってんだろな!! いかせねーよ、絶対にいかねーからな!!」
わざと、大きな声でこれから喧嘩をするような感じで言い放った。喧嘩なんてもう子供の時以来だけどな……はは。
ゴブリンは手に持っている棍棒をブンブンと4~5回振る。向こうも威嚇してきているのだろうか。あんな固そうな棍棒で殴られたら、痛いじゃ済まなそうだ。
しかし……しかし考えろ、俺!! これだけ、大声をあげているのにも拘わらず、ゴブリンはこいつ1匹しか姿を見せない。つまり、俺の敵はこいつ1匹だ。こいつを倒せばそれで終わり。ゴブリンと1対1のタイマン勝負だ。
ゴブリンの両目には、もうさっきまで追いかけていた少女の姿はない。ただ俺をとらえて睨みつけている。それでも、いい。腹は、くくったつもりだった。




