Phase.177 『ブラックコーヒー』
「有明氏はちゃんと持ってきているとして……大谷氏は、はたしてマグカップを持ってきているのか?」
「どうかな。ちょっと待って。駄目だ、持ってきていない」
すると小早川は溜息を吐いて、僕をじっと見る。嫌な事を言われると思ったら、小早川は自分のザックをゴソゴソと漁って、中から新たなステンレス製のマグカップを取り出して僕に差し出した。
「え?」
「ん」
「え? これ」
「ん」
「で、でも、いいの?」
「んーー!!」
ぎこちないやり取りを続けていると、小早川は差し出したマグカップを僕の胸に押し付けてきた。有明が笑う。
「あっはっは。大谷氏……小早川氏は、それを使えと言っているのでござるよ」
「で、でも僕」
「遠慮は無用。我ら仲間でござろー」
小早川は、今度は何か茶色い粉末の入った瓶を取り出すと、それをあけた。
インスタントコーヒー。スプーンも取り出して、自分と有明と僕のカップに入れてくれる。そこで、湯が沸いたのでカップに注いで珈琲を入れてくれた。
僕は小早川にお礼を言った。
「あ、ありがとう。珈琲、頂くよ」
「うんむ、よかろう。我らはもう同士であるからにしてな。それでは、そろそろ飯も頂くとしようぞ。それはそうと大谷氏、まさか飯も忘れたとかそういうオチではあるまいな?」
じろっと睨みつけられた僕は、両手を前に出してアピールした。
「いやいや、それは大丈夫、ちゃんと持ってきたよ」
そう言って、僕も自分のザックから弁当を取り出して見せた。
「手作りか」
「うん、母さんが作ってくれた弁当。今日帰って、いきなり弁当作ってって感じだったからありあわせらしいけどね。でもこんな所で食べたらきっと美味しいよ」
「因みに拙者は、エムドナルドでござる」
「ハンバーガーとポテトかー。それもいいね。小早川君は?」
「我か。我はこれだ。やっぱり、アウトドアと言えばこれが定番であるからしてなー」
小早川君は、そう言って目の前に大きなタッパーを置いた。これが弁当? 蓋を開けると、とてもここが異世界だなんて思えないようなニオイが辺りに漂う。そう、物凄くスパイシーな香り。小早川君が持ってきたのは、カレーだった。
「え? 駄目?」
「え? う、ううん、僕はいいと思うよ! 僕もカレーは大好きだし!」
「拙者もそう思うでござる。確かにアウトドアにカレーは、定番メニューでござるからなー。しかしあれは、確か持参というよりも皆で作って食べる定番というか……」
「なにを貴様!! そんなこと言って、そんなこと言って有明氏もエムドのバーガーではないかああ!!」
「いやー、ははは。正直、エムドとボスバーガー、バーガークイーンの3択で悩みましたー」
「そう言う問題じゃなくて!!」
あれ、本当に楽しい。僕は自分でも想像しなかった程に、この瞬間を楽しんでいた。
ミケさん……ありがとう。ミケさんとは偶然会っただけなのに、市原達に追われる僕を匿ってくれて……そして、僕に異世界の存在を教えてくれた。
ミケさんにも、『異世界』というこの世界にも感謝をしたい。もちろん、小早川や有明に対しても同様に感謝の気持ちがわいてきていた。
小早川の入れてくれたインスタントコーヒーは、絶品の味がした。ミルクも砂糖もない。普段絶対にブラックで飲まない僕が、そんな何も入っていない珈琲を美味しいと感じる。
そしてそれを3人とも飲み終えると僕は、ザックから魔法瓶を取り出して、母さんが入れてくれたコーンポタージュを皆に振る舞った。今まで飲んだコーンポタージュの中で、一番の味がした。
弁当も食べ終わると、僕は珈琲のお礼とマグカップを使わせてもらったお礼に、汚れた道具を泉の方へもっていって洗った。
「もう満腹でござる」
「我も満腹ぞ。所で大谷氏は、今日はどのくらいまでここにいられる?」
小早川は今日、何時まで一緒に遊ぶことができるのかと聞いていた。僕は、腕時計を見て時間を確認する。
――22時。うわっ、もうこんな時間になっている。僕も二人に聞いてみた。
「小早川君と有明君は、何時くらいまでここに残るつもりなの?」
「そうねーー、うーーん。拙者は小早川氏にお任せするでござる!」
「ふーむ。そうさな……よし、1時!! 1時に帰ればダッシュで風呂に入って布団に向かってダイブすれば、明日の朝の通学になんの影響もないであろう! どんなに遅くなっても3時には布団の中で、瞑想モードに突入できる」
い、1時かーー。正直どうしようかと迷った。それに市原の顔がちらついて離れない。明日学校に行けば、今日の仕返しに殺されるかもしれない。それなら学校を休んだ方が何百倍もマシだ。
それに、母さんに帰りは待たなくてもいいと伝えてある。よ、よし。決めた。
「それなら今日は、僕も二人と最後までいるよ。それでもいいかな」
「マジすかー!! 良くない訳がないでござるよ、大歓迎でござる!!」
「うんうん、良いではないか良いではないか! それなら今宵はとくと楽しもうではないか!!」
僕も一緒に残ると聞いてハイテンションになった二人は、恥ずかしげもなくその場で踊り出しハイタッチを求めてきた。
僕の照れは、最高潮に上りつつも二人に応える。
それじゃ、1時までとなるとまだ3時間もある。これから残り3時間、何をしようかと話し合っていると、近くで何か大きな音がした。
それは木の倒れるようなベキベキベキというような音だった。




