Phase.229 『嫌味 その2』
「秋山、貴様―――!!」
「おいよせ、翔太!! 謝れ、もう謝っちまえ!! なっ!」
一触即発。山根はとても陰険な性格で、特に俺と翔太を目の敵にしては、ちょくちょくと嫌味を言ったり絡んできた。それでもなんとか耐え続けてきた翔太が、ついにキレた。
いや、キレたらまずいんだって!
「山根課長、すいませんでした! こいつは、俺が言って聞かせますんで!!」
そう言いながらも二人の間に入り込み、翔太の身体を押す。
「ずっと我慢はしてたけど……このくそがっ!!」
「おい、秋山!! 貴様、上司に向かって今、なんつった? ああん!! クソっつったか? え、クソって!」
「いや、違うんですって! こいつ、今日、朝から具合が悪くて! 俺はこいつに休めって言ったんですけど、頑張り屋のこいつは無理して出勤してきてて……でも具合が悪いからこうして唸っているんですよ! ほら、この顔も別に課長を睨んでいるんじゃなくて、苦痛に顔を歪めているだけなんですよ!!」
必死に助けようと頑張っている俺を押しのけて、山根につかみかかろうとする秋山。
もう、堪忍袋の緒が切れたんだろう。正直言って、俺ももう山根のような陰険上司に、こんな面白くもなく出世もできないやりがいのない仕事には、ほとほと愛想がつきている。ここがもし『異世界』なら、俺は秋山をきっと止めていない。
だけど、ここはもとの世界だ。日本なんだ!! ルールがある。
「やめろって翔太!! お前、いい加減にしろよ!!」
「ユキーこそ、どけよ!! 俺はもう、ブチギレてんだよ。もう我慢の限界だ! クビになったっていいぜ。そしたら俺は、もう完全にあっちの世界で生きていく! でもその前にこいつを……」
「オイ、よせ! 翔太!!」
「秋山――!! 貴様!!」
参った、どうしよう!! そう思った刹那、こちらを心配して見ている北上さんと大井さんが目に入った。彼女達と目があった瞬間、二人はこちらに急いで駆けてきてくれた。
そして翔太の両腕を左右からそれぞれ掴んで、引き留めた。
「秋山君! やめよう! もう、やめなよ!」
「そうよ、お願い! お願いだからやめて!」
こんなにキレている翔太、久しぶりに見る。北上さんと大井さんがそう言ったくらいじゃ、こいつの怒りはきっと収まらない。どうにかしないと、本当にこいつは山根を殴るぞ。
何か手を!! そう思った瞬間、山根に襲い掛かりそうになって興奮していた翔太が急に大人しくなった。そして言った。
「うん。美幸ちゃんと、海ちゃんがそういうなら、そうするーん。エヘヘ」
「こいつっ!!」
ポカッ
「あいてっ!!」
翔太の肩に軽くパンチ。俺は山根に言った。
「すいませんでした、課長。こいつ本当に具合が悪くて、それでどうしようもなくて、こんなよく解らない感じになっていたんです。でも、もう治まったみたいですから」
「なんだと!? そんな訳あるか!! こいつは今、この俺に喰って掛かって……」
「もう大丈夫だよな、翔太?」
「はーーーい、大丈夫でーーす」
北上さんが翔太の腕に軽く抱き着くと、翔太は別の興奮をし始める。そして北上さんが翔太の耳元で何か囁くと、おそらくその言葉を復唱しているんだろうけど、人形のように言った。
「モウ、イタミハアリマセン。アマリノイタミニ、ワレヲウシナッテシマッテ……サーセンデシタ!」
「お前……ほんと、ふざけるなよ……」
俺は呆れた声でそう言うと、翔太の頭をポカンと叩いてもう一度、二人で山根に頭をさげた。すると、北上さんと大井さんもそれに続く。
他の同僚も、次第に集まってきて成り行きを見守っているこの現状に、やっと気づいた山根は、舌打ちすると俺と翔太をもう一度睨んで自分のデスクへと戻っていった。
こいつ、北上さんと大井さんが出てくると物分かりが良くなる。まあそれは、山根だけじゃなくて翔太もそうなんだけど。
「北上さん、大井さん、ありがとう。ほら、翔太もお礼を言え!」
「ありゃーーっす! そして夢が叶うなら、もう一度俺の腕に抱き着いて欲しいッス!! そしたら、俺はもっと心を込めた、更に一段階……いや十段階位、上のありがとうが言える気がする」
「アハハハ。もう、秋山君はブレないね。でも大惨事にならなくて良かった。ちょっとヒヤヒヤしたよね、海」
「そうね。喧嘩になったら、きっと秋山君のパンチ一発で山根課長、飛んでいっちゃうだろうから」
大井さんのその言葉で、4人とも大笑い……しかけた。おっと、危ない。山根がこちらを見ている。
「それじゃ、そろそろ業務に戻ろう。でないと、また課長がやってくるぞ」
「あはは、そうね。それじゃ、またランチの時に話そうね」
北上さんと大井さんはそう言って、天使のような微笑みを俺達に向けると、山根課長の方へと歩いていった。そして、今にもこちらにまた難癖つけて絡んできそうな気配プンプンだった山根に、何か声をかけて機嫌をとっていた。
山根は額に血管を浮き上がらせていたが、直ぐに北上さんと大井さんにデレデレした態度を取り始めた。
あいつ……っと思ったけれど、横を見ると山根と同じく、だらしない男がもう一人。翔太も、さっき美女二人に抱き着かれた際の両腕の感触を、目を閉じ鼻を膨らませて思い出しているようだった。
まったく、お前は……仕事をしろ!! 声には出さなかったけど、危うく大声をあげてしまいそうになった。




