Phase.207 『特別な小屋』
――――大谷君達や、市原達が俺達の拠点にやってきた日の翌日。日曜日の早朝。
俺は、草原エリアの方へやってきていた。あくび。腕時計を見ると、時間はまだ4時過ぎ。こんな時間に起きて行動をし始めるなんて、田舎の祖父母のもとに子供の時に遊びに行った時の事を思い出す。
「ふああーー、あくびが止まらないなー」
周囲を見回すと、辺りに霧が発生していた。
この辺はわりかし水辺も多くて、朝方など霧が発生する事もしばしばある。だけど成田さん達が率先して、この拠点のバリケードなどを強化してくれたお陰で、その内側にいる時のこのなんて言うか、安心感がハンパない。
あれから仲間もできてきたし、とりあえずこの拠点内にいる時は霧が発生していようが、この間みたいに激しい雨が降り注ごうがビビりはしない。助けを呼べば誰かには、届く。
トコトコと草原エリアを歩いていると、目の前に小屋が現れた。因みにここに小屋があった事は、事前に知っていた。
もともと草原エリアには、だだっぴろい草原地帯と女神像しかなかった。それとウルフやスライムという魔物の他に、岩が所々にある程度。そこを成田さん達が有刺鉄線で囲み、バリケードを配置して拠点の一部にした。
その甲斐もあって今は、更に手が加えられてこの草原エリアも更に進化をしている。剣など近接戦闘の為の練習場や、未玖や不死宮さん達が管理する畑などもあってその規模も、スタートエリアにある丸太小屋の裏で俺と未玖が初めにやってた畑とは、比べ物にならない位の規模になっている。
あと、この草原エリアには驚くべきものができた。それがこの小屋。
草原エリアには、今はいくつか畑で使う道具など置いておく用の小屋や、作業小屋などいくつか小屋を建てているが、今目の前にしている小屋はもっと驚きを隠せない特別な小屋なのだ。
そう、この小屋は……
「あっ、ゆきひろさん! おはようございます」
「おはよう! って未玖、こんな時間に何をしているんだ? まだ朝の4時だぞ」
「今日はゆきひろさんが言っていた計画の日ですから、きっと早く起きるんじゃないかなって思っていました。もちろん、他の人達も。だからちょっと早めに起きて、お店の準備をしようかなって思って」
「そうか。まあ、それは未玖の勝手だから未玖がやりたいようにやればいいとは思うけれど……それにしても、もう少し眠っていればいいのに」
そう、この小屋は店なのだ。
俺達は転移アプリを使用すれば、いつでももとの世界へ戻れたりする。だけどスマホを失った者、例えば未玖や最上さんや出羽さんなど、【喪失者】と呼ばれるもとの世界へ戻る事ができない者がいる。そんな仲間達の為に皆で色々と考えて、拠点内で店をやってみたら凄くいいかもという事になった。
つまり何が言いたいのかというと、【喪失者】は転移アプリが使用できないのだから、もとの世界へは戻れない。この『異世界』だけが、現在唯一の世界。だから俺達のように、何か必要な物があったとしてもとの世界へ戻って、手に入れる事もできないのだ。
代わりに俺や翔太が買ってきてあげる事もできるけど、特に未玖などは俺達にお金を使わせてしまうとか、負担になっていると気を使ってしまう。
だからだ。だから、未玖達【喪失者】の皆にはここでも日本で使用できるお金を稼げるように考えたのだ。
それでお金を増やせれば、何か必要で誰かに買ってきて欲しいという事も、それ程気兼ねしないで言えるし頼める。『異世界』内でも売買ができれば、もっと便利になる。
だから皆で相談し、拠点内であれば店でもなんでもやっていいと決めた。それで早速、未玖と三条さんが飲食店をやり始めた。お食事処というよりは、食事もできるカフェみたいな感じだろうか。
因みに珈琲豆など、店で使うものはだいたい俺が用意した。未玖はまた俺にお金を使わせてしまっているみたいな感じでいたけれど、「これは投資だから、儲かったら倍にして返してくれ」と言うと嬉しそうに「はい!」と言った。
未玖と最初に出会った時、彼女はもとの世界へ帰りたくないと言っていた。そして何かにおびえていて、元気もなかった。だけど今は、この場所で毎日を笑って暮らしている。北上さんや大井さん、三条さんにうらら、不死宮さんなど他の女の子達とも仲良くやって充実した毎日を送っている。
彼女はもとの世界で、どうだったのだろうか。もとの世界へ帰りたくない。その言葉から考えられる事って……
「ゆきひろさん」
「え? ああ、なに?」
「どうしたのですか?」
「ああ、ちょっと考え事かな」
「それなら、こちらへどうぞ。直ぐに珈琲を入れますね」
未玖はそう言って、小屋の中へ入るように指した。俺は頷いて、小屋の中へ入ると椅子に座った。
「それじゃ折角だし、珈琲だけだとアレだし……モーニングセットにしようかな」
「はい! それならトーストセットとサンドイッチができますよ」
「それじゃトーストセットの方でお願いします」
未玖はにこりと笑うと、小屋の隅に置いていた薪を運んできて、直ぐ外で焚火を熾し始めた。この拠点には、発電機もないしトースターとかもない。あってもいいかもしれないけれど……そういえばまだなかった。
トーストを焼いたりゆで卵を作ったり、珈琲を入れるお湯を沸かしたり――未玖の表情は、とても楽しそうだった。




