Phase.180 『最悪な世界だけど最高の世界』
激痛に顔を歪める有明。
僕はその辺りをブンブンと飛び回る蚊を手で追い払いながらも、杖になりそうな木を見つけた。それを有明に手渡すと、自分のザックからタオルを取り出して有明の右足に巻いた。
「うぐぐぐ……」
「あ、有明君!!」
「かたじけない。だ、大丈夫……大丈夫でござる。問題無いでござるよ。杖もあるし、これでなんとか歩く事はできるでござる」
僕は有明に肩を貸すと、彼を立ち上がらせた。
かなり痛そうにしているが、なんとか歩く事はできそうだ。でもとても走ったりはできないだろう。つまりあの女神像まで辿り着くまで、トロルなど危険な魔物に絶対に遭遇しないようにしなければならないという事だと思った。
「そ、それじゃ行こうか。ここは、蚊が大量にいるし」
「そ、そうでござるな。い、移動しようでござる」
キョロキョロと周囲を見回す。草木が生い茂る、暗闇が広がる森。有明は杖をつかなければ歩けないので、懐中電灯は僕が持って辺りを照らした。
もっとちゃんと考えて、甘く考えないでエイドキットとか、必要になる物……僕も懐中電灯を持ってきていれば良かったと思った。
「有明君。それで、小早川君だけど……何処に向かったと思う?」
「小早川殿は、拙者たちを置いて逃げたでござろう。きっと、もうさっさと自分だけもとの世界へ転移してしまってるでござるよ」
「……本当にそうなのかな。それならそれでいいんだけど……」
「いいんだけど……というのは?」
「もしもまだこの辺り、何処かにいて身を隠しているんだったら探さないと……」
「拙者達を見捨てたんでござるよ、小早川殿は」
「あの場合、見捨てたとはいわない。少なくとも僕はそう思わない。有明君だって、恐ろしくて固まってしまっていたじゃないか。僕だってあんな恐ろしいトロルなんて魔物を目にして……動けたのが奇跡だった。あんなのいきなり目にして、ちゃんとした考えをもって行動できる方が普通じゃないよ。間違えなく、小早川君の本意ではないはずだよ。彼を責めないで欲しい」
「……まあ、解ったでござるよ。大谷殿は、優しい人物でござるな」
「ううん、いつも虐められているから臆病なだけだよ」
そう言って俯くと、有明は短く息を吐いて言った。
「ここは蚊が凄いでござるな。兎に角、女神像の方へ移動するでござる」
「うん、そうしよう」
隠れていた草場、そして直ぐ近くにあった沼から離れる。有明は足を引きずってかなり痛そうにしているけど、やはり歩いて移動する位の事はできそうだ。
なんにしても良かった。あとは、小早川の無事が確認できて……女神像まで戻ることができれば、言う事はないんだけどな。
「有明君……」
「いてて……なんでござるか?」
「えっと……僕達が転移してきた女神像だけど、どっちか解る?」
僕の言葉を聞いて有明は、真顔になって一瞬静止した。そして、口を開く。
「正確には解らないでござるが、大谷殿ももしかして……」
無我夢中で兎に角、トロルに捕まったら終わりだと思って走って逃げた。それで転んでひっくり返って。しかも駆け抜けてきたのは、暗闇が広がる森の中――――
クエックエックエッ
キキッ
辺りは何かよく解らない虫や、鳥か何かの鳴き声が変わらず聞こえる。
「た、たぶん向こうだと思う。断言はできないけれど、このままじっともしていられないし、このままここにいる訳にもいかないし」
「そうでござるな。最悪、朝方まで凌げれば明るくなって辺りが良く見えるようになると思うでござるが……このままここにいたら、群がってくる蚊の襲撃でおかしくなりそうでござるよ。拙者も、大谷殿が言った方が正解だと思うでござる。そっちへ移動してみるでござるよ」
「う、うん。それじゃ、辺りを警戒しながら移動しよう」
有明も、もうどっちからここへ来たのか解らなくなっている。でも僕と同じ方だという事で、例え方向が間違っていたとしても僕一人に責任を押し付ける事にならないように配慮してくれたのだろうと思った。
今まで親友はおろか、友達と呼べる者もいない。市原達には、ずっと虐められ続けて絶望の人生を送ってきた僕だけど、初めて友達という友達ができたと思った。
もちろん有明に言った事も本心だ。小早川の無事も願っているし、これで無事皆再会できてもとの世界へ戻ることができたら、小早川とも友達でいたい。
「こんな時にあれでござるが、拙者の事はカイって呼んでもらってもいいでござるか。しかも呼び捨てで呼んで欲しいでござる」
「いいよ、解ったカイ。じゃあ僕の事は良継で」
初めての友達なのに、いきなり下の名前で呼び合う。こんな状況なのに、恥ずかしくてそしてむずがゆく嬉しい気持ちになった。
「では拙者も大谷氏ではなく、良継殿と呼ばせてもらうでござる。呼び捨てでないのは、もちろん距離を作っている訳ではなくて、拙者のキャラ設定であるんで、お気にされないようお願いするでござる」
「解ったよ、カイ」
最悪な状況で、絶望に陥っているのになぜか二人して笑い合う。これも市原達の時と違う。それはきっと仲間がいるからだと思った。
僕の運命を一瞬にして変えてくれたこの世界、『異世界』。僕はこんな目にあっても、この異世界へ転移できたことに感謝していた。
とても一言には表せない不思議な感覚。でもまずは一旦、もとの世界へ戻らないと――




