Phase.228 『嫌味 その1』(▼椎名幸廣)
――――月曜日、朝。
シャワーを浴びて歯を磨き、服を着替えると練馬区にある自宅を飛び出した。
職場に向かう為に、電車に乗る。人人人人。乗車時に、押されてすし詰めにされると気持ちが悪くなる。足を踏まれて体当たりされても、自分が倒れないように踏ん張ってつり革を握る。そして思う。
――また一週間が始まった。
ハアーーーー。早く夜に……っていうか、週末が来てほしい。まだ一週間が始まったばかりなのに、既に『異世界』が恋しい。
ゴブリンの強襲に続けてコボルトの討伐。新たな仲間も増えたし、やる事も沢山あってもう大変だ。
でもこっちの世界での、特にやりがいのない仕事……それと違って、『異世界』ではワクワクが止まらない。楽しい。でも、沢山やることがあり過ぎて、どれから手をつければいいのか困っている。
ハアーーー、この俺がリーダーなんてな。
リーダーになれば、やらなくちゃいけない事も増えて大変だとは解っていた。だけど拠点が広がり、仲間が増えてそのしんどさが更に増して本当に理解した。確かにやりがいはあるし、あれこれ考えるのは、楽しくていいけれど……
うーーーん。
…………この通勤時間も最近は、『異世界』の事ばかりを考えている。
考える事が多すぎて、気が付くと職場まで到着している事がパターン化してきているので、この地獄のような通勤ラッシュから意識をそらしてやり過ごすには、案外いいかもしれない。
そんなこんな頭を巡らせていると、いつものように職場のある高円寺駅へ到着した。
高円寺駅から、職場まで徒歩。会社の前で、翔太と出くわす。
「おおーー、ユキーー。おはようーー」
「おはよう。それにしてもつらそうだな」
「そう? まあ、そーかもしんねー」
明らかにつらそうな、ぐったりとした顔をしている。もしかして、コボルト討伐の時の疲れや、色々な事がこたえてそれが抜けきらないのか。いくら嫌な奴だと思っていても、年端もいかない不良共の死は衝撃的だった。
佐竹さん達の事もあったし、『異世界』の普通ではない毎日。それでも俺達は、衝撃的で非日常的な事にかなり慣れ始めてきているけど……そういうのだって、当然だけど人によるのかもしれない。
「やーー、まーーた一週間の野郎が始まりやがったって思ってよーー。そう考えたらこんな顔になるだろー? 早く夕方になんねーかなー。『異世界』と、クランのかわいこちゃんたちが俺を待ってるっていうのに」
「別に待ってねーよ」
「ひっでーー! ユキー、それ酷いわーー。あっ! 言った傍から、かわいこちゃん発見!! ひゃっほーーい、おはよう美幸ちゃん、海ちゃん!!」
『おはよーーう』
北上さんと大井さん。二人は、いつも通りで元気そうだ。って昨日まで『異世界』で一緒だったんだけれど。
こうして二人を見ても、普通に会社員に見える。とても昨日まで、あっちの世界で厳ついコンパウンドボウを片手に、コボルトやらと戦ったりしているとは、誰も想像がつかないだろう。
この二人は、今まで魔物との生死を賭けた戦いも何度も繰り広げてきた。その辺にいる誰よりも、肝がすわっているに違いない。
「よーーし、じゃあさっさと会社で仕事をして、終わらせちまおうぜ」
「終わらせるったって、最速でも定時でしかあがれないんだからな。あっ、そうだ。俺ちょっとコンビニによっていくから」
「え、なんだとー! はっはーん、さては自分だけ、何かいいもん買う気だな! ずるいぞー。よし、俺も一緒に行くから」
翔太との『異世界』生活が始まって、こいつは前以上にべたべたしてくるようになったように思える。もしかして、そっちの人? って、それは万に一つの可能性もなかった。普段のこいつの女好きの様子から考えても、それはありえない。だけど、こう毎日だとちょっとウザい。
まあ、でもそれは翔太と友達として仲がより深まっているって事で、決して悪い事じゃない。翔太が俺を信頼してくれているのなら、とてもいい事だ。
調子に乗るのは目に見えているから、絶対言わないけど、俺も翔太の事は一番頼りにしているし。
「さてと、買い物買い物」
コンビニで、いつもの菓子パンと缶コーヒーを購入すると、翔太と一緒に店をでる。会社へ到着。すると、待っていたとばかりに現れたのが、課長の山根だった。早速、嫌味な顔をしてきやがった。
「おはよう。椎名、秋山」
『おはよーーーっす』
近くの机をバンっと叩く山根。側にいた同僚が、そんな山根を見てドン引きしている。
「おはようございますだろ! 上司に対して、そういうのが礼儀だと思わないのか? ああ?」
「……すいませんでした」
「うっす、さーせんでしたーー」
また火に油を注ごうとする秋山。肩を腕で突いて、その辺でやめとけと伝えた。山根にそれが伝わったのか、怒りの表情になる。まるで親の仇を見るみたいな目。
まあ挨拶は大切だけど、この程度の事で人は、それ程怒りを燃やせるものなのだろうか? そう思うと、山根が異常に見えた。
「あーきーやーまー!! お前、この俺に文句があるんだったら、今はっきりと言えーー。んんーー、上司の俺を怒らせばどうなるか、解っていない訳ではないんだろー?」
「え? だから謝ってるでしょ。すいませんでしたって。もういいじゃないッスかー」
「こら、翔太! だから、火に油を注ぐなって言って……」
ガシッ
その時、山根の怒りが爆発した。山根は翔太の頭をバシンと強く叩くと、胸倉を掴んで自分の方へ引き寄せた。場が凍りつく。
翔太の山根に対する態度の理由は、普段山根が俺達を目の敵にして色々と嫌味を言ったり、嫌がらせをしてくるせいもあった。それは、皆知っている。
だから翔太の山根に対する態度も解るし、俺だって同じだ。正当化なんてする気もないし、翔太を止めはしたけど本意ではない。
でも翔太は、一線を越えてはいなかった。なのに、山根はなぜかこんな大した事でもない事に対して、怒り出して一線を越えて翔太に暴力を振るった。
翔太の目の奥に、怒りが見えた。俺は翔太が山根を殴ったりしないように、慌てて間に割って入った。




