Phase.187 『皆の新たなる思い』
1時間程経過して、僕達はもとの世界……つまり学校へと戻った。
授業に遅れるのは、別にいいと思っていたけれど、市原達がひょっとしたら待ち構えているんじゃないか……それだけが心配だった。
だけど市原達は、いなかった。
転移場所に戻ると、そこは学校二階の男子トイレの個室。個室内は水浸しにされていて、ドアも開けられていた。
市原達は、絶対この中に僕がいて、恐怖に青ざめながらも仕返しを恐れて、身を震わせながら隠れていると思っていたんだろう。
考えてみれば1時間も待つわけがなかった。僕が出てこないし、反応がないとなればドアを開けるという強行手段は直ぐにとるだろうし、開けて個室内に僕が忽然と姿を消してしまっているともなれば、また別の場所へ探しに行くはず。
そう、誰もいないトイレにずっと、いる訳もなかった。
あの時、市原達は僕がこのトイレに逃げ込んだのを見たと言っていた。それで中まで追ってきた訳だけど、僕は姿を消した。このドアを開けてきっと驚いたに違いないだろうけど、今となっては市原達がどんな顔をしていたのか確かめる方法もない。きっと、滑稽な顔をしていたに違いない。
20万円を渡さなかったし、コケにされたから確実に僕を後悔させようと追って来る。だけど僕はそんな恐怖が近づいてきているのにも関わらず、笑ってしまっていた。
大丈夫だ。この異世界への転移アプリがあればいつでも僕は、セーフティーゾーンへ逃げ込める。絶対に安全な場所があるのなら、市原達に捕まる事もないし捕まったとしても隙を見つければ簡単に逃げ出せる。
『異世界』に行く為には、月10万円いるのだという。
僕の貯金やそういった物をかき集めれば、頑張って4カ月位は転移し続けられるだろう。その後はアルバイトでも、親に頭をさげてでもなんでもして月10万を確保する。
市原にこのまま会う度会う度に、金をむしり取られる事を考えればぜんぜん余裕に思えた。
教室に戻ろうとすると、廊下で小早川とカイとも会った。二人は僕を見て、「よっ!」って感じで手を挙げたので僕もそれに応じた。さっきまで『異世界』で一緒にいたので、なんだか変な感じがした。
教室に入る。すると既に授業は始まっていて、いつもサボっているイメージの強い市原や池田や山尻がいて僕を睨みつけていた。
……これはくる。またくるぞ。
それからは大変だった。休憩時間に入ると、追いかけっこが始まる。僕は急いで教室を飛び出すと、市原達に追われながら校舎中を逃げ回る。そして袋小路に追い込まれてもそこで、パっと姿を消した。
そうして逃げ回り、市原達をずっと回避した。
僕は、完全に市原達に打ち勝ったと思った。
そんな感じで1週間が過ぎた。市原達は、僕を追ってこなくなった。その代わり、僕が姿を消した後に、机に落書きしたり何か物を盗まれたり、捨てられたり。およそ考えつく虐めは続いた。だけど僕は学校には通い続けた。
僕はそれ位じゃ負けなくなっていた。なぜか? 今それを、思い出しても身体が震えてくる。
なぜなら、トロルに追いかけまわされるという、とんでもない経験をしてから。もう少しで、殺されていたかもしれないという思いをしたから。あれに比べれば、市原達なんて大した事がないと思える。
あれから、女神像の周囲でだけだけど毎夜小早川とカイと3人で、『異世界』に行くようになっていた。それと僕には、小早川とカイ――二人の友達ができた。
虐めなんかには屈しない。毎日転移している世界、『異世界』の謎に比べたら市原のやっている事なんて本当に小さな事なのだから。
僕の両親も、僕が毎日元気に学校に行くようになったので、その変化に驚いていた。最近じゃ顔を腫らして帰ってくることや、制服に明らかに蹴られた靴の跡があったりもしないから。自分で言うのもなんだけど、表情も明るくなったと思う。
でも、ハプニングは突然に起きるもの。
それはあれから一週間後の今日、起きてしまった。
僕と小早川とカイは、ミケさんのいるメイドカフェ『アストリア』に来ていた。市原に追われていた時に、ミケさんが匿ってくれたお店。
今日は金曜日で明日から休日に入るので、ちょっとまた勇気をだして冒険してみようかと、3人で計画を練るためにここへ立ち寄ったのだ。
他のカフェやファミレスとかでもできる事だったけど、小早川はミケさんの大ファンで事あるごとにここへ会いに来たがる。それを解っていたので、ここにした。
小早川は偉そうに腕を組むと、言った。
「それじゃー大谷氏、有明氏!! 今夜、決行で相違ないな!」
「もちろんでござるよ!」
「うん、いいよ。帰宅したらすぐに準備して女神像の前だね」
3人でうんうんっと頷いていると、それに気づいたミケさんが近づいてきた。
「おやおやーー、なーにを仲良く話しているのかなー?」
にこにこ顔のミケさん。僕やカイも、女の子に対する耐性は非常に低く、こうやって迫ってこられるとたじろいでしまう。ミケさん大好きな小早川は、もっと大変な事になってしまっていた。
小早川は、椅子に座っていたけど勢いよく立ち上がり、脛をテーブルにぶつけて悶絶した。
ガタガタッ!!
「あひんっ!!」
「だ、大丈夫? 小早川君!! 今の絶対痛かったよね!」
「だだだ、大丈夫でありますです、はい!! ぼぼぼぼぼ、僕、常日頃から鍛えておりますので、大丈夫であります!!」
プヨプヨの身体。どう見ても、鍛えているようには見えない。
「でも今の絶対痛いよー、脛だよ」
「だだだ、大丈夫でありまっしゅ!!」
噛んだ!! カイと顔を見合わせて笑いをこらえると、小早川はそれに気づいて怒っている表情を見せた。
「いいい、いつも瓶とかでコンコーンて脛を叩いて鍛えているから、大丈夫でありますです!!」
「えーー、瓶!? 嘘?」
「本当でありますよ。空手家とかムエタイの選手はそうやって、弱点である脛を武器にかえるのであります!! ぼぼぼ、僕も例外ではないのです!! それもこれもミケ様に何か危機が訪れた場合、この身をとしてミケ様を危機からお救い出来る働きができますように日々、鍛えているのでありまままっしゅ!」
また噛んだ。
小早川はポッチャリ体系。この身体で鍛えているとかムエタイとか言われても……きっとミケさん困っている。
……って思ったら、ミケさんは笑って小早川の足の具合を見てあげていた。もちろん小早川は、「わが生涯に一片の悔いなし」とか言って、泣きながら下唇を噛んで喜んでいた。
それを見て小早川がこんなに興奮しているのは、なにもミケさんだけが原因ではないなと思った。小早川は今夜『異世界』で、リベンジしようとしているんだ。




