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Phase.179 『蚊に感謝する時』



 ドスーーン、ドスーーン。


 僕達の直ぐ近くをうろつく、大きな化物の歩く音。トロルの足音だ。


 トロルというのは、人型の大きな魔物。外見は人間に近いものを感じるが、目は狂気を帯びていて、下顎から上に向かって突き出た大きな牙も生えている。そして僕らとの一番の違いは、3メートル以上はあるのではという巨体だった。


 素手でも、人間を簡単に引きちぎる腕力があり、その手には丸太のような巨大な棍棒を持っている。僕の大好きなファンタジーゲームでもよく出てくる魔物だった。


 こんなものが現実に存在するとなると、かなりの脅威だ。僕は全身から既に溢れ出している恐怖を押し殺しながらも、有明と草場に身を隠していた。


 グオオオオオ……


 トロルの唸り声。僕と有明を探している。先に逃走した小早川も探しているのかもしれない……小早川は無事に逃げ切ったのだろうか。


 僕らを置いて逃げた事実は変わらないが、あの場で恐怖を感じない人間なんて普通はいやしないと思った。だから恨むどころか軽蔑もしていない。それどころか、心配をしていた。無事に逃げ切ったのかどうか――


 グオオオオオ……


 有明が目を開いて、こちらを見た。僕は、そのまま有明の身体を抑えて身を低くしたまま彼に囁くように言った。


「大丈夫だよ、有明君。逃げた僕らを探してまだその辺をトロルがうろついているけど、完全に見失っている。このままこの草場の陰に身を潜めてやり過ごすんだ」

「あ、あ、ありがとう……大谷殿」

「え?」

「お、大谷殿は、恐ろしくてまったく動けなくなってしまっていた拙者の腕を引いて、助けてくれたでござる」

「そ、それは必至だったから。何がなんだか訳が解らなくなって、あの時は必死で考えてそうしないといけないと思って」

「でも助けてくれた。拙者を見捨てなかったっでござるよ……うぐうう……」

「え!? 有明君!! どうしたの!!」

 

 急に顔を引きつらせる有明。口から漏れ出る呻き声。それが辺りを捜索しているトロル達に聞こえないか心配になって見回した。大丈夫、この位なら聞こえない。


「ど、どうしたの、有明君? もしかして怪我をした?」


 頷く有明。彼の身体に目をやってみると、ズボンに血がついていた。右足。手を伸ばして裾をまくって傷がどの程度か見ようとすると、有明は僕が伸ばした腕を手で押さえつけて止めた。


「さ、触らないで欲しいでござる。い、今傷口を触れられると大声をあげてしまいそうだから……」

「あの、斜面を転がり落ちた時……トロルから一心不乱に逃げている時に、負った傷……」


 どうしようもなかった。


 あの時は、他を気にしている余裕もなく、自分自身と有明を、なんとかあの恐ろしいトロルの攻撃から回避して、逃げ延びる事だけを優先していた。あの時に、木の枝か岩か解らないけれど、有明は右足をぶつけて負傷したんだ。


「ごめん! ぼ、僕……な、なんて言ったらいいか……本当にごめんなさい。僕のせいで!!」

「ち、違うでござる。これはトロルのせいで負った傷で、大谷殿のせいではござらんよー。むしろ、大谷殿は拙者の命を救ってくれたのでござるよ。あのままあそこにいたら、拙者はあのトロルに八つ裂きにされて喰われていたでござるよ」


 有明の言葉で、トロルが仕留めて背負っていた鹿や猪の死骸に紛れこんでいた、人間の死体を思い出した。僕は慌てて有明から顔を背けて距離をとると、そこで嘔吐した。


「う、うげえええ……」

「お、大谷殿こそ、大丈夫でござるか!?」

「あ、ううん。もう大丈夫」


 口を拭う。そして有明の方を向いて笑みを浮かべて心配ないと証明すると、僕は少し立ち上がり草場から頭を出して周囲を見回した。


 どうやら、もうトロルは何処かにいってしまったようだ……だとしても、まだ近くにいるかもしれないし、油断はできない。


 草原など広い場所ではどうだか解らないけれど、森の中であれば障害物があちらこちらにあって、トロルより僕らの方が絶対に有利だ。先に見つける事ができて、冷静に行動できれば確実に逃げ切る事はできるはず。


「どうでござるか? トロルはいるでござるか?」

「だ、大丈夫みたい。僕らを探して何処かへ行ったんだと思う」

 

 ほっとした束の間、腕や顔、それに首など異様な痒みに襲われる。なんだ、これはいったい。


「か、痒い!! な、なに!?」


 そう言って服のあちらこちらを払うようにすると、有明が懐中電灯を僕に差し出したので、それを受け取って辺りを照らした。


 蚊、蚊、蚊。辺りにブンブンと飛びまくる蚊。まさかトロルがいるようなファンタジー世界でも蚊がいるなんて……


 有明もあちこちを蚊に刺されているようで、顔をゆがめる。でも負傷した右足に痛みがあるようで、あまり動けずにいる。


「駄目だ、有明君。ここは森だし、草木で鬱蒼としている上にあそこ……目の前に沼がある。だからこの辺りは蚊の楽園なんだ」

「だ、だからトロルもさっさとこの辺を離れたのかもしれないでござるな」


 言われてみれば、確かに……


「有明君、ここにいたら僕らは蚊に全身の血を吸血されてしまうよ。歩ける? 移動しよう」

「わ、わかったでござる」


 そう言って立ち上がろうとする有明。地面に手をついて、足に力を入れた所で呻き声をあげる。とてもつらそうな顔をした。


 僕は慌てて彼の身体を支えた。

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