Phase.186 『謝罪』
僕は市原達に追いかけまわされ校舎二階の男子トイレに飛び込んだ。
個室に入り鍵をかける。すると程なくして数人が、僕と同じようにトイレに飛び込んできた。隣の個室のドアが強打される音。
ドンドンドンドンッ!!
「ひ、ひいいい!!」
「大谷かあああ!!」
「ち、違います!」
「ッチ!! 早く出ろおおお!!」
「ひいいいいい!!」
隣の個室に入っていた誰かや、他にトイレにいた者は全員、市原達によって外へ追い出された。
「残る個室はここだけだ、はははは!! さっきこのトイレに入って行く奴の後姿が見えた。つまり奴はここに入っているって訳だ。どうする、市原?」
山尻の声。という事は、市原、山尻、そして池田は確実にいる。今ここから外へ出れば一貫の終わり。
ドンドンドンドンッ!!
「うおい!! 大谷!! ここにいる事は解っているんだ、今すぐ出てこいよ!! このまま上から水をぶっかけてやってもいいが……まずは顔を見せろ」
水はまずい。僕は、ポケットの中に突っ込んでいたスマホを取り出すと慌てて起動させた。
「おらああ、出て来いよ!! 出て来るまでここにいんぞ!!」
「市原、もういいじゃねーか。あそこ、丁度おあつらえ向きに蛇口にホースがセットされてるよ。あれを使おうぜ」
まずいまずいまずい!! 水をかけられる事がまずいんじゃなくて、スマホが水で壊れてしまう事。それがまずいと思った。もしもスマホが壊れたら、あの世界へ二度と行けなくなるかもしれない。
慌ててスマホを操作して『アストリア』のアプリを起動させた。早く早く早く!! 画面から眩しい程の光が照射して僕を包み込んだ。
「ヒャヒャヒャヒャ!! ずぶ濡れにしてやるよおお!!」
最後に山尻の声と、おそらく市原だろうけど扉をドカドカと蹴っているのか叩いている音が聞こえた。
――――気が付くと、僕はあの丘の上に立っていた。
振り向くと、そこには見覚えのある女神像。あわててスマホと自分の着ている学生服を確認するも、まったく水で濡れていなかった。
良かった、スマホを壊されずに済んだ。
空は快晴、少し暑さを感じるけど緩やかな風が心地よい。周囲を見回して、ウルフやトロルなど危険な魔物がいないかを確認すると、その場に転がって空を眺めた。
いい気持ちだ……このままここで少し、ほとぼりが冷めるまでいよう。
「のどかだなあ……」
これはいい。これなら、いついかなる時でも市原が追ってきても、この異世界へ逃げ込むことができる。僕は、絶対的なセーフティーゾーンを手に入れたんだ。
「1時間位、ここで時間を潰せばいいだろう」
暫し黄昏る。遠くの空、流れる小さな雲を数えていると、さっきまで市原達に追い回されていた地獄のような事がまるで夢のように思えてきた。
どちらかというと、この『異世界』の方が夢のような世界なのに……もとの世界の方が夢のように思えるなんて不思議だな。
そんな事をゆったりと考えていると、ふと無性にこの世界が何処まで広がっているのか気になった。この世界はいったいなんなんだろう。
トロルというファンタジーゲームやアニメなどでは、割と定番の魔物もいた。そんな異世界なんだからひょっとして勇者や魔王もいるかもしれない。
最近流行っている異世界物のラノベ作品なんかじゃ、転移とか転生とかするとチートなスキルなんかを身に着けていて無双できたりする。だけど、僕はどうやら勇者じゃなさそうだ。この世界へ転移してからというもの、何か特別な能力を身に着けたような感じも全くといっていい程感じないし、小早川やカイとか他の転移者だっている。
ミケさんのお店に初めて行った時に、店内にいたお客さん。その人達もミケさんの口ぶりからしても、きっと僕らと同じくスマホのアプリで転移している転移者なのだろう。
僕だけが特別な者じゃない。
…………
そんなこんな考えていると、急に光を感じた。慌てて起き上がって女神像の方を振り向くと、人影が二つ目前に現れた。
あっ!! カイ!! それに、小早川!!
「ふ、二人とも転移して来たの!?」
なんてセリフだろう。でもいきなりの出来事で、それが僕の真っすぐな反応だった。
「良継殿!! 大丈夫でござったか?」
カイがそう言うと、小早川は僕の顔をみるなり、なんといきなり土下座をした。
「もううううしわけないいいいいい!! 本当にもうしわけなああああい!!」
「え? ちょっと、え? どうしたの、小早川君!!」
「うううう、えっぐ、ええっぐ!! どくたーええっぐ!!」
え? それってソニッ……
「我は自分を見失っただけでなく、恐怖で大谷氏と有明氏を見捨てて自分だけ逃げた!! とても恥ずべき行いをしてしまったあああ!! どうか、許してくれ!! ゆ、許してくださいいいいい!! えっぐ、ええっぐ、どくたーえっ!!」
「も、もういいって!! もういいから」
慌てて小早川に駆け寄る。そして土下座の状態で、本当に涙を垂れ流し、這いつくばる彼の背中を優しく撫でた。
僕もそうだけど、完璧な人間はいない。僕だって恐怖で竦みあがっていたから、解る。奇跡的に僕は動けただけで、一歩間違えれば僕だってカイを見捨てていたかもしれない。そうすれば、動けずにいたカイはトロルに捕まって引き裂かれ食べられていた。
だから小早川を今更責めるなんて、僕には到底できなかった。
それよりも、無事でいてくれたことやこうして謝罪しにきてくれた事に対して、こちらが泣いてしまいそうな程に嬉しく感じた。




